穴惑い 続

「邪魔になります」
 そう言って案内されたのは里長の家だ。家に入る男の背後には好奇の視線を向ける姿が多くある。男はその視線を遮るようにして家の扉を閉じた。
「うちの村の子がお世話になりました」
 扉を閉じた男の背に、それまでに生きてきた年月を感じさせる声が響く。聞き手を安心させる不思議な声だ。
「いえ、俺も森にいましたので。あそこであの小僧が穴惑いに柿をぶつけてしまっては俺の命も危なかった。礼を言われるようなことではない」
 招きに応じるようにして、禿頭の男、イサヤは里長と囲炉裏を挟んだ正面に腰を下ろした。
「そう言ってもらえると助かります。なにぶんここは他の地よりも穴惑いの数が多いらしく、この時期には山に入らないように子供達には言い聞かせるのですが、レンは決して言うことを聞かず・・・・・・。小屋に軟禁もしたのですが、そうすると食事も摂らず、眠ることすらもせず、どんどん衰弱し、こちらが根負けしてしまう有様。里の皆も困っておるのです」
 イサヤは首をかしげる。食事を摂らない、というのはできるが、眠らない、というのはできるのだろうか。人のいるところでは落ち着かないため、陸地という陸地を歩いて回っているイサヤだが、その寝起きは悪い。目が覚めて一番に思うことは太陽への恨み節だ。
「眠らない、というと」
「言っておる通りです。小屋の閂を閉め、決して出れぬようにすると、日を追うごとにくまが濃ゆくなっていくのです」
「では、決してあの小僧、あー・・・・・・レンが起き続けているところを見たものはおらんのですな?」
 すると里長はその頬に左手を当て、小首をかしげる。重ねてきた年月とともに洗礼されてきたのだろう、その動作は自然に行われ、どこも気取った様子がない。
「それが、私たちも疑問に思い、ともに蔵に入り監視をしようとしたこともあるのですが、なぜかともに蔵に入ったものは皆レンより早く寝入ってしまって・・・・・・」
 直接レンが眠っているかどうかを見たものはいないらしい、とイサヤは判断する。
「わかりました。では今晩俺がともに蔵に入りレンの様子を監視しましょう。あなたの言葉を疑うわけではないが、少し気になることもあるので」
「そうですか?ではよろしくお願いします。このままではレンがいつか穴惑いを里に引き寄せてしまいそうで、気が気でないのです。住人の中には少し過激なものもいるので」
 確かにそれは穏やかじゃないな、と心の中で思い、立ち上がると、里長に一礼し里長の家を後にした。

 里長の家を後にすると、その足でレンの家に向かう。山を下り、レンを送ったのでレンの家はわかる。
「すいません、今晩こちらの蔵に留めていただきたいのですが。里長の許可は取ってあります」
 レンの家の戸を叩き、顔を出した家人になんの挨拶もなくそう告げる。レンを送った時もレンを迎え入れた女だ。レンも母と呼んでいたのでレンの母なのだろう。
 レンの母はイサヤの突然の訪問に目を白黒させていたが、相手がレンを山から連れ出してきてくれた相手だと気がつくとその顔に困惑と歓待の笑みを浮かべた。
「え、えぇ、一泊していただくのは全然構わないんですが、どうせでしたら家の中にどうぞ?狭いですが客間もありますし」
「あぁ、いえ、レンとともに蔵に入りたいのです」
「・・・・・・そういうことでしたか。わかりました。森で穴惑いを怒らせるようなことをしたようですし、今晩蔵に泊まってください。わたくしどももどうしてレンが蔵に入るとあんなに衰弱してしまうのかわからなくて・・・・・・」
「では、今晩蔵に泊めさせていただきます」
「ちょっと待っていてくださいね。もう少しで夕飯にしますので」
 レンの母の声に、そういえばもうそんな時間かと空を見上げる。西の空にすっかり太陽は傾き、空を赤く染めている。
「いぃえ。お気になさらず。・・・・・・ところで、レンが蔵に入れられた時、レンの監視につけられた人は、自分から名乗り出たのですか」
「えぇと・・・・・・。いいえ、違います。里長が指名しておりました。レンを蔵に入れるのが決まった時、そこにいた人を見回してその中から」
「わかりました。では、俺は先に蔵に入ってますので、時期を見てレンを蔵に入れてください。・・・・・・ところで、レンを入れる蔵はどこにありますか」

 何かが軋む音で目を覚ます。どうやら眠っていたらしい。
 不自然な格好で眠っていたからか、尻と背中が痛い。その痛みを無視して、音のした方を向く。そこにはレンが父親と思われる男に連れられて蔵の中に入ってくるところだった。
 イサヤは立ち上がり、右手に力を込め、そこに握っているものを確認する。蔵の入り口に近寄ると、レンの手を引いていた男が頭を下げてくる。レンと同じ黒髪だが、その頭頂部はやや後退しており、日々の苦労が見て取れるようですこし物寂しい。
「すみません。しばらくよろしくお願いします。食事は時間を見て差し入れます。一応3日、蔵の中に軟禁させてもらいます。またレンが森に入るといけないので」
 頭を上げたレンの父は、そう告げると、蔵にレンとイサヤを残して蔵の扉を閉ざした。
「・・・・・・3日か。なかなか長いな」
「・・・・・・おじさんはいいよ。眠れるんだから。眠れずに3日がどれだけ長いと思ってるの?倍以上に感じるよ」
「ははは。そりゃそうだろうが、ぬしはそれを直接知らんだろう」
 イサヤの言葉に、レンがびくりを体を竦ませる。親は騙せていたようなので、どれほどの演技力かとすこし警戒していたのだが、すこし買いかぶっていたようだ。これではレンの両親も一枚噛んでいるのかもしれない。
「な、なんのことかわからないんだけど」
「くまの正体な、これだろう」
 イサヤはそう言うとそれまで握っていた右手の中のものをレンに見せる。そこには鮮やかな赤い皮の実が乗っている。
「ど、どうしてこれを・・・・・・」
「里のなかでしか暮らしてないぬしらと比べるでない。ぬしらよりはよほど多くのことを知っておるわ。・・・・・・もっとも、里のなかのことであればぬしらの方が知っておろうが」
 イサヤの言葉に、レンは肩を落とす。
「して、なぜこのようなことをしたのか?里長はグルだな?」
「・・・・・・この時期、山に入るのは里全体で禁止してる。それはこのあたりに穴惑いが多く出るから。でも、山に入らないと手に入らないものもある。だから、子供を山に行かせて山から採ってこらすんだ」
「子供一人で山に入った方がずっと危ないだろう。なぜそのようなことをさせるのか」
「・・・・・・よくわかんないけど、里長が山から採ってきたものを独占するためだと思う」
「・・・・・・なるほどな」
 レンの説明で、どうしてこんなことをしているのかの事情はわかった。かなり自己中心的だが、まぁ、この程度ならまだまだ許容できる範囲だろう。イサヤは別に人助けのためにこの里に来たわけではないのだ。
 この里で起こっているのは単純だ。この季節に取れる山の恵みを独占するために里長が山に入るな、と里におふれをだし、山にはだれも入れないようにする。その禁を破るのは里の事情に明るくない子供、というわけだ。蔵からでた子供がくまをつくり衰弱している、というのも、監視としてともに入った大人が口裏を合わせれば簡単に偽装できてしまう。
 山のなかで出会ったときに穴惑いが近くにいたため錯覚していたが、別に穴惑いは関係なかったのだろう。里長がこの地は穴惑いが多いと言っていたのでそのまま鵜呑みしてしまったが、山を実際に歩いてもそんな風には思わなかった。今回は里長に踊らされた、ということだろう。
「・・・・・・さて、俺は帰る。山に入るときは気をつけろよ」
「え・・・・・・!助けてくれるんじゃないの?!」
「?・・・・・・ん?なぜぬしを助ける必要が?そもそもいまぬしを助けたところで、そのあとはどうする?ぬしを連れて旅をする気はないぞ」
 他にも何か言いたそうにしているレンを後ろにし、イサヤは上を見上げる。
「ふむ・・・・・・。不用心な。あんなところに空気穴がある」
 蔵の上部、ほぼ屋根の近くには穴が空いている。そこならば確かに人の出入りはできないが、害虫にとっては関係ないだろう。それをみる限り、この『蔵』も、蔵ではなく牢屋かなにかなのかもしれない。
 その空気穴を認めたイサヤは跳躍した。
 その手は空気穴の端を掴みその勢いを生かして空気穴へと体を乗せる。
「じゃあの。まぁ、達者に暮らせ」
 蔵の中から口を半開きにして見上げているレンにそう言い残すと、イサヤは空気穴から蔵の外に飛び降りる。

 だれの目にもつかないように闇夜に身を躍らせ、山に入ると、山には何かが這いずる音が響いていた。顔を左右に振り周囲を見やれば、山の頂に向かって進む大きな蛇の尾が山の陰にきえていくところだった。
「まぁ、数は普通だが大きさはちょっと異常だな」
 地面に点々と続く赤い印と白い毛とは反対につま先を向けると、イサヤは歩き始めた。
 

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