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ミスコンに出てよかった?

一一一午前10時
わたしは飛行機からぼんやりと外を眺めていた。頭は空っぽ。飛行機が東京から離れていくにつれてどんどん傷ついた心が呼吸をしだして、涙が止まらなくなった。そのときずっと頭に浮かんでた言葉は…

「ミスコンになんか、出るんじゃなかった。」


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こんにちは!
ミスコン地方女子のあひろーると申します。わたしは、かつて5大ミスコンと呼ばれる大会のひとつでファイナリストになった経験があります。「なぜミスコンに出たのか?」という想いを発信しようと、初めてnoteに挑戦することにしました。

気になりませんか?
ミスコンに出る人の心境。

数年前のわたしはミスコンという言葉に
「自信がある女性が挑戦するもの」
「芸能界に入りたい方がでるもの」
「目立ちたがり」
というイメージがありました。
まさか自分が自分の意思で出ることになるなんて。人生なにがあるかわかりませんね。

このnoteは
・ミスコンに挑戦したい女子
・ミスコンに出る人の心境が知りたい方
・ミスコン後の生き方が知りたい方
・自信がない地方女子
に向けて書いています。

また、箸休めとして
・ミスコンってお金がかかるの
・ファスナー事件
・本番の裏側
という3つの裏話も間に挟んでいきます。

〝ミスコン〟といっても、語り手によってストーリーは大きく変わってきますよね。今回は、ファイナリストに選ばれたけど結果は出さなかった人が描くミスコンです。

よろしくお願いします!


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【人生の最初の失敗は12歳】

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最初に人生を簡単に振り返ってみますね。
わたしは緑豊かな地方で育ちました。小学3年生までは、活発でセーラームーンに憧れる普通の女の子。しかし、小学4年生から塾に通い始めます。放課後、みんなが遊んでいるなか塾に通って勉強漬けの日々。理由は〝中学受験〟をするためでした。
「みんなが遊んでるのにどうしてわたしは塾に行かないといけないの?」等を考えたことはありません。なぜなら、親の言うことは絶対だったからです。「中学は受験するもの」が我が家の常識でそれ以外の生き方を知りませんでした。

しかし、中学受験は失敗。

それまで親の言う通りに生きてきたし、その未来しか歩んではいけないと思っていたので、大きなショックを受けました。その後、地元の中学に通いますが【アヒルは中学受験をして他の中学に行く】とみんな思ってたので、なんだか気まずくて居心地の悪さを感じていました。どんどん根暗になっていき、自己否定が激しくなります。そんな中、22時まで塾に通う日々が始まります。毎日ひたすら勉強してるのに1位にはなれない。その苦しみがさらに自己否定を強めました。わたしは出来損ない。みんなわたしのことなんか気持ち悪いって思ってる。なぜかそんな想いに駆られてどんどんメンタルが崩れていきます。


【悲鳴をあげる直前の高校時代】


いじめられたわけではありません。悪口を言われたわけでもありません。でも、生きづらかった。人がすごく怖かった。高校時代は「人からの評価」が1番気になる時期ですよね。わたしは中学時代から引きずってた自己否定がさらに強くなります。
高校時代は急に電池が切れたように全く勉強に手がつかなくなります。それがさらに「将来どんな大人になってるの?」「こんな生きづらい日々が続くの?」という不安を駆り立て、高1の秋からパニック発作のような症状に悩むようになりました。1番困ったのは【息の仕方を忘れてしまったこと】です。無意識にできてたことを意識してしまうと、わからなくなるんです。どのタイミングで吸って吐けば良いの?でも怖くて誰にも聞けません。ギリギリの精神状態で生きてました。
テレビの音が怖い。
体に鉛が入ってるかのように重たい。
あの苦しみは今でも忘れられません。
「よく耐えたね」てあのときの自分を抱きしめてあげたいです。


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~裏話①~

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「えーーっ⁈勉強会に出るのにそんなにお金かかるんですか?大変ーっ︎‼︎わたしなんてここまで定期でこれたのでタダでしたよ♡」


わたしがミスコンで使ったお金は100万を超えてます。実は、ファイナリストに選ばれる直前の二次審査で、主催者の方に言われたんです。

「ファイナリストになったら思ってる以上にお金がかかりますが、大丈夫ですか?」

選ばれたかったわたしは「もちろん大丈夫です!」と答えました。
しかし、本当に思ってた以上にお金がいるものなんだなぁと感じたのが本音です。

(内訳)
□勉強会のときに着ていく服代
□勉強会に参加するときの旅費
□パーティーのドレス代
□スナップ写真撮影代
□準備物のお金
□差別化を図るための習い事代
□ウォーキングレッスン代※

※わたしは往復6時間ほどかけて通ってたので余計負担になりました。

勉強会のたびに写真を撮られて服をチェックされるため、勉強会から帰るたびに服屋に駆け込む日々。思ったような服が見つからず、足が棒になるまでお店を周って半泣きで服を探していました。高い服である必要はありません。自分の魅力を引き出す服を要求されます。…なんて言われても、自分の魅力を引き出す服って1番困りますよね。しかし、頻繁に写真を撮られることで客観的に自分を見る機会が増えて、自分の魅力の出し方もなんとなくわかってきました。

ミスコンが終わったいまも、写真で客観的に確認するようにしています。何枚か撮っていると、似合ってる似合ってないの感覚が掴めるようになるのでおすすめですよ!

さらに、勉強会では骨格診断×似合う服のレッスンもありました。
「あなた可愛いわね!小学生みたいで。」
「このアイテムを大人っぽいという理由で選ぶ心境が全く理解できないわ」
等と、ファイナリスト達は先生に厳しく指摘されましたが、自分に似合う服のアドバイスをいただけのはとても嬉しかったです。

ちなみに、冒頭の「えーーっ...」の言葉はファイナリストの1人に言われた言葉です。彼女は思ったことをなんでも言ってしまう子でした。都内女子からしたら「地方女子…笑」って気持ちがある方もいると思うんです。実際にこの言葉で確信に変わってしまいましたが。「絶対に負けない!」と決意した言葉でもありました。


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【世間知らずからバイトリーダーに】

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薬学部に行ったのは自分の意志ではありません。親が敷いたレールです。しかし、薬学部は親が真に求めてた学部ではなく、妥協して敷き直されたレールでした。このときも「どうして?」とか「◯◯がしたいのに!」なんて気持ちは1ミリもありませんでした。なぜなら、いままで一度もレールの上をうまく歩けなかった駄作であるわたしのために、敷き直してくれたレールだったから。ここを歩けばきっと大丈夫だと信じてました。

後日、このときの気持ちを話したら、そんな想いを娘がしてるなんて気がつかなかったそうです。ただ、「将来生きていけるように育てるのが親の務め」だと思い必死だったそうなんです。誰も悪くない。人生はもっと柔軟に生きても良いって知らなかっただけ。わたしは、今では薬学部に行かせてくれたことを本当に感謝しています。愛情って難しいですね。

さて、大学生になってからバイトを始めますが、この「バイトの経験」はわたしの人生でかけがえのないものになります。

バイト先の雇われ店長は新人いじめをする方でした。例外なくわたしもキツい言葉を何度もかけられます。それまで世間知らずだったわたしはすごく驚きました。しかし、バイト先の先輩に「このお店は店長が頻繁に変わるからすぐいなくなるよ」と言われたのをきっかけに「じゃあ、あの店長より長く働こう」となぜか闘志に火がつきました。そして、工夫して不器用なりに業務をこなすようになります。すると、店長のわたしを見る目がみるみる変わり、お気に入りにまで昇格していきました。ちなみに、店長はその後も数年間お店にいました。強い方だったんですね!その後、接客の質を競うコンテストの地区代表に何度も推薦されるほどまで成長し、息苦しさは【求められること】や【認められること】で少しずつ軽くなっていきました。

小さな成功の積み重ねがわたしの心を少しずつ強くしてくれましたが、薬剤師国家試験合格は、はじめて自分の人生で成功と思えた出来事でした。「わたしでもできる。」この想いはわたしの心を強くしてくれました。この頃には、息の仕方を忘れることが全くなくなっていました。


【これってわたしの人生なのかな?】


就活をしていた頃にまで少し時間を戻します。わたしは県外に出たかった。なので、インターンシップでは頻繁に県外へ出て行ってました。そのとき、はじめて自分の考えに背きだした娘に、親は少し不満を感じていたようでした。「ここまでレールを敷いたのに、いまさら何?」と。結局、いまの職場は親の敷いたレール上にあります。親の言うとおりに生きないとどこか不安になってしまう。肝心な時に自分で判断できない。そんな自分にすごく違和感を感じるようになりました。わたしの人生って親の言う通りのシナリオ上にしかないの?

これってわたしの人生なのかな?

そんなとき、ネットでミスコンに挑戦している医師の記事を見かけます。すごくキラキラして見えました。自ら人生を選択して生きてきた彼女と、そうではないわたしには決定的な違いがある。彼女は自分の生き方やミスコンの魅力を語っていました。カッコいい。もしかしたら、ミスコンに出たらわたしも彼女みたいに強く生きられるかもしれない。人生変えられるかもしれない。そう思って、誰にも内緒で書類を送りました。


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~裏話②~

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「わたしがファスナーをあげましょうか?」


ファイナリストに選ばれるまでに
書類審査
一次審査
二次審査
がありました。

〜流れ〜
書類審査締切の数日後にメールで審査通過の案内が届きます。
一次審査は地域別に、場所と日時が指定されます(旅費等はもちろん自腹)。わたしの会場では、この段階で60人くらいに絞られてました。10人1組くらいで順番に審査されます。審査は1分間の自己紹介と質疑応答×2。1回目の質疑応答はみんな平等に当てられますが、2回目の質疑応答は挙手制です。審査員が質問した後、答えが浮かんでなくてもすぐ挙手してアピールしないと、ここで落ちると思います。わたしは必死だったのでもちろん挙手︎!話をしながら必死に考えを頭にまとめて、どうにか乗り越えました。審査をされる部屋を出た後、すぐに一次審査の結果が発表されます。この段階で10人が3〜4人に絞られ、残った人たちの二次審査が始まる…という流れになります。

事件が起きたのは一次審査の前!2回目の質疑応答では水着にならないといけないので、すぐに準備できるようにと指示がありました。わたしはワンピースの下にすでに水着を着ていたので、あとはシャツを脱ぐだけ状態。着替えのために隔離されたスペースで準備をしてたら、ひとりの子が声をかけてくれたんです。

「わたしがファスナーをあげましょうか?」

半分くらいすでにあげてましたが声をかけてくれたのが嬉しくて、
「ありがとうございます!お願いしても良いですか?」とお言葉に甘えました。ジジジ…とファスナーの音が聞こえて「はい!どうぞ♡」と言われたのでお礼を行って控室に戻りました。まったく疑いもせず。席に座ってふと何気なく背中をぺたっと触ってみたら…なんと︎!ファスナーが全開になっていました。頭の中はパニック!「もはや下げられてるやん!」
しかし同時に
「なんか…想像してたミスコンって感じのドロドロ具合だ!すごーい♩」
とも思いました。本当にあるんだなぁと思って。彼女はもちろん一次審査で落ちました。

ミスコンって意地悪なイメージがあると思いますが、ウォーキングの先生曰く「ファイナリストに選ばれる子に性格が悪すぎる子はいない」だそうです。

負けたくない!という意識を持つのは良いことですが、相手は審査のプロです。本音は数分の審査で見破られるので気をつけましょうね。


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【2度目に掴んだ切符だった】

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実は1度審査に落ちてるんです。先ほども書きましたが、ファイナリストになるまでには、書類審査、一次審査、二次審査に通らないといけません。1度目は二次審査まで行きました。しかし、受け取った結果は「残念ながらー…」本当にひどく落ち込みました。なぜなら、応募年齢がギリギリだったんです。はじめての挑戦がラストチャンスでした。「わたしとは違う世界だったんだな」と、いつもの生活に戻るしかありませんでした。その後ファイナリストが決まったとネットで知り、なんとも言えない気持ちに。なぜ彼女たちは画面の向こうで笑っているのにわたしはダメだったのかな?「どうせわたしなんて…」という思いに包まれていました。

それから数ヶ月経ったある日。何気なくミスコンのホームページを見たときに、ものすごい衝撃が走りました。なんと!!応募可能な年齢が1歳伸びていたんです。つまり、もう1回応募できる切符を得ました。

「次こそは人生変えてやる」

その想いで、まずはネットでミスコンの指導をしてくれそうな先生を探しました。地元は田舎なので怪しい教室しかありません。なので、往復6時間かけてウォーキング指導をしてる先生のもとへ通うことにしました。ここでみっちり魅せ方を学ぶことになります。先生は非常に厳しい方で何度も雷が落ちました。言葉があまりにもキツいので辞めようかな?と何度も思いました。でも、負けたくなかった。次こそはチャンスを掴みたかった。なので、ファイナリストに選ばれたあとも含めて1年間通いました。いまでは良い思い出です。

後日、なぜわたしをファイナリストにしたのかを、審査してくださった方が教えてくれました。

「前回の審査時と比べて目を見張るくらい成長していたから。」

嬉しかった。本当に本当に嬉しかった。こんなわたしでも努力すれば変わることができる。この想いはこれからもずっと人生のコンパスになると思っています。

【ファイナリストと切磋琢磨の日々】


ファイナリスト達に会ったときに抱いた感想は「思ったより全然ギスギスしてない!」です。しかし、正直に言うとみんなが良い方だったとは思いません。うーん…と思う方もいました。競い合う大会ですからね。綺麗な面ばかりではありません。でも︎、ほとんどの方が気を遣えるし、褒め上手だし、勉強熱心だし、普段の生活では会えない刺激をもらえる方々でした。さらに、勉強会の回数を重ねるとみんな綺麗になっていくんです。写真を見ても顔つきが全然違います。(勉強会の内容は後日noteを出すかもです…︎)

勉強会を受けていたときは余裕がまったくありませんでした。置いて行かれないようにしなきゃ!と必死な日々。いま思えばもう少し楽しめば良かったと思っています。

勉強会が進むにつれて、みんななんとなく予想をするようになります。「AちゃんとBちゃんは、多分どっちかが通るだろうね。」みたいな。会う機会が多くなれば、肩書きで選ばれた子か魅せ方が上手い子かがなんとなく見えてきます。みんな大会まで信じてました。きっと内面も含めた美を選んでくれるよねって。


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~裏話③~

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「君が選ばれなかったときは僕と結婚しよう」


当日の大会の裏側が気になりませんか?一言で言うと戦場です。朝は早朝から準備がスタート。指定された時間までにメイクルームに入るとスタッフさんがメイク&髪のセット&衣装の着付けをしてくれます。ファイナリスト達は緊張してる時間なんてありません。次はここ!次はここ!と狭い楽屋を行ったり来たりしないと迷惑をかけてしまうのでバタバタです。荷物を置く場所もままならず、自分の荷物は自分で管理しなさい!ということで全てに名前を書くよう言われます。小学生ぶりでした!大会の髪型は決められたものでなく、自分の意見を聞いてくれました。わたしは、ウォーキングの先生と一緒に悩んで決めた髪型をオーダー。メイクさんにいままで見たことないくらい綺麗に仕上げていただいて、魔法にかかったみたいでした。当日は、準備が終わって大会が始まる前の数十分が1番長く感じたように思います。準備が終わった順に舞台下の控えルームで待機しますが、ファイナリスト達がお互いの緊張を和らげようと声を掛け合ってました。あの時間が1番幸せだった気がします。
大会が始まってしまえばさらにあっという間!ステージのうえは驚くほどライトで照らされるので、熱くて汗が止まらないうえに目がすごく乾燥して涙も止まりませんでした。(後から映像を見たら涙が全然見えませんでした。照明ってすごい!)本番中は10cm以上のヒールでずっと同じポーズを求められます。大勢の来客者や報道の方に見られています。足がプルプルしてくるけど笑顔でいないといけません。予想してない質問に速攻で答えないといけません。大会に出る前は上手く終えるかただただ怖かった。でも、ステージに立ってるときは恐怖なんて忘れてしまいます。しんどいけど、でも、楽しい。あの気持ちは忘れられないですね。
客席には家族が来てました。探さないって決めてたけど嫌でも見つけてしまったので、大会の途中で見つめてみました笑。後から「ファンサをもらってる気分だった」と言われて笑ってしまいました。ステージに立ってるわたしはキラキラと輝いて見えたそうです。それが見せられただけでもよかったのかな。

そして大会が終わったあとの楽屋。突然ひとりのファイナリストが泣き出しました。理由は彼氏さんからのお手紙。

「君が選ばれなかったときは僕と結婚しよう」

彼女は選ばれなかったけど、別の幸せを掴みました。素敵ですよね。


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【大会の蓋を開けてみたら】

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結果は…大人の事情がすごく反映されていたものでした。わたしの出た大会はそのようなバイアスがあまりかかってないように思ってましたが、運営側も話題にしないといけないですもんね。もちろん、わたしも選んでいただきたかった。でも、それより、これなら大会を開催しなくても良いよねという結果が悲しかった。
選ばれて笑ってる彼女達を後ろで見ていて思いました。

ねぇ、本当に嬉しい?

ステージを降りるとき、主催者の方がわたしに声をかけました。
「スピーチ本当に良かったよ」

だったらなんなの?意味ないよね?

大会が終わって他のファイナリスト達は泣いてました。でも、わたしは泣かないって決めてました。弱さを東京では絶対に見せない。この街に本音なんて見せない。そして、帰りの飛行機に乗って東京から離れたところで、涙が止まらなくなりました。

「大会になんか、出るんじゃなかった。」


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【あひろーるに込めた想いとは】


それからしばらくは淡々と生きる日々が続きました。

「努力したって意味ない。結局人生なんて変えられない。わたしはここでしか生きられない。そもそもなんでミスコンに出たんだっけ?馬鹿みたい。」

でも、ときが経てば傷は癒えます。気がついたらまた探し出していました。人生を変えられる方法を。実は、ウォーキングに通い始めたのは本のフレーズがきっかけでした。わたしは人生のヒントは本の中にあると信じています。なので、この時期も時間があればずーっと本を読んでいました。
そしてある日、ある本に出会います。そこには「これからの情報発信の可能性」が書かれていました。【いいねの数】や【フォロワーの数】がその人の評価になる、と。ビビッと「これだ!」と思いました。
しかし、最初はTwitterは怖かった。攻撃的な言葉が並んでる場所だと思ったんです。なのでInstagramを始めることにしました。それまではミスコンでしかSNSをやったことがなかったので、自分で始めるのは初めてで、何もかもちんぷんかんぷんでした。

【興味を持ってもらえるには?】


自分にあるのは〝薬剤師〟だけでした。なので、薬剤師の知識を活かせる方法を試行錯誤し、結果的に入浴剤を紹介する入浴剤ちゃんが生まれました。
▶︎入浴剤ちゃんはこちら

入浴剤ちゃんを1000フォロワーさんまで育てたあと、どこまで頑張れば良いのか分からなくなりました。そこで、ネットで調べていたら【ブログの可能性】を知ることに。そこで、ブログを始めて、いまに至ります。

▶︎ブログはこちら


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【ミスコンは武器になった】


情報発信をするうえで「興味を抱いていただくこと」は大切です。その点、ミスコンに出た経験にはとても助かっています。
実は、選ばれなかったファイナリストの子とある約束をしました。

「絶対この経験を活かして、上に上がっていこうね。」

彼女はそのあと違うミスコンに出て賞を得ました。彼女なら、さらにもっともっと飛躍していくと思います。

わたしは約束をした時点では「この経験を活かして上がるってどうしたら良いの?」と思っていました。でも、いまはまさに〝ミスコンを活かして人生を向上〟させている途中です。


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【頑張ってよかったよね】

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根暗で息の仕方さえわからなくなるほど生きづらさを感じてた地方女子が、人前で想いを語れるようになった、自分の魅せ方を考えるようになった、大会を見てくださる方が楽しんでいただけるパフォーマンスを試行錯誤するようになった。これはとても大きな成長だよね、といまなら感じられます。
ドン底から這い上がるのは何年もかかりました。でも、いまは漠然とした怖さはもうありません。なぜなら、自ら選択して頑張れたという経験が残ったから。思い出が残ったから。強さができたから。
受賞した彼女達に、人生負けたくないって気持ちはいまも変わりません。
でも、わたしはわたしの人生を生ききるって決めました。ちょっと不器用で遠回りしてしまう所もあるけど…人間味があって、きっと良いよね。
いまのわたしなら言えます。


「ミスコンに出てよかった。」


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