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譲り合いの文化はウソ

最近毎日のようにニュースで高齢者ドライバーが起こした死亡事故が報道されてる気がする

しかも起こした事故について責任を取ろうとしない人ばかりで挙句車のせいにしたりする輩も

何十年生きてきて人殺した第一声が自分のせいじゃないなんて遺族からしたら溜まったもんじゃないだろうに


ちょうど自分も教習所に通ってて路上に出て4車線を平気な顔して渡ろうとする人とか道路の真ん中逆走して走ってくる自転車とか全員が全員じゃないけどやっぱり高齢者が多い


別に高齢者は嫌いじゃないし良い人だっていっぱいいるのは分かってる


でもだからといってルールを守らない人を許しては絶対に許してはダメ。自分は長く生きてるっていう経験則で勝手に対向車や歩行者が譲ってくれるだの止まってくれるだの決めつけて運転してたり歩いてたりする


もちろん迷惑かけられてる人間も引きたくないから止まるし譲る


そうやって自分は譲られる人間だと勘違いしていく

京都の住宅路を友達と自転車で走ってたら前の自転車の人が毎回十字路の手前でベルを鳴らしてた。友達になんであの人鳴らしてるんだろ?って聞いたら、十字路で自分が渡ること知らせて止まらせようとしてるんよ、自分はそもそも止まる気ないからね。って

その人だけかと思ったら後日何人もそういう高齢者を見かけた


自分優先という驕り。そして他人への無責任で一方的な甘え。


絶対ダメだ。譲り合いの文化だなんてウソだ。迷惑かけられてる側が苦しんで、時にこういう風に犠牲者になるんだ   こんなのおかしい。

だからといって高齢者ヘイトを募らせるだけのネット弁慶もおかしい。しっかり認知力も衰えてなくて安全運転してる高齢者だってたくさんいるし、交通規則守ってる人もいる。一括りにするのも違う。


具体的に免許更新や高齢者講習を厳しくしたり免許無効になった人の車を買い取るなりなんなりしてその人の手元から離さなくては解決にならない。地方の人は困るって声もあるけど、そのためにこれから何人の罪のない人々が犠牲になるのか。これだけネット通販が普及した今でもそんな言い訳をふりかざすのか。


今、自分達に出来ることなんて本当に少ない。ヘイトを撒き散らすことでも仕方ないで片付けるでもなく、自分を省みて他人に甘えていないか、迷惑かけてないかを再確認することが1番大切。家族にも注意喚起したりもできる


譲ってもらうことが当然と思っちゃいけない

譲り合いじゃなく謙虚な心の文化であって欲しい、この国は。








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