前日譚

「秋の宝石欲しいなぁ」
 ふと呟かれた言葉に、その部屋にいた全員の動きが止まった。
 呟いたのは気だるげな女だ。その格好は露出度のかなり高い純白のドレスだ。だらしなく椅子にもたれかかった彼女の家名はカリリカ。彼女本人の名前は、この部屋にいる誰も知らない。
「ちょっといいかな」
 動きを止めたものの中で、最も早く動きを再開したのは、黒髪の大男だった。大男は、背格好から想像できないような丁寧な物言いでカリリカに尋ねる。その言葉に対してのカリリカの応答は、これまた気だるげに視線を向けるだけだ。
「カリィ、どうして秋の宝石が欲しいんだい?あれは秋の訪れを告げる宝石で、年に一度光ることを除けばそれほど価値のないものだと思うけど」
「あら、私が何かを欲しがることに何か理由がいるの?」
「とんでもない。カリィが何かを欲しがるのは僕たちが呼吸をするのと同じ位自然なことさ」
「・・・・・・なにか私馬鹿にされてない?」
「それこそ気のせいさ」
 大男は爽やかに笑うと、それまで行っていた部屋の掃除に戻った。彼の掃除区域は天井付近。今日も脚立に上り、彼以外では届かない範囲の掃除を行っている。
 大男がカリリカとの会話を終えると、部屋にいる他の5人の男も、大男に習うように掃除を再開した。

 日課の掃除を終え、足早に自室に向かう。
「おい」
 誰ともすれ違うことなく、もうすぐ自室にたどり着く、というところで後ろから声がかけられた。この屋敷の中では、彼を声だけで足止めできるのはたったの6人しかいない。そして、聞こえた声はその6人のうちで最も彼が嫌っている声だった。
 己がうちの感情を決して表に出さないように気を付けつつ、その顔に満面の笑みを貼り付け振り返る。
「なにか用かい?3番」
「いや、それほど大事な話ではないとも、5番。先ほどの話、どう思われる?」
 3番、と呼んだ男から漂ってくるのは、女物の香水の香りだ。彼が男を嫌っている原因がそれである。3番は彼女という妻がいるにもかかわらず、自身も多くの妾を持っているのだ。彼は妻が他の亭主を相手にしている間の穴埋め用だ、と言っているが、まさにその考え方が彼には気に入らなかった。
「どうもなにもない。彼女が欲しいというのだこれから探しに行くのみ」
「あてはあるか」
 彼は肩をすくめる。たとえあてがあったとしても、ここで口を割ってなどやるものか。3番としてはこうして話しかけて少しでも情報を得ようとしているのだろうが、その考え方が浅はかだ。彼は決して情報を漏らすまいと口を固く閉ざす。
「いや、これは失敬。なにぶん私の方でもopenという店の事しか情報がないゆえ、少し焦ってしまった。どうか許して欲しい」
 3番は苦笑すると、彼に背を向け立ち去った。
 その背を見送り、彼は内心でほくそ笑む。これは思わぬところから情報が手に入った、と。

 カリリカ第5亭主の元を去りながら、マリゥは心の中で第5亭主に頭を下げた。
 なにしろ、openというのは得体の知れない店だ。周囲には妾と言って連れ込んでいる密偵の情報によると、店に人が入るのは一月に大体20人ほど。しかし、店から出て来るのはわずかに3人ほど。時には20人ほどが入っていき、一人も出てこない、という月もあるという。
 そんな店に愛着のある密偵を送り込むわけにはいかない。第5亭主にはカナリアになってもらおう。無事に秋の宝石を回収してくるならよし、そうでなくとも、中でどのようなやり取りの末にどのような結果をもたらすのか、それをこちらに提供してくれるだけでも十分だ。
「さて、あれにはああいったが、確か秋の宝石とはこの国にあるダンジョンの奥にあるとの事だが・・・・・・。まぁよい。こちらはこちらでダンジョンの情報を集めるとしよう」
 ダンジョンには数々の試練が待ち受けていると聞く。少なくとも一人で潜入するのは無謀だろう。ダンジョンに潜入するなら、協力者を得なければいけないだろう。妾たちは情報収集には向いているが、荒事には向いていないのだから。
 きらびやかな屋敷の中でも、その形も色も異なる光で照らされた異質な廊下を、己に割り振られた部屋に向かって一人進んでいく。ふと、マリゥの歩みが止まった。
「・・・・・・そういえば、あれの名前はなんだったかな・・・・・・」
 首をかしげ、第5亭主の名前を思い出そうとするが、向こうがマリゥを毛嫌いしていた事もあり、第5亭主とは接点が他の亭主に比べて圧倒的に少なかった。結局、第5亭主の名前を思い出すことなく、まぁ、いいか、と思い出すことを諦めたマリゥは再び歩き始めた。

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