穴惑い

「あんまり山の中歩き回るんじゃないよ?この時期は穴惑いが出るからね」
「わかってるー!!」
 秋。この時期になるとどこの親も子供に言い聞かせる決まり文句を、彼もまた家を出るときに言われる。穴惑い、穴惑い、と大人たちはいうが、それがどのようなものかを聞くと、皆一様に口をモゴモゴとさせるばかりで、実際にどのようなものかを具体的に説明してくれたことはない。ただ、近所の婆様が、「恐ろしいものだ。あんたも会えばわかる。会わないのが一番だがね」、と言っていたので、漠然と会えばわかるものだと思っている。
「おう、コロ、待たせたな!!行こうぜ」
 家の庭先につながれていた愛犬の縄を解き、コロと一緒に山に向かう。目的地は山にある柿の樹だ。甘柿ならサルに喰われようが、狙っているのは渋柿なので大丈夫だろう。少年はそう思いながらコロとともに山に入っていった。

 思えば、その日の山の中はどこかおかしかった。
 いつもはうるさいほどにさえずっている鳥はその数が少なかったし、山の中を先行していくコロもどこか警戒しているのか、いつもよりもペースが遅い。普段なら決して少年がコロの前をいくことなどできないというのに、今日は何度かコロを追い抜いてしまったほどだ。
 そして少年がコロを追い抜くと、普段はおとなしいコロが激しく吠え立てるのだ。わけがわからないながらも、先に行かれるのが嫌なのだろう、と思い、コロを追い抜きそうになるとペースを落とし、コロが常に前をいくようにしながら目的地である柿の樹まで進んでいった。

 山の様子に首を傾げつつも、あっさりと柿の樹のある広場まで辿りついたことに胸をなでおろす。どうやら気がつかないうちに気を張っていたらしい。
「さて、柿を持って早く帰ろ」
 自分を落ち着けるために声をだし、柿を拾っていく。色付きの良いものと形の良いものを選び、ただ無心に拾う。山の中を歩いていた時は落ち着かない様子だったコロも今はすっかりくつろぎ、地面に伏した状態で少年が柿を拾う様子を眺めている。
 無心になって柿を拾っていた少年が、その動きを止めたのは、後ろの木々の隙間から何かが這うような音が聞こえてきたからだ。体が強張り、柿を握っている右手に力がこもる。目には見えないが、どうやら後ろではコロがしきりに唸っているようだ。
 目をつむり、恐怖から逃避しようとする。が、目をつむってわかったのは後ろから響く音をより近くに感じてしまうということだった。
 右手の柿を握りしめる。覚悟を決め、その柿を背後に投げるべく振り返った。
「やめろ」
 振り返り、柿を振りかぶったところに、その声は投げかけられた。突然のことに体がすくみあがり、振りかぶった柿が手から滑り落ちる。今度はなんだ、と思いながらも声のした方を向く。右手側の木々の間から歩みでてきたのは禿頭の男だった。背には笠をかけており、一見すると僧のように見える。
「何もしなければ危害を加えてくることはない。・・・・・・もっとも、森の中でその姿を見た時はその限りではないが、この場に居れば自然と何処かへ行くだろう」
 僧はそう言ったが、音は次第に大きくなり、やがて柿のある広場の周囲をぐるぐると回っている様子が聞き取れた。
 近くまで歩み寄ってきていた僧の裾を掴み、心細さを紛らわす。
 僧は音のする方向に顔を向け続けている。その姿は音の主が襲いかかってくるのを警戒しているようにしか見えなかった。自然に何処かへいく、という言葉を疑い始めたころ、音がだんだんと小さくなっていく。
「さて、どうしてこの時期に山に入った?危ないことは大人から言われておろう」
 言われて少年は僧に拾い集めた柿を見せる。
「そういうことか・・・・・・。だが、今度からは大人とともに来るがよかろう。こちらの護衛も勇ましは勇ましいが、こやつ一人ではぬしを守りながら大人を呼びに行く、ということはできんからな」
 僧の右手がコロを撫でると、コロは嬉しそうに尻尾を振った。
「さて、ここで会ったも何かの縁。ぬしの里まで送ろう」
 拾い集めた柿とともに、僧に連れられて母の元まで帰った。森での出来事を語ると大層怒られたのは言うまでもない。

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