寝屋川監察課美談の裏にある家庭の歪み


こちらの女児が行政のおかげで救われたニュース
記事だけ見ていたなら良かったと、ただ思えていただろう。
読んだあと親のアカウントで一連の流れを読むとちょっと待ったをかけたくなった

以下が親のツイートである

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些細って何回言いました?

故意ではないから些細だと言うのですか?
違いますよね、いじめって当人が「つらい・傷ついた・哀しかった」
そう受け止めた時点で成立するんです。
この親御さんは勝手に娘さんの想いを低く見てないがしろにしたんです。
一貫して些細なこと、家庭内で話せばいい程度の認識のままで。
実際その辛さは打ち明けた時点で生まれてきて最も苦しく哀しかっただろうと、過去当事者であった自分は思います。
それを些細なことと一蹴された心の痛みは計り知れません。

今回をきっかけに彼女は親は何もしてくれないものと、認識するかもしれません
親が些細なことと言うのは、今後娘さんの相談を諦めさせることになると思います。
寧ろこうやって行政へのSOSを出す方法を見つけて親や学校以外に相談を持っていったことで、すでに見限ったのかもしれません。

しかし行政がこうやって親身になって助けてくれるという信頼関係ができたことで、儚くなってしまうことは遠ざかったとおもいます。

親に些細なことだと取り合ってもらえなかった事で失われた命があります。
私も失敗していなければその中の一人でした。
それくらい大人が思う以上にその時の辛さは尋常でなく、助かる道としての自死はとても近くにある物なんです。
知らない人は一生知らずにいると思いますが自死って凄く身近で、ふらっと選ばれるものです。
無意識に死ぬことを考えて、やり方を模索して、実行する。
どんなに幼い子でも……実際6歳で旅立った子もいます。


だから保護者の人は些細だと言わないで欲しい。
その辛さはそれまでの人生で1番つらく逃げ場が見えなくて、真っ暗に感じるから。
大人になれば笑える程度かもしれない、でも小さな社会の中で逃げ場もなく逃げ方もわからない子供には絶望なんです。


故に行政が親に放棄された子供の声を拾い上げてくれたことが、とても素晴らしく思います。
そして彼女のまわりにSOSを出せる媒体を用意してくれていたことに感謝します。


主観推測が多分に入っている文ですが、ただ言えることは子供の気持ちを
勝手に些細な物だと決めつけないでほしいということです。

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