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音楽史・記事編105.ザルツブルク・ミラベル宮殿とザルツブルク大学講堂

 11歳のモーツァルトは後のオペラにつながる初めての音楽劇「アポロとヒアチントゥス」K.38を、ザルツブルク大学の恒例の終了式に上演された「リュディア王」の幕間劇として作曲し、ザルツブルク大学講堂で初演しています。モーツァルトのこの音楽劇の序曲は哀愁を帯びつつもしっかりと構成され、オペラ作曲家としての将来を暗示しているように思われます。
 また、モーツァルトは1773年からは毎年のようにザルツブルク大学を卒業する学生のためにフィナールムジークと呼ばれるセレナードを作曲しています。ザルツブルク大学の卒業生たちはザルツブルク大司教の居城であるミラベル宮殿を訪れ、大司教の前でセレナードを御前演奏し、その後行進曲を演奏しながらザルツブルクの街を行進し、ザルツブルク大学講堂に向います。講堂では卒業生たちは行進曲を演奏し入場し、恩師たちを前に再度セレナードを演奏し、演奏後の退出時には再び行進曲が演奏されたとされます。そして卒業生たちは社会人として、郵便馬車に乗り新しい赴任地へ向かって行きました。
 1779年夏に作曲したセレナードには「ポストホルン」と呼ばれる名がついていますが、ポストホルンは郵便馬車の馭者が出発や到着の合図に使ったホルンで、セレナードでは第6楽章のトリオに用いられます。モーツァルトは1768年にウィーンで若き皇帝ヨーゼフ2世臨席のもと、孤児院ミサ曲ハ短調K.139を初演しており、この際にトランペット協奏曲が演奏されたともいわれています。ポストホルン・セレナードの柔らかく豊かに響かせるホルンの響きは失われたモーツァルトらしいトランペット協奏曲をよみがえさせるようです。

【音楽史年表より】
1767年5/13初演、モーツァルト(11)、音楽劇「アポロとヒアチントゥス」K.38
ザルツブルク大学講堂で初演される。学校を終了する儀式は、今日以上に重要視され、音楽を含む特別の出し物が計画された。1767年5月にザルツブルク大学の恒例の終了式に際し上演された「リュディア王、クロエススの慈悲」の幕間劇としてこの音楽劇が作曲される。(1)
1773年8月初め作曲、モーツァルト(17)、セレナード ニ長調「フィナールムジーク」K.185
7月に着手され8月初旬にウィーンで完成したものと思われる。一部は7/21にザルツブルクへ送られ、8/12にはその成功の報を聞いている。ザルツブルク大学では毎年夏の基礎課程修了式の時期に、学生が教師への感謝の気持ちを込めて管弦楽セレナードを演奏する伝統があり、このような用途のセレナードは、フィナールムジーク(終了音楽)という俗語で呼ばれていた。フィナールムジークの作曲はザルツブルク宮廷楽団のメンバーに任されることが多く、モーツァルト親子、ミヒャエル・ハイドン、J・ハーフェネーダーといった作曲家が持ちまわりで作品を提供していた。(1)(2)
8月初め作曲、モーツァルト(17)、行進曲ニ長調K.189
学生たちがフィナールムジークK.185を演奏するための会場への行進あるいは演奏会場への入場時に演奏された。(1)
1774年8月作曲、モーツァルト(18)、セレナード ニ長調(コロレド・セレナード)K.203
この曲は従来ニーメチェクの伝記によってコロレード大司教の霊名祝日のために作曲されたのではないかと言われてきた。しかし、霊名祝日日が9/30であるのに対し、自筆譜には8月と記されているところから、ケッヘル第6版以後は1774年のフィナールムジークとされている。(1)
8月作曲、モーツァルト(18)、行進曲ニ長調K.237
フィナールムジークのセレナード ニ長調K.203を演奏する際、学生が行進するために作曲されたものと思われる。(1)
1775年8/9作曲、モーツァルト(19)、セレナード 二長調K.204
セレナード 二長調K.204、ザルツブルク大学の学生のためのフィナールムジークとして作曲される。後にウィーンで多忙を極めたモーツァルトはこの曲を交響曲に改訂しようとした。1783年1月モーツァルトは父親にこの曲の楽譜の送付を依頼している。(1)
8月初め作曲、モーツァルト(19)、行進曲ニ長調K.215
セレナード ニ長調K.204用の行進曲。ザルツブルク大学哲学部の論理学の学位取得祭のために学生がセレナードを演奏したが、その際に行進曲が用いられた。(3)
1779年8/3作曲、モーツァルト(23)、セレナード ニ長調「ポストホルン」K.320
セレナード ニ長調「ポストホルン」K.320、ザルツブルク大学の学生たちのためのフィナールムジークとして作曲される。学生達は8月の試験が終わると「フィナールムジーク」を領主であり、1745年以来ミラベル宮殿を居城としていた大司教の前でまず演奏し、次に行進曲を演奏しながら大学に向かい、教授たちの前でセレナードをもう一度演奏するのが習慣となっていた。試験を終えた学生達は郵便馬車で旅立つのであった。第6楽章の第1トリオでホルン奏者はポストホルンを演奏する。(1)
8月初め作曲、モーツァルト(23)、2つの行進曲ニ長調K.335
この2つの行進曲はセレナード ニ長調「ポストホルン」K.320のための行進曲であり、ザルツブルクの学生たちはセレナードの入場退場時にこの行進曲を演奏した。また、演奏会場への行進時に演奏を行った。(1)

【参考文献】
1.モーツァルト事典(東京書籍)
2.西川尚生著、作曲家・人と作品シリーズ モーツァルト(音楽之友社)
3.作曲家別名曲解説ライブラリー・モーツァルト(音楽之友社)

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