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きっといつか、忘れてしまう──30万字超の全文をウェブサイトで公開する理由

大地震後の11年を生きた、あるひとりの育児日記。その再読から始まる30万字超の回想録『わたしは思い出す』。アーカイブ・プロジェクト「AHA!」の自主出版レーベルより刊行。
 
本書の全文を試し読みができるようになりました。
https://aha.ne.jp/iremember/

回想録『わたしは思い出す』は、このたび特設ウェブサイトを更新し、いつでも本書の全文を試し読みしていただけるようになりました。これまでにも、有料で頒布している書籍をウェブで無料公開している事例はありました。では、この『わたしは思い出す』をウェブサイトで全文公開することにはどんな意味があるのでしょうか。無料であることは、何のためでしょうか。ここでは刊行を経た現時点での備忘録として、私たちの考えていることを記してみようと思います。 

1000名の読者への届き方を想像する

「本をつくる」で完結するのではなく「本を届ける」ことにも取り組んでみよう。そんな気持ちで始めたAHA!の自主出版レーベルですが、始めから具体的なアプローチが見えていたわけではありませんでした(今も模索の連続です)。メンバーの誰ひとりとして出版社の勤務経験はなく、手元のアイテム数も『わたしは思い出す』1点のみ。そんな状況下、小さなNPOを母体とした私たちが届けられる規模や範囲はどれくらいなのか。本を「文房具」のように使ってもらうにはどうしたらいいのか。人と人とのゆるやかな交流や対話の媒介になる本をどのように届けるのか。2022年の秋頃から、本格的な試行錯誤が始まりました。

まずは『わたしは思い出す』の初版の印刷部数を1000部と決め、これらがどのような経路をたどって読者に届くのかを想像してみました。大阪の事務所の一角に保管できる量を、最小限の人数で受注・発送するにはどうしたらいいか。取次を通さずに、読者への直接販売(EC)や、書店さんとの直接取引での取り扱いはどれくらい可能か。Amazonなどの大手の流通に頼らないネットワークをどのように構築できるのか。現在における「出版社」や「書店」の存在意義は何なのか…。さまざまな仮説と検討を繰り返しながら、著者の立場からは必ずしも自覚できない出版・流通の仕組みを少しずつ学んでいる状況です。 

ウェブサイトで全文公開する理由

特設サイト上で全文を無料公開し、試し読みできるようにしたのは、それらの学びから得られた私たちなりの1つのメッセージです。「きっといつか、忘れてしまう」。語り手であるかおりさんがそんな切実さを持ちながら回想した11年間(4018日)の語り。〈震災〉ではなく〈わたし〉を主語にした30万字超えのモノローグ。それらの言葉の塊を、より多くの人に触れてもらいたい。さらには、遠い未来へと、遠い土地へと届けたい。人は、経験していないということを、どのように経験できるのか──。「誰かの言葉をなぞること」が、その問いに対する答えになり得るのではないか、と私たちは考えています。かおりさんが想起と忘却の渦中で紡いだ語りの中に、あなたの言葉を探してほしいと願っています。

補足として、もう少し現実的な話をします。現在、紙、インク、輸送など、さまざまな価格が高騰化しています。また、取材、執筆、編集、撮影、印刷、製本、流通など、出版業界に関わる人材の労働環境やその労働対価がとても低く見積もられているように感じています。出版に関わる構造的な理由などによって書籍の流通が困難になってしまったり、増刷ができなかったりすることも今後、充分に考えられます。そんな状況でも、ウェブサイトにアップロードされていれば、少なくとも読めなくなることはない(言葉に触れられなくなることはない)。もちろん、サーバーの維持コストやサイトのメンテナンスは必要なので、アップロードさえしておけばずっと安心というわけではありません。それでも、短・中期的な視点では、「言葉が届かない」というリスクを分散させることができるかもしれないと考えています。 

〈不可能であること〉にかたちを与える

30万字超の回想全文は、特設サイト上で無料公開しています。それでもなお、かおりさんの幾多の言葉を書籍という形で出会いたい。そう考えていただける方がいらっしゃるのではないでしょうか。辞書のような11年間の回想録を手元に置いておきたい。我が子を産んだ〈あの日〉を起点にしたかおりさんの4018日の点描の厚みを感じておきたい。物質性を帯びた1000の「本」は、育児経験の有無を問わず、被災経験の軽重を問わず、そう感じられる方々のお手元に届けば、とても嬉しいです。3500円という値段は、そのかたちを作るために必要な紙代、印刷代です。また、そのかたちを運び、届けるための費用です。語り手の語り得なさ、聞き手の聞き得なさ。記憶継承の〈不可能性〉の連なりの上に成り立つ「本」というメディアの〈可能性〉、「読む」ことの〈当事者性〉をともに分かち合いたいです。

『わたしは思い出す』の主人公はかおりさんであり、そして、読者であるあなた自身、その記憶です。書籍でもウェブサイトでも、読者の方が閲覧しやすいかたちで、その言葉に出会ってほしいと願っています。本書の内容を知りたい方は、特設サイトをぜひ訪れてみてください。そして実物の厚み、重み、手触りを確かめたい方は、ぜひとも本書をお取り扱いいただいているお近くの本屋さんの店頭にてお確かめください。残念ながらお近くにない場合は、私たちの通販サイト(特製しおりつき)からお求めいただければ嬉しいです。なお、全文の試し読みはアプリケーションなどで読み上げ可能なデータでも準備中です。視覚障害などで活字をそのまま読むことができない方は、件名を「わたしは思い出すについて」として、メール(info[at]aha.ne.jp)にてご相談ください。

2023年3月9日
水野雄太(AHA!レーベル担当)

『わたしは思い出す』刊行

詳細はウェブサイトへ。
https://aha.ne.jp/iremember/

この本を届けてくださる方へ

『わたしは思い出す』は私(わたくし)の記録と記憶のアーカイブ・プロジェクトAHA! による、自主出版レーベルとして刊行しています。書店さまをはじめ、雑貨店や子育て施設、文化施設など、この本をメディアとなって届けてくださる方は、こちらの案内(PDF)をご覧ください。