とうとう独り言

ブログだからみんなにひとり語りをするんだけど
自分が好きだから一緒にいるのが「友だち」で
自分が好きかはさておき集まるのが「仲間」のような気がする。

仲間内だからこそ合う・合わないって生じるけど、
組織でいることが前提なので、
うまいこと馬の合う人たちと集まり、
励ましあいながらやっていくしかない。

それでいて、わざわざ合う人を探しに行くでもない。
当たり前だけど、
しばらく同じ環境下に置かれ、
いつのまにか隣にいた人が合う人なんだろう。

隣にいてくれる人って、みんな色は違えど、
1本の同じ糸を持ってるような気がするの。
そして私も、その糸を持っているのかもしれない。

・相手の目を見てはっきりと話す
・どんな話も聞き流さずに、必ずなんらかの反応を示したり、考え・感想を述べて視界を広げる
・ダラダラ話を続けないで、常に話題が前進することを考える
・楽観主義であろうとする
・善かれ悪かれちょっと頑固
いろんな場所でこんな糸を感じてしまう。

それでね、私もそういう…充実したコミュニケーションをはかることができる人たちに恵まれているって思っていて、
その中で、建前と本音の駆け引きを磨いてるつもりになりながらね、
アグレッシブに日々を駆けているよなーとか感じちゃって、
なんかもーいち社会人としてそこは認めてあげたいワケ。

ただね、合うから一緒にいるはずなのに、
もーすっげ疲れるの。
なんたって、家帰った瞬間の意識の結びつかない感じ。
何をしでかすか分からないくらいフワフワしてねー。
それから「あの振る舞いは良かったけどあの発言は失態だ」っていう
しょーもない反省会始めちゃってね。
たぶん…こういう質量のある人付き合い向いてねーわって、
毎晩まいばん思わされるの。

でもそれをネガティブには捉えてないの。
頑張ったから疲れたんだなーって、そこを計りにしているから、
逆に疲れていない日は「オマエは一日何をしとったんや…」ってね。
そして、日々のコミュニケーションは間違いなく私を高めてくれている。
広げてくれている…。

それなのに、ときどきそれをやめたくなる。
たぶんね、本当はもっとノーテンキなんだろーなって思うの。
あ~ミスっちゃったえっへっへドンマイ、笑って許してね。
あ~ミスったんですか?うん~がんばってね。
そんなタイプだと思うの。
だけど、あの空気を吸っている限りはね、
そんなマヌケなこと言ってられないし、
結局そうやって前のめりに活動しているぐらいが
自分の中でいちばんしっくりくるっていう。
変なの。メンドクサイ彼女みたい。

これだけやってりゃーね、
性格くらいにはなってくれるけど、
人格にはなってくれない。
やめたいって思うものは、きっとまだ私じゃないの。

いやたぶんノーテンキなのも嘘。
ん~でもわかんない。ホントーかも。

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