エーテルの水面 第五話

懲罰房での二度目の目覚めは突然やって来た。体内時計が正しければ深夜手前だ。こんな時間になんの用があるのか。訝る気持ちは抑えられない。
制服姿の担当官はかなり速足に霧島を連れていく。火急の用なのかと緊張が霧島にも伝播する。
夜遅いにも関わらず慌ただしいのが襲撃後の常だ。自衛官達はそれぞれの仕事をこなすのに忙しく、こちらに注意を向ける気配もない。
査問と同じ部屋に到着して早々、査問官の中央に座る白髪の男が口を開いた。
「単刀直入に言おう。霧島三尉、君に超常科学対策局から招待が来ている」
あまりにも直球の発言に戸惑う。
「この組織の名前は知っているだろう?変身者の管理を行っている所だ」
反応の悪さに人事局のお偉いさんは説明を挟む。
「はい、存じています」
慌てて返す。
「そうかね。向こう側としては、君を正式に局に迎え、協力をしてほしいそうだ」
内容が想像の斜め上だった。
「正式に。それは異動ではなく移籍ということですか?」
食い気味に霧島は聞き返す。
「ああそういうことだ。所属を改めてというつもりらしい。もちろん今までの経歴は向こうで別に処理される」
理解がギリギリ追い付くところで話は進む。拳は無意識に査問会の時以上に強く握られている。何が自分をそうさせるのかは分からない。
「そして向こうから条件の提示もある」
男は声を若干張りながら言う。
霧島の真剣さが増す。
「今回の装備の無断使用及びその他の損失について、不問にするとのことだ」
聞き終えてから霧島は納得に至った。要は上は自分を厄介払いしたいのだ。実際に出た損失など関係ない。早く自分の所属を変え、不始末の上書きを。
これだけ短期間でのことなら、霧島の移籍と装備の使用の前後を入れ換えても不自然な点は目立ちにくいだろう。書類上、霧島三尉の無断使用は存在しない。
「もし私が移籍を拒否した場合、どうなりますか」
ただの反抗心だった。拒否するまともな理由は無かった。だが、承諾した場合誰が責任をとるのだ。その事が霧島に安易な道を選ばせない。
「その場合君の独断はとても重いものになるだろう」
男だけではない、すべての人間の圧力が急速に膨れ上がった。
「再調査すれば分かることは多い。もしかしたら君が無理矢理変身したせいで犠牲者がでたのかもしれないしな」
「………!」
言葉に出来なかった。この怒りを。都合のために人を脅すと言うのか。目付きが凶悪さを帯びる。今の顔なら人を殺していてもおかしくないだろう。
「誰がそんなっ!」
口を開けばあるゆる罵詈雑言が飛び出してきそうだった。
その時ドアを叩く音がした。何かの前触れだと直感した。
「失礼します。超常科学対策局より袴田糸美が参上しました」
高い男の声が剣呑な空気を掻き乱す。開かれた扉から現れたのは、長い黒髪を背中でバッサリと切った手足の長い男だった。
「局から直に霧島三尉へ要請をしようという所存です」
人事局のお偉方に頭を下げてみせる。相手も会釈をする。唯一何も出来ないでいたのは霧島だった。
「今彼に話してもよろしいですか?」
男達はどうぞという顔で面倒な気持ちを抑える。
「霧島真也さん」
わざと階級を除き、フルネームで呼ぶ。
「是非とも我々に協力していただきたい」
霧島は無反応に睨む。
袴田は気にしない。
「あなたが起こした現象は我々にとって非常に有益です。これは断言できます」
身ぶり手振りを少し加えて声音は熱心に、霧島を鼓舞するようであった。
「これは単純にあなた自身のチャンスではないのです」
まっすぐな瞳が見据える。
「ここにあるのは技術の発展、その可能性を示すのはあなたです」
「だとしても…」
申し訳なさそうな顔で霧島は否定する。
「あなたの責任感が強いのは分かります。ですが、あなたにしかとれない責任があるのと同様に、あなた抜きでは成立しない物事があるのです」
霧島真也にしかできないこと。心に引っ掛かり、さらりと受け流すには難しい言葉だ。
袴田の整った顔は誠実さを遺憾無く示そうと輝いていた。
「どうかお願いします。我々に協力してください」
ここまで言われておいて邪険にする程の短気ではない。しかし一度は人事に食って掛かった手前、素直過ぎるのもむず痒い。
「はぁ………」
そこそこ大きな溜め息をつきながら姿勢をわざと崩し、もう一度改める。集まる視線に串刺しにされる。
「分かりました。移籍を受け入れます」
安堵の溜め息が複数聞こえる。確かに役に立てることを目指しはしたが、結果彼らの思うつぼになってしまったのは少し残念だった。

廊下に出た時、監視は付かなかった。信用ではない。責任の所在が変わったからだ。これからは別の組織が俺を管理する。もう自衛隊には無関係だ。
隣に立つ色々と長い男は端末を操作しながらちょっと待てと手振りする。
「こんなに早く解放されるとは、そちらに気に入ってもらえて運が良かったな」
捨て台詞めいた声を残して霧島収容の担当官が立ち去る。
「これは偶然じゃなく必然ですよ」
安心させるように袴田が言う。
霧島の関心を掴みながら上機嫌に続ける。
「適性の無いはずのあなたが変身しなければ、我々はあなたに用はありませんし、あなたもここに入れられなかったということです」
なるほどという顔で霧島は考え込む。その必然性は分かったが、彼の態度に納得がいかない。
霧島が知る由もないが、担当の男は彼に持ちかけられた取り引きの内容を知っていた。そして霧島が移籍し、新天地に赴くにあたって改竄される情報についても。
理由がどうであれ、この取り引きに応じた以上、真っ白なままではいられない。そんな霧島の汚れが担当官の癪に触った。不正を側に置きながら堂々と表に出てきた男に、嫌味の一つも言いたくなる。

「手続きが終わりました。それでは行きましょうか」
袴田が振り返り、髪を揺らしながら向き合ってくる。
「向かうってまさか……」
霧島に困惑気味な表情が浮かび 、なんとなしの察しはついた。
「はい、もちろんあなたを対策局に連れていくのです」
"連れていく"という言い回しに若干の不快感を感じるが、悪意無さそうな袴田の立ち振舞いに、目を尖らせる気にはなれない。
「こんな夜遅くにですか」
特に考えもなく他愛ない言葉が家出していく。視線は窓の外の暗闇に吸い込まれる。常夜灯などの微かな灯りに加えて、何処か遠くの窓から溢れる光が群れをなす。
「あぁ……まあ大変言いにくい話なんですが、フォーリナー襲撃直後なので夜遅くまで人が働いてるのが平常運転なんですよね……。今私だって働いてますし!」
少し屈み、左人差し指で自分を差しながら冗談気味に説明する。
屈まれて初めて思うが、この男、本当に背が高い。だいたい190センチ弱はあるのではないだろうか。
「あ!あとですね、あなたの寮にある私物はすべてうちで割り当てられた部屋に送りますので、よろしくお願いしますね」
フレンドリーな口調になりつつあるのっぽがとんでもないことを言い出している。霧島は物事の流れの早さについていけない。周りは激流を泳いで下っているのに自分だけ流されているようだ。
「大丈夫です!うちの輸送班は物をそっくりそのまま運ぶと評判なんですよ!よっぽど特殊なものがあれば本人立ち会いまで現状維持してくれるでしょうし」
「私の部屋には大したものはないので大丈夫ですね。それより急ぐのでは?」
妙にテンションの上がっていくのっぽに少し呆れながら霧島は先を促す。
「そうですね!そうですね……行きましょうか」
恥ずかしそうに微笑みながら袴田が歩くのについていく。霧島の胸には少し前まで謎の期待感があったが、今は萎んでいる。若干の不安が喉に詰まったまま彼は迎えの車に乗り込んだ。

あとがき的サムシング

今回以降文章量と質が大幅に低下すると思います。理由は出来る限り一月に一本くらいは定期的に上げたいからです。