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韓ドラは3話まで耐えて、というお決まりの話


この間韓ドラ慣れしていない姉に「私の解放日誌」というドラマを勧めたんです。

姉は1話でまず2回ほど寝落ちし、2話目を再生する前に これほんとに面白くなる? んーまた今度にしよう と中々乗り気になってくれず、ようやく2話のラストまで見せて ちょっと面白くなったかもと少し乗り気になった様子。


韓ドラにハマっている人達は '韓ドラは3話まで耐えて' というお決まりを知っていますから、まだもう少し見てみよう、と思えるんですよね。

韓ドラと他の国のドラマを比較したい訳でも、こういう脚本が良い、悪い、という話をしたい訳でもありませんが、
最近は記事でもよく見かける '見続けられない視聴者'を意識した '手っ取り早く消費できるドラマ' が増えてきているように感じるのです。


顕著になったきっかけにも思えるのが、TikTokやインスタのリールなどのショートムービーが載せられるSNS。
たった数分ないしは数秒の動画に私達は心を揺さぶられ、涙を流したり笑ったりします。時にはドラマや映画の切り抜きまで投稿され、数分でそれらは'消費'される訳です。
勿論、そのSNSがきっかけで本編を視聴したくなる人が増えるのであれば、それはSNSの成功した使い方になりますね。
しかしその数分で満足してしまう人が増えるのであれば、'ドラマを3話まで耐える視聴方法' を実践できる人は確実に減っていくと思うんです。

サブスクが増えた世の中ですから、視聴するドラマは昔よりもかなり多くの選択肢から選べるようになりました。

その中で視聴者に見続けてもらうために、序盤から一通りの'設定'になる部分を説明し、しっかりとした展開まで持ってくる。なんなら視聴者の心をつかむためにタイトルまで説明的だったり。

ドラマがあまりにも消費物になりすぎているんです。

勿論、3話まで耐えなくても面白いドラマも、3話まで耐えても面白くないドラマもあります。
耐えるというのはどうもマイナスな言葉な気がしますが
ただその我慢している1〜3話も、ドラマにおいて重要な土台になっていると私は思うんです。
先程も述べましたが、私はこういう脚本が良い、悪い、という話がしたい訳ではありません。
ドラマを視聴する側 がもう少し心に余裕を持たせて、その'耐えている'と感じる時間さえも楽しめたら最高じゃないですか?
という話がしたいのです。



最初に例に出した「私の解放日誌」で考えてみます。

※以下「私の解放日誌」のネタバレを含みます。


物語でヨムミジョンと一緒に主人公を担うク氏ことクジャギョンは、1話ではほぼ一言も話さず、2話でも短い短文を三言くらい話すのみで、3話になってようやく少し長めのセリフを話します。
その3話までで、主人公にとっても視聴者にとっても、ク氏の情報はミジョンの家で働いているということ、飲んだくれであるということ、無愛想であるということしか分かっていません。
その得体の知れないク氏が、主人公の日常に溶け込みながらも日常ではない存在として強烈に活きてくると感じるのです。

またストーリーも、1、2話と見進めていっても特に大きな出来事は起こりません。
彼女と別れても、飲食店で失態を犯しても、同じように遠い家を目指し帰宅し、黙々とご飯を食べ、また会社に出勤する。会話も少なく、ただ日々をこなす主人公達を見ているうちに気づけば1話、2話と進んでいってるのです。
その変わらない日常を淡々と、湿度のある演出と共に見進めるこの時間あってこそ、タイトルにもある"解放"が活きる訳です。
大きな概念のような"解放"という単語を視聴者に馴染ませるには、その少し長い土台が必要であったと思うんです。

韓ドラは脚本家の意思であれば長さを調節して制作できるのが特徴です。(実際のところどうかはよく分かりませんが…)
表現のためなら時間を惜しまず、一言も発さない数分間の描写を取り入れることもあります。
ショートムービーなど数分で心を動かす動画が流行る中で、表現に対する確固たるこだわりを持って時間を惜しまない表現を貫いた「私の解放日誌」に、私はどこか希望を感じたのです。


土台となる1〜3話も、脚本家や演出家の特徴は十分に現れます。そのドラマの空気感や世界観を知るんです。数分で面白い展開が起きなくても、その世界観の中で、心に余裕を持たせて'待ってみる'んです。
…現代人は忙しいですから、そんな待っている時間は無いと言われれば反論のしようがありませんがね…(笑)

つまり、たった一つの展開も、土台があれば100倍楽しめるということ、
それを知って是非ドラマを鑑賞してもらいたいのです。


それでは👋🏼

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