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自己啓発書の副作用

自己啓発書は中毒性の高い嗜好品です。
作用するのは脳みそで、タバコのように匂いがついたり、酒のように顔が赤くならない上に、読むことを推奨されています。自分でこのことをよくわかってないといけないと最近特に思います。

読んだ直後はやる気に満ち溢れて、未来に希望も見えてきます。しかし、読んだ記憶が薄れてきた頃に嫌なことが起きたり、自己啓発書のやり方では通じない出来事が現れたとします。

そうすると新しい自己啓発書が欲しくなり、本屋や図書館に向かい、またしばらくは上手くいくが上手くいかなくなって、また別の自己啓発書に手を出すことを繰り返し…というサイクルに陥る人もいるかと思います。

良心的な著者であれば「自己啓発書を一冊読んでおけば必要なことは大抵書いてある」と、必ずどこかに書いておいてくれています。

ある自己啓発書の教えを調子が悪くてもやり続けることが試されているのだと捉えて、上手くいかなくても不恰好でもやり続けられると見えてくるものがあります。
 
これと似たような話は何かしらの技術を習得する過程で皆さん話を聞いたことがあるかもしれないです。例えば、ピアノ。

今年実家に帰った時、ピアノを弾いてみました。その時に一曲を色んな方法で弾けるように練習する過程を通らないと「弾き熟す」という境地には辿り着けないのだろうということがピアノ道の入門者ながらよくわかりました。
片手だけでも「ハッピバースデートゥーユー」の音を出すことはできるけど、両手を使えると和音が出せて、よりプロっぽい音を出せるのです。

初心者や中級者になるには鍵盤のどこが何の音かわかり、利き手でない手でも弾けること、楽譜が読めるような訓練を積んで初めて次のステージに行けるのです。
僕の場合は利き手と逆の手は左手になるのですが、左手で文字を書くのは本当に難しいです。昔漫画の「メジャー」を読んで実際にやってみたことがあるのですが、文字を書き始めるポイントがわからず苦労しました。

こんなふうに、人がやっているところを自分で再現するのはたった何音階かの1分にも満たない曲の楽譜ですら大変なのに、生き方や行動を長期間真似するなんて相当大変です。

成功者の体験を手当たり次第聞き齧ったり、読んだりしているだけでその成功者と同じだけの名声を得られるかなんてわかりません。

中学生が小説仕立ての自己啓発本を背伸びして読むのはまだわからなくもないです。

新しい教えに飛びつくよりも、すでに信奉している教えがある!というのであれば、既存の教えに従い続ける方が、あなたが何某かの目的を達成する確率は上がるように思います。


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