理不尽

 いつからだろう、自分の心の赴くまま、人間を貶め、競わせ、絶望させようとするたびに邪魔が入るようになったのは。
 少なくとも、ここ十数年の話ではない。邪魔が入り始めた当初は気のせいだと思っていた。それを5、6年ほど放置していたのは、邪魔が入るのもたまには面白い、と思っていたからだ。さらに言えば、邪魔が入るということは、過去にいくらかいたと言われる偉大な悪魔に自分が数えられているかのようで、いくらか愉快だったから、というのもある。
 しかし、さすがにここ最近の妨害の頻度は異常だ。年を経るごとにその頻度はまし、はじめは100回に一度だったものが、やがて90回に一度になり、今では10回に一度は邪魔されるようになっている。
 もっとも最近の出来事では、おしどり夫婦として有名だった二人の間に、不倫の噂を流したときのことだ。はじめのうちは互いを信じていた二人だが、流す噂の内容を過激にし、具体性をまして流すうちに、次第にすれ違いが多くなり、やがて互いにののしり合うようになっていった。そしてもう一息で夫の方が妻を信じられなくなり刺してしまう、というとき。なぜかたまたま妻の方が夫の好物を買ってきたり、夫の方が妻の手伝いをしたりと、それまでの不仲が信じられないほど関係を回復していった。
 それを離れたところから歯がゆく思っていたが、それをきっかけに確信した。誰かが邪魔をしている、と。そのことがわかっても彼にはどうすることもできなかった。なにしろ始めの方はうまくいくのだ。そしてあと一息、もう一歩進めば貶めようとしている人間が破綻する、という段階になって失敗する。まるでどこが破綻との分水嶺かが始めから知っているかのように。
 彼は今日も観察対象の人間を探す。その人間がどの段階で救われるのか。それとも、彼の思惑通りに身を滅ぼすのか。それを心のどこかで楽しみに思いながら。


 空高い位置から動くことなく、地表の人々を見て回る。
 他の同僚達が翼を動かし、汗水流して行う作業を、彼女は汗一滴流すことなく、そして他の同僚よりも広い範囲を見て回る。その異能から同僚からは妬まれ続けてきた。しかし、その仕事の早さから、上層部では重宝され、一時期はかなり上の役職についていた。ところが、その能力のために、役職が上になり、管理職となっても地上監視の任を言いつけられてしまった。
 管理職の中でも単純に二倍の仕事をやらされていた彼女は、あるとき体を壊した。職場に行き、書類を前にすると見るつもりがないのに地上の様が目の裏に現れる。逆に、書類仕事に疲れ、気分転換に地上の様子を見ようとしたときには、地上の様子を見ることができない、ということもあった。
 そんなことが続き、ついに彼女は管理職としての立場を放棄した。放棄する際、その環境を繰り返していけばいずれは常に地上の様子をみることのできる力を手に入れることもできただろうに、と彼女の苦痛を全く考慮していない言葉を投げかけられた。
 内心ではだったらこの苦痛を肩代わりしてくれ、といいながら、その言葉を投げかけてきた上司には曖昧な笑みを返すだけにした。まだ仕事に就く前、成長過程を過ごしているときに悩みを打ち明けた親友でその言葉を返したときにどんな反応が返ってくるのかは知っていたからだ。
 こんなことになるなら、この異能のことは隠して同職の人と同じように体を使って地上を見て回っていればよかったと後悔した。その後は彼女の希望が通り、地上監視の任務に専念することができた。これからは千里眼に頼ることなく、少しは自分の翼を頼ろう、という決意を新たにして。
 そこからもまた大変だった。それまでは千里眼に頼っていたため気がつかなかったのだが、どうやら他の人に比べて飛ぶ力が弱いのだ。特に長時間飛ぶといけない。羽の付け根が軋むように痛みだす。はじめのうちは長時間飛ぶことに慣れていないのだろう、と思い頑張っていたのだが、それがいつまでたっても続く。ついには耐え切れなくなり医務室に相談にいく。そこで告げられたのは、先天性翼根磨耗症という、症例のかなり少ない体質だった。医師が言うには、翼の付け根の骨が他の人より弱く、長時間の翼の稼働ができない、という体質だ。
 ショックで落ち込み、ベッドから起き上がることもなく、ベッドの上から地上を眺める日々が続いた。そんなときだ。その悪魔を見つけたのは。
 その悪魔は、他の悪魔と同様、遠距離から人を誑かし貶め、篭絡していた。他の悪魔と違うのは、時に人間に化けて直接己で獲物に決めた人間に近づくことだ。
 それを見た時、心が怒りで染まった。それまでも千里眼で悪魔を見つけてはその悪行を阻止してきた。そのため、悪魔の存在自体は感知していたし、どうして自分がこんなにも激しい感情を抱くのかわからなかった。
 どうしてその悪魔を見た瞬間に激しい怒りを感じたのかはわからない。しかし、やるべきことはわかった。彼女はベッドから起き上がり、身支度を整えると職場に向かい、悪魔に狙われている人の心に話しかけた。
 そうして悪魔から一人の人間を救うと彼女の心は満たされた。少なくとも、それまで感じていた辛さを忘れる程度には。
 それからの彼女は、地上を見渡し、悪魔に狙われている人を見つけては、その魔の手から救うことを生きがいに日々の仕事を頑張りだした。それは地上に赴き、その目で人間を見ているよりも、一歩引いたところから、全体を見渡すようにした方が気が付きやすいことだった。
 悪魔の手から人々を救う中で、きっと私はこの役目を全うするためにこの力を割り振られたのだな、と考えるようにした彼女は、今日も悪魔の手から人を逃がすために地上を見渡す。

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