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終わる日記(2024/10/20)

2024/10/20

寒すぎ。起きてすぐティッシュに急いだら、透明なねばっこい鼻水が出て止まらなくなった。トイレットペーパーを切らしていて、というのは、残りわずかでつぎ使ったらなくなるとかではなく、昨日使ったときに最後の1ロールがまるまるなくなったので本当に切らしていて、ただちに買いにいかなくてはならない。便意がこないうちに。白湯を飲もうとして、便意がくるかもしれないからとやめて、水栓のレバーを温かい水から冷たい水へと折る。

石橋商店街を歩いていたらポテトを食べながら歩いている女がいた。ドラッグストアでいつものシングルのトイレットペーパーを選んで、それだけでレジに行くのも恥ずかしいのでタフグミを足す。お支払い方法はどうされますかと言うが聞こえていなくて、もう一度お支払い方法はどうされますかと言うが聞こえていなくて、3度目のお支払い方法はどうされますかでようやく気づいた男がイヤホンをつけていなかったことにびっくりした。ついでにちょっと散歩しようと思って、そんなことよりトイレットペーパーを持って帰らなくてはと気づく。

なんかこの一年いろいろあったなと思う。編入以後。独り暮らしをはじめた。編入以前は松江で以後は大阪。大阪で一年か。…いや、一年半が経った。松江→大阪、それは劇的な変化だった。洗濯をやり忘れているから今日やらないと今日のパンツがなくなる。

めちゃくちゃ日記を書いた。6日ぶん。しかしこんなにばたばた連投されても読む人も読めないだろうと思う。終わる日記を再開してから今日で20日。しかし頑張りすぎなくてもいい。いつ終わってもいい。終わる日記。やりたくて始めた日記で日記でだめになっては本末転倒なのか。日記があることでその他いろいろの別軸にだけ固執しなくてよくなるというのはある。むろん、いっかいでも頑張らなかったら以降頑張らなくなるというわけではないし、性格的にもそうではないはずだ。ちゃんとやらなくてもいい。しかしそれを恐れている。僕は日記を、毎日更新するか終わるかの二択しかないと思っている節があって、五月雨式にだらだら続けていくことをどこかかっこ悪いことだと捉えているところがあるらしい。どうしてそうなってしまったのだろう。しかしこれはおまえが勝手に始めたことなんだからおまえが終わりたいときに勝手に終わればいいし、誰もそれを止めたりはしないよ、どうぞご勝手に終わってくださいませ。とか言われるだろうか。あなたは何と言いますか。春に終わる日記が終わったとき、終わる日記は終わるけど、僕が終わるわけではないと思った。僕は終わる日記があるからこそ、こうやって僕を保っていられるのかもしれない。とはいえ日記との向き合い方をいま一度考えなくてはいけないという局面にきている。終わる日記は終わる。

窓の外から、ごめん風でなんも聞こえねえ、と自転車に乗った少年が通り過ぎていく声が聞こえた。シャワーを浴びる前にお湯に変わるまで待つ時間が長くなった。

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