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掛谷 英紀著『人類の敵 共産主義勢力から自由を守る方法』を一部読んで・・・

本日のちょっとした時間を使って上記の書籍を拝読いたしました。

戦後から78年が経とうとしております。本年も靖国に祀られている英霊の方々へ深い哀悼の意を表します。

このような上記のことをはじめ8/6及び8/8と原爆を投下された長崎・広島の現状を見ると、なんとも情けない日本の現状を鑑みることとなりました。それはというと、人権擁護や自然環境の保護といったような美辞麗句に日本人が脆弱になっていることです。
殊に感情論に押し流されているのには非常に残念に思います。

まだまだ若輩者の私ではありますが、メディアのインタビューの中に大学生くらいの方が『原爆を落とされてよかった』やお年を召された男性からは『戦争を拡大することがなくなりよかった』と、某国のエクストリーム左派に代表されるような原爆投下奨励派と同調する日本人がいらっしゃることに驚愕しました。

本著で言われている左派の特徴とされている

『所属する集団・社会の破壊』

があります。上記に示す日本人の発言をみると

縦軸としての歴史と分断されている状態と考えられます。
ここでいう縦軸というのは、日本が國もしくは日本としての大陸として続いてきた歴史という意味です。

東京裁判史観の中でのパール判事の見立てでは、

戦争の始まりは真珠湾ではなく、柳条湖事件や日露戦争後の朝鮮半島での戦争から始まり、ABCD包囲網を経て日本の生命線であるインフラ(特にエネルギーとしての石油)のストップ後に、ハルノートによる恐喝によってルクセンブルクのような小国でも槍をもって対抗するような状況に至った

というものです。

しかし、戦後の教育ではパール判事の史観は黙殺され、真珠湾に対して日本が一方的に攻撃を仕掛け、アメリカと戦争に至ったとする太平洋戦争がはじまり戦争に突っ走っていた日本にお灸をすえたように、原爆を投下したというのが通説となっています。

この通説が
大学教授⇒大学⇒教育界
に約80年間、蔓延っています。それが今回のインタビューの結果でしょう。

実際はどうなんでしょうか?

主流派にはない観点として、日本陸軍は戦時中、アメリカとの交戦は考えておりませんでしたし、ましてや戦争の継続を考えておらずソ連などに日本が降伏する考えがあることを伝えております(その点はのちにシベリアへの日本人捕虜の強制連行や占守島の戦いにつながってしまったわけですが。。。)。

また、真珠湾での奇襲にも疑問点があります。
・船の燃料がなぜか真珠湾とフィリピンとの往復分のみの燃料しか積んでいなかった。
・なぜ真珠湾の停泊していた船のみを奇襲して、基地内の燃料倉庫を攻撃しなかったのか?(人命よりも燃料を削る方がより効果的では。)



教科書によく出ている真珠湾の資料


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