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音楽史年表記事編77.バイオリン・ソナタ創作史

 バロック期から作曲されていたチェンバロ伴奏のバイオリン・ソナタは、古典派期には伴奏のチェンバロがクラヴィーアに代わり、ロマン派期にはほぼ現代と同様のピアノが伴奏楽器となりました。しかし、バイオリンはバロック期には楽器としては完成されており、セバスティアン・バッハは音楽史においてバイオリン曲の最高峰となる6曲の無伴奏のバイオリンのためのソナタとパルティータBWV1001~1006を残しています。バッハはバイオリンの技巧を極限にまで尽くして、バイオリンのみによってポリフォニー音楽の創造を試み、不足する声部は人間の想像力によって補うという技法により壮大な音楽を構築します。
 8歳のモーツァルトは西方大旅行のパリで4曲のバイオリン・ソナタを作曲し、初めての出版を行います。各地の音楽様式を取り入れたモーツァルトは、1787年8月、ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタの先駆けともいわれるバイオリン・ソナタ イ長調K.526を作曲し、大バッハの音楽に出会いポリフォニーに回帰する音楽を作曲します。なお、ハイドンはバイオリン・ソナタを作曲していませんが、おそらくエステルハージ侯爵が愛好したバリトンという弦楽器のための三重奏曲等の作曲に忙殺されたためと思われます。ハイドンはバリトンのための室内楽作品を175曲作曲したとされます。
 ベートーヴェンはウィーンに来て以来、従来の音楽手法を取り入れながらも独自の作曲技法を大胆に織り込み作曲家としての名声を獲得していました。1800年4月にブルク劇場で交響曲第1番ハ長調Op.21や七重奏曲変ホ長調Op.20を初演すると、バイオリン・ソナタ第4番イ短調Op.23やバイオリン・ソナタ第5番ヘ長調「春」Op.24などの作曲によって中期の創作様式に入って行きます。音楽家としては致命的とも思われる聴力の低下を自覚していたベートーヴェンは1802年10月ハイリゲンシュタットにおいて2人の弟に宛てて遺書をしたため、その中で自身の生涯を音楽芸術に捧げることを誓い、1803年5月にはバイオリン・ソナタ第9番イ長調「クロイツェル」Op.47によって音楽史における金字塔を打ち立てるなど、名曲を次々と作曲して行きます。
 モーツァルト、ベートーヴェンによってウィーン楽派のバイオリン・ソナタは大きな潮流となりますが、さらにシューベルトによって引き継がれ、ウィーンに来訪したブラームスはウィーン楽派を引き継ぎ、1878年11月、前作3作を破棄したブラームスはバイオリン・ソナタ第1番ト長調Op.78を初演します。 
 一方のフランスでは新古典主義の潮流からフォーレ、フランク、ドビュッシー、ラベルらによってロマン派のバイオリン・ソナタの名曲が生み出されます。これらの作品はドイツ古典派のソナタ形式から離れ、フランス的な作品を目指しています。
 また、ヨーロッパの影響を受けたロシアにおいても、バイオリン・ソナタが作曲されます。これらの作品はヨーロッパ音楽にロシアの伝統民族音楽を反映させ、また近世の無調音楽の影響も受け、ショスタコーヴィチはバイオリンに代わりビオラによって、バイオリン・ソナタの歴史に終止符を打つ作品を遺作として生涯の最後に作曲します。

【音楽史年表より】
1720年、セバスティアン・バッハ(35)、無伴奏バイオリンのための3つのソナタと3つのパルティータBWV1001~1006
これら6曲の自筆楽譜はベルリン国立図書館に所蔵されていて、次のような表題を持っている。「通奏低音のないバイオリンのためのソロ、第1巻、ヨハン・セバスチャン・バッハ、1720年」 ここに記載されている1720年という年代はバッハがこれら6曲を作曲した年代ではなく、浄書を行った年代である。これらがいつ作曲されたのか、あるいはどのような目的で作曲されたのかも不明であるが、ケーテン時代前のヴァイマール時代にバッハがバイオリン音楽に一段と開眼したのは事実のようである。いずれにしても、これらは無伴奏バイオリンのために残したバッハの貴重な音楽の遺産であり、音楽史上の最高級の産物なのである。(1)
1挺のバイオリンのみによって、ポリフォニックな表現の可能性を追求した曲集であり、バッハ音楽の神髄を示す作品として高く評価される。バッハはこの曲集で、オルガンにも匹敵する立体的な効果をバイオリンに求めた。そのために用いられる技法が重音奏法と、いわゆる「疑似ポリフォニー」の技法である。後者は複数の旋律を単一声部の中に暗示的に縫い込むことによって聴き手の想像力に訴えかけ、ポリフォニーの錯覚を生み出す。(2)
1787年8/24作曲、モーツァルト(31)、バイオリン・ソナタ イ長調K.526
第3楽章のロンド主題がモーツァルトが少年時代にロンドンで親しくしたアーベルのソナタ(作品5/5)から採られているので、同年6/20に死去したアーベルの訃報に心を動かされ作曲したと推測されている。このソナタの輝かしく推進力に富む両端楽章と短調の翳りの濃い緩徐楽章という構想の大きさ、バッハ的な厳格さを感じさせる3声部の書法は10年の歴史を持つモーツァルトの協奏的二重ソナタの頂点というにふさわしい。特にバイオリンはストリナザッキ・ソナタK.454の協奏的な華麗さを超える線の太さを打ち出し、ピアノとの関係に新しい可能性を切り開き、16年後のベートーヴェンのクロイツェル・ソナタの先駆的存在でもある。(3)
1800年から1801年作曲、ベートーヴェン(29,30)、バイオリン・ソナタ第5番ヘ長調「春」Op.24
第4番イ短調Op.23とほぼ同時に作曲され、当初はペアとして同じ作品番号で出版された。ベートーヴェン中期の入り口に立つ傑作で、第9番イ長調「クロイツェル」Op.47と並んでもっとも有名なバイオリン・ソナタ。実験ソナタ期の作品であり、ベートーヴェンのバイオリン・ソナタでは初めて4楽章に拡大され、3つの楽章には共通素材が用いられるなど、作曲技法上も新境地を切り開いている。モーリッツ・フォン・フリース伯爵に献呈される。(4)
1853年11/1作曲、シューマン(43)、バイオリン・ソナタ第3番イ短調WoO27
シューマンはヨアヒムのためのブラームスとディートリヒとの共作のF・A・EソナタWoO22の緩徐楽章とフィナーレを作曲したが、10/29から11/1に第1楽章と第2楽章も自分で作曲し、新たに4楽章のソナタとして完成する。F・A・Eソナタは1935年に出版され、シューマンのバイオリン・ソナタ第3番はシューマン没後100年を迎えた1956年に出版される。(5)
1879年11/8初演、ブラームス(46)、バイオリン・ソナタ第1番ト長調Op.78
マリー・ヘックマン=ヘルティのピアノ、ローベルト・ヘックマンのバイオリンによって初演される。1878年と79年の避暑地ペルハチャで作曲、完成される。グロートの詩による自作の歌曲「雨の歌」Op.59の3の主題を第3楽章に用いている。ブラームスがシューマンのもとに持参し、シューマンが出版を薦めたイ短調のバイオリン・ソナタを含めると、このト長調のソナタは第4作目にあたる。しかし、前3作は作曲者の意思により破棄された。このバイオリン・ソナタはクララの心を深くとらえ、とくに第3楽章について「あの世に持って行きたい曲です」と述べている。(6)
1886年9/26、フランク(63)、バイオリン・ソナタ イ長調
フランクはバイオリン・ソナタをただ1曲しか残さなかったが、今日あらゆるバイオリン曲中の最高峰のひとつに数えられる。フランクと同郷のリエージュに生まれたベルギーの大バイオリニスト、ユジェーヌ・イザイに捧げられた。同年ブリュッセルにおいて、イザイのバイオリン、イザイの夫人ベーヌのピアノによって初演される。(7)
1975年10/1初演、ショスタコーヴィチ(没後)、ビオラ・ソナタOp.147
レニングラードのグリンカ・ホールでドルジーニンのビオラ独奏、ムンチャンのピアノ伴奏によって初演される。曲はビオラのドルジーニンに献呈された。演奏はホールの隣接するロビーを埋めつくした超満員の聴衆のために、扉を開け放したまま行われる。この作品にはいたるところにショスタコーヴィチの作品が引用されている。第2楽章のスケルツォは未完のまま放置されたオペラ「賭博者」のコラージュによる。第3楽章では交響曲第14番Op.135の「怒りの日」や亡き父への思い出に捧げた若き日の作品「2台のピアノのための組曲」嬰ヘ短調Op.6の前奏曲が引用されている。これらの自伝的な引用が、ベートーヴェンへのオマージュである月光ソナタと融合する第3楽章のアダージョは、ショスタコーヴィチ最期の澄みきった心境を伝える感動的な遺言である。(8)

【参考文献】
1.作曲家別名曲解説ライブラリー・バッハ(音楽之友社)
2.バッハ事典(東京書籍)
3.モーツァルト事典(東京書籍)
4.ベートーヴェン事典(東京書籍)
5.作曲家別名曲解説ライブラリー・シューマン(音楽之友社)
6.西原稔著・作曲家・人と作品シリーズ ブラームス(音楽之友社)
7.最新名曲解説全集(音楽之友社)
8.千葉潤著・作曲家・人と作品シリーズ ショスタコーヴィチ(音楽之友社)

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