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音楽史年表記事編78.チェロ・ソナタ創作史

 チェロという楽器はバイオリンよりもおよそ2世紀おくれて登場し、初めてこの楽器のために独奏曲を書いたのはイタリアのボローニャで生まれ、モデナ公国に仕えたチェリストのドメニコ・ガブリエリといわれています。セバスティアン・バッハはバイオリンの無伴奏ソナタとパルティータを作曲し、さらにバロック期においては通奏低音を担っていたチェロのための無伴奏チェロ組曲を作曲します。ながくバッハの無伴奏チェロ組曲は、むやみに難しいばかりでなく、少しも弾きばえのしないエチュードのように考えられていました。しかし、実は珠玉のような美しい音楽であることが一般に認められるようになったのは、20世紀のチェロの巨匠パブロ・カザルスがこれらの音楽的美しさを発見し、自らの手で見事に再現してからのことです。カザルスは生涯をかけて奏法上の工夫を行い、音楽としての解釈に専念し、バッハの無伴奏チェロ組曲を今日のチェロ演奏会のレパートリーに不可欠のものとしました。(野村光一・「空前絶後のチェリスト・パブロ・カザルス」、大木正興・「無伴奏チェロ組曲について」、東芝EMI)
 チェロ・ソナタ創作史でバッハと双璧をなすのはベートーヴェンです。1796年、ベートーヴェンはプロイセンを訪問し、チェロを愛好する国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の前で2曲のチェロ・ソナタOp.5の御前演奏を行ったとされます。また、ベートーヴェンはこの時期モーツァルトの「魔笛」の主題による2曲のチェロとピアノのための変奏曲を作曲しています。シカネーダーはモーツァルトの「魔笛」をヴィーデン劇場でシーズン中は毎週のように上演していましたので、ウィーンに音楽留学したベートーヴェンもヴィーデン劇場を訪れたものと見られます。ベートーヴェンは1808年には古典派チェロ・ソナタの最高峰であるイ長調Op.69を作曲します。そして、古典派のチェロ・ソナタの伝統はブラームスに引継がれます。
 フランスでは、ドビュッシーが晩年にフランス組曲の様式に基づく6曲のさまざまな楽器編成によるソナタの作曲を企図し、その第1曲としてチェロ・ソナタを作曲します。さらにフォーレはロマン派における至高のチェロ・ソナタを作曲しました。

【音楽史年表より】
1720年頃作曲、J・S・バッハ(35)、無伴奏チェロ組曲BWV1007~1012
無伴奏バイオリン・ソナタBWV1001~1006と無伴奏チェロ組曲BWV1007~1012の両作品は互いに離れ難く結びついている。バッハの妻アンナ・マクダレーナが無伴奏バイオリン・ソナタを写譜した手稿譜には次の書き込みが見られる。「第1部、通奏低音のないバイオリン独奏曲、ヨハン・セバスチャン・バッハ氏作曲、第2部、通奏低音のないチェロ独奏曲、ライプツィヒの合唱長ならびに音楽監督たるヨハン・セバスチャン・バッハ氏作曲 その妻であるバッハ夫人による記譜」 すなわち、第2部は後に切り離され、アンナ・マクダレーナの手になる「無伴奏チェロ組曲」の写譜として残ることになった。この無伴奏チェロ組曲の普及には、チェロ奏者パブロ・カザルスが大きな役割を果たす。(1)
6曲の無伴奏チェロ組曲は通奏低音楽器として機能していたチェロの独奏能力を、音楽史上、初めて徹底的に掘り下げた作品である。6曲はいずれもバロックの古典組曲の様式に立ち、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグの4つの舞曲を定石通りに配し、冒頭には大がかりなプレリュードが、サラバンドとジーグの間には2部分からなるメヌエット、ブーレ、ガヴォットのいずれかが差し挟まれる。(2)
1796年5月~6月作曲、ベートーヴェン(25)、2つのチェロ・ソナタOp.5
ベルリンで完成される。当時、ベルリンにいたプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世はたいへんな音楽愛好家で、チェロの演奏では素人ばなれの腕を持ち、好んで室内楽の演奏を行っていた。(3)
2曲のチェロ・ソナタの成立に関する証言はヴェーゲラーとリースによるものが唯一であり、それによればベルリンでベートーヴェンは何度か宮廷でフリードリヒ・ヴィルヘルム2世のもとで演奏し、またオブリガート・チェロを伴う2つのソナタOp.5を宮廷主席チェロ奏者デュポールと自分のために作曲し、演奏したという。ベートーヴェンがOp.5で挑戦したのはただチェロの書法をマスターしたということにとどまらなかった。2つの楽器は既にほぼ完全なパートナーシップを確立しており、その対等性は後のバイオリン・ソナタ以上である。ピアノパートが要求する演奏技術的な水準も当時の彼のピアノ・ソナタに匹敵するばかりか、時に凌駕している。(4)
1796年作曲、ベートーヴェン(25)、チェロとピアノのためのモーツァルトの「魔笛」から「娘っ子でも女房でも」の主題による12の変奏曲ヘ長調Op.66
主題は「魔笛」第2幕第20曲でパパゲーノが歌う有名なアリアに基づく。他のチェロ作品と同様Op.66の成立もベルリン訪問と関係があった可能性は高い。(4)
1801年?作曲、ベートーヴェン(30)、ピアノのためのモーツァルトの「魔笛」から「恋を知る殿方には」の主題による7つの変奏曲WoO46、(4)
1808年作曲、ベートーヴェン(37)、チェロ・ソナタ第3番イ長調Op.69
イグナツ・フォン・グライヒェンシュタイン男爵に献呈される。この作品がどのようなきっかけで作曲されたかは明らかではない。さまざまな奏法を大胆に駆使したチェロの扱いや奔放でありながら緻密さも兼ね備えたピアノ奏法、さらには両楽器の密度の濃いアンサンブルから生み出される気宇壮大な音楽は、精神的にも技法的にもきわめて充実していたこの時期のほかの傑作に一歩もひけをとらない充実ぶりを示している。(4)
1886年11/14初演、ブラームス(53)、チェロ・ソナタ第2番ヘ長調Op.99
ウィーンにて作曲者のピアノ、ハウスマンのチェロで初演される。(5)
このチェロ・ソナタは第1番と比べると規模がずっと大きく、また洗練されていて、明るく、ただ明るいだけではなく、そこには情熱的な力強さがあふれている。緩徐な第2楽章でさえも情熱的である。(6)
1917年3/24初演、ドビュッシー(54)、チェロとピアノのためのソナタ
パリでジョゼフ・サロモンのチェロ、ドビュッシーのピアノで初演される。1915年に作曲される。ドビュッシーはドイツ的な音楽形式のソナタ形式を避け、フランス的古典的組曲風の作曲を行う。ドビュッシーはフランスの音楽家としてフランス組曲の様式によりさまざまな楽器のための6曲のソナタを作曲しようとし、第1曲にチェロ・ソナタ、第2曲にはフルート、ビオラ、ハープのためのソナタ、第3曲にはバイオリン・ソナタを作曲する。しかし、健康の悪化により以下の第4曲オーボエ、ホルン、クラヴサンのためのソナタ、第5曲トランペット、クラリネット、ファゴット、ピアノのためのソナタ、第6曲のコントラバスを含むいくつかの楽器のためのソナタは未完に終わる。(7)
1922年作曲、フォーレ(77)、チェロ・ソナタ第2番ト短調Op.117
フォーレは晩年に至高の境地に到達したチェロ・ソナタを作曲する。チェロのソナタといえばベートーヴェンのイ長調の曲とブラームス、ドビュッシーそしてこのフォーレのソナタを挙げねばなるまい。それほどこの曲は優れている。(6)

【参考文献】
1.作曲家別名曲解説ライブラリー・バッハ(音楽之友社)
2.バッハ事典(東京書籍)
3.作曲家別名曲解説ライブラリー・ベートーヴェン(音楽之友社)
4.ベートーヴェン事典(東京書籍)
5.西原稔著・作曲家・人と作品シリーズ ブラームス(音楽之友社)
6.最新名曲解説全集(音楽之友社)
7.作曲家別名曲解説ライブラリー・ドビュッシー(音楽之友社)

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