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日記「花火」

9月12日(日)

僕が農業を志そうと思ったのは突然の出来事でした。僕は進路に関しては情熱を燃やしてきた人です。人生勝ちたいという思いで、昔から勉強には熱意があり、打ち上げられた花火のように猪突猛進していました。

ところが進路ごとの集大成「就職活動」に対してはなぜか本気になれませんでした。というか大学の勉強にも失望していて、活力を失っていました。自己分析を重ねて、あれやこれや瞑想して、理想の生き方を2年以上模索していました。

アメリカ3年目の2019年9月、アパート暮らしを始めたのをきっかけに、自炊生活になりました。料理は初めてでしたが楽しくて、下手も知らずに毎晩オリジナルの創作料理を作ってました。父と同じ料理人になることもアリだと思いました。

翌年からは友人とご飯会をする機会が増えました。めちゃめちゃ美味しくて、僕は料理では勝てないと思いました。それじゃ原料生産の方に回ろうかという考えが元で、農家を志す運びになります。

考えてみると農業はいろいろな意味で僕の将来の希望イメージとぴったり合致していました。これしかないと確信して進路探しを再開します。そして友人のご家族の元に弟子入りという形で農家への道を確かめました。2020年6月くらいのことだったと思います。

僕は安心しきっていて一切コミュニケーションしなかったので先方の不信を買いました。同時期に交友関係に疲弊していたのも重なって自信喪失、これだけの文章で同情は誘えないと思いますが、ほんとに暗黒時代でした。ドライブしていると余計なことを考えなくて済むので、東西南北行ったり来たりしていました。時には、あっちへ突っ込んでしまえば全部終わるなぁというような誘惑が頭をよぎったこともありますが、それでも農業をやりたい気持ちが強くありました。

耐えかねて学期途中の3月に帰国します。授業はオンラインに切り替えてもらいました。はやりごとの特別処置に便乗した形です。ところが親方はその月末にご逝去され、お話しすることは叶いませんでした。思考停止もいいところで、卒業できなくなってアメリカに戻る8月上旬まで農作業に参加させていただいておりました。

農業に対する僕の期待は間違ってなかったと分かりました。しかし先方との関わり方には心配が絶えないのが実情です。良い関係を築いていくためには腹を割った話し合いが不可欠ということはお互い把握しています。最近はそれに向けて少しづつ資料を作ってきました。今日は大学の課題は終わっていたので、一日中それに取り組んでいたのです。なんとも言えない気持ちになっていました。勉強している方がメンタルヘルスは保たれます。

僕は昔から考え方が独特で、特に道徳の授業では少数派を代表してきました。尾崎豊の歌を聴いて同情するタイプです。尾崎はまともな人がそのまま解釈すると悪いことを言いますが、あれは単に探し求めているんだと思います。ミスチルの桜井さんも尾崎リスペクトを表明しているそうですが、その通り僕はミスチルも好きです。今日はまさに「HANABI」な一日でした。

 

参照:打ち勝って進んでいく応援歌集

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