月見酒

 いつもは噴水の綺麗な人工池の周りに人が集まっている。
 噴水が今日上がっていないのは、その水面に映る月の為だ。噴水をあげれば、水面に映る月が見えなくなってしまうので、今日は噴水が出ないようになっている。
 そしていつもと違うのは噴水だけではない。人工池の上には板が渡されており、池の周囲だけではすぐに溢れてしまう人に、少しでも月を見せようという主催者の努力が見て取れる。
 池の周りに集まった人たちはそれぞれ思い思いの食べ物や飲み物を持ち寄り好きにすごしている。
 そんな人から視線を剥がし、上空に向ける。そこには池に映る月があるはずだった。しかし、そこにはただ黒く広がる闇があるばかりで。闇を切り裂くという月の光はおろか星の光すらもない。
 それもそのはず。人が月の光を浴びると苦しむ、という謎の奇病に冒され、人は月の光を遮るシェルターを作り、そこにこもるようになった。日中はその天井部が開き日光を差し入れる構造のそれは、いま月光を閉ざす鉄の壁となっている。
 では池に映る月はなんなのか。
 池は巨大なプロジェクターであり、シェルターの向こうにある月の姿を映し出しているのだ。月の光を浴びれば苦しむ、という奇病が流行っても、月の幻想的な姿を求める人の心は止めることができなかった。そこでシェルターの運営者に掛け合い、月を投影するフィルターの役割を持った人工池が作られたのだ。
「おぉーう。トモエ!こっちだこっち!!」
 自分の名を呼ぶ声を合図に、視線をシェルターの内殻から声の方へ向ける。そこには職場の同僚たちがすっかり出来上がった様子の赤ら顔で酒を手にこちらの名前を呼んでいた。
「今行くんでそんな大きな声で呼ばんでください!」
 池の上に渡された板の上を、人に謝りながら進んで行く。
「なんだ遅かったじゃないか。もう今日はこないのかと思ったぞ」
「そんなこと言いますがね、月見はまだ始まったばかりでしょう。あんたらみたいに月が映し出される前から池の周りに集まって、会場設営から手伝うほど暇じゃないんですよ」
 自分の為に空けられたスペースに腰を落ち着けながら文句をいう。文句を言いながら様子を伺う先には、自分を除いて7人の職場の人間の姿。どれも職場で親しくしている7人だ。中には上司も混ざっているが、その上司はもうすっかり出来上がっており、赤ら顔に笑みを貼り付けてなにを言っても笑っているだけだ。
「じゃ、とりあえず人も揃ったところだし、乾杯するか」
 渡された紙コップに酒を注いでもらう。すると、その様子を見ていたのだろう。この寄合酒を企画した同僚が立ち上がる。
「えー。皆様。人も揃ったところで、我が社のより一層の親睦と、ついでにより一層の発展を祈願いたしまして、かんぱ〜い」
『乾杯!!』
 そうして、1日の疲れを癒すための飲み会が始まった。いつもと違うのは視線の下にある月明かりのみ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?