読書の秋

 秋の夜長のお供にオススメの本です。
 ・・・・・・興味を持ったらあなたの負けです。手に持ってレジへ行きましょう。

 いつもはこない書店の中を歩いていると、目の端でおもしろそうな謳い文句を見つけた。
 平積みされたハードカバーを前に、国嘉は思わず立ち止まってしまう。そこにはまるで挑発するかのような謳い文句が。
 興味を惹かれ、中を検める為に、一冊手にとり・・・・・・その重さに驚いた。というよりも、どこが一冊なのか始めは分からなかった。一冊を手に取ろうとしたが、背表紙が予想以上に長かった為、思わず二冊めの背表紙をなぞっているのではないか、と思い本の切れ目がどこにあるのか目で確認してしまったほどだ。そして手に取り、その本の重さに驚いたのだ。最後のページを開き、そのページ数を確認すると千五百。一桁間違えてるんじゃないか、とか、無理に一冊に納めなくてもよかったじゃないか、とか色々と言いたいことはあったが、一冊の本に、読む前からここまで驚かされたのは初めてだ。本を裏返し、その値段を確認する。


 ・・・・・・うむ。やはり質量に値段は比例するということか。

 その値段に、一瞬ひるんだ国嘉だったが、財布の中にはその金額よりも少し金額が入っている。躊躇は一瞬。行動は迅速に。国嘉は本を手にレジへ向かった。

 それからしばらく、国嘉は仕事が終わり、夕食を食べ終えるとその本を読むことに時間を割いた。なるほど、確かに秋の夜長に読むには最適な本だ。ページを開き、文字を追いはじめれば時を忘れ、気がつけば時間が過ぎている。そして時計を確認すると自分の中には物語とともに過ごした分の喜怒哀楽が感じられる。それはとても良いことだった。
 ただ一つ、不満があるとすれば、読んだ本の内容を、一切覚えていない、ということだ。読んだことは覚えている。あぁ、楽しかったな、悲しかったな、という感想を得たことも覚えている。しかし、具体的に誰が何をしてそんな感想を得たのか。その記憶がないのだ。気がつけば時間が過ぎている、というある意味恐ろしい事実がそこにある。
 これが一体どういうことなのか。買った書店に問い合わせの電話をしてもつながらない。本のタイトルをネットで調べてもでてこない。ついにいままで書き込んだことのない掲示板に書き込んだりもしてしまったが、ほら吹き扱いされるだけだった。
 ついに国嘉は買った本を売り飛ばそうとするが、なぜか古本屋に行くとその本は忽然と姿を消している。焚書など愚か者のすることだと思っていたが、こうなっては仕方がない、と思い、庭先で本に火をつけた。本は見事に炭となり、国嘉はホッと胸をなでおろした。

 気がつくと、国嘉は庭に立っていた。
 周囲を見渡す。いつもの庭だ。
 耳を澄ます。もの悲しげな鈴虫の鳴き声が聞こえる。
 匂いを嗅ぐ。近くの夕食の匂いが流れてくる。
 それだけやってもわかるのはいまの時間ぐらいで、一体自分がなぜここに立っているのか分からなかった。
 首をかしげた国嘉だが、考えてもわからないものはわからない。夕食を食べ、今日もまた本を読もうと思い家の中に入っていった。

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