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入院したのは母だけど、父の方が心配だったりする


父からの電話

スマホの着信画面に「お父さん」の文字。

この歳になると親からの電話ってドキドキする。何かあったんじゃないか。日ごろ父と電話することなんてないから、とっさに母に何かあったんだと不安がよぎる。

「お母さん、今日緊急入院したんだよ。」

申し訳なさのこもった声でいうからこちらもうっ…となる。

数日前痛みに耐えかねて病院に行ったら卵巣に赤ん坊の頭くらいの大きな腫瘍が見つかったらしい。手術にあたって精密検査の予約をしていた矢先に急激な痛みに襲われて緊急入院。準備が整い次第、まもなく手術がはじまるという。

やっぱり悪い方の電話だったか…ということに落胆しながら父の話を聞く。コロナで手術の立ち会いや面会も制限されているという。父も「手術がはじまるときは連絡します」と言われただけで家に帰って待つしかない状態だ。

「病院から連絡あったらまた電話するから」と言われて電話を切る。

父のしょんぼりした声が残る。


「お母さんは死んじゃうんだ」と思っていた

わたしが幼いときも鉄剤が手放せなかった母は、仕事の合間に店の裏にある椅子に体をあずけきって体の不調をなんとかやりこめていた。辛そうな顔で横たわる母を見て「お母さん、死んじゃうんだ」と幼いわたしはそのうち母は病で死んでしまうと思っていた。

いま考えたら月のものの仕業だろう。毎月忘れた頃にひょっこり体に悪さをしながら不要なものを体の外に排出する。排出するだけでも毒々しくてうんざりするのだから大人しく出てくればいいものを「わたしに気づかないってことはないでしょうね?!」とひと暴れもふた暴れもするやつ。母は70近くなってもこうして悩まされているのだから生殖器ってまじ何なの。


父の生活スキル弱っ

2年前にも母がめまいで倒れたことがあって、父に「洗濯機の使い方を教えてくれないか」と聞かれて心底がっかりした記憶が蘇る。え、洗濯機ってボタン押すだけだよ?マジか。洗濯物を入れて洗剤をセットしてボタンを押すだけ、ただそれだけのことも70過ぎてやったことねーのかよこのオヤジ。とその時母のめまいは父に原因があると悟った。

今回父からの一報を受けて、正直なところ「あー、またお父さんの世話しにいかなきゃだな」とフェミニズに反して家政婦的役割を自ら買って出ることにうんざりした気持ちがした。万一、父が倒れても母一人でなんとかやってしまうだろうが母が倒れると他の女手が必要になるやつ。何これ。

母の入院で必要なものを一通り揃えてやると、あとは父の身の回りの世話が問題だ。「お父さん、ご飯は食べてるの?」と聞けばレトルトのご飯でなんとか凌いでいるから大丈夫だという。「洗濯は?」「今日洗濯して、部屋干しした」と。おそらく母にわたしの手は借りないように言われたのだろう。プライドもあるだろう。誰かの手を借りないと生きていけない情けなさを前回のときに実感していたのかもしれない。

元の場所に戻すという片付けの基本ができないくせに、勝手に移動したものなら激昂する父には「お母さんが帰ってきたら汚くしてうんざりさせないでね」とチクリ言うことしかわたしにはできなかった。


適度な距離で

「腐らせちゃうから」と父に言われて持って帰った山ほどの野菜を明日どうにかしてやろうと思っている。ちょうど母の田舎から送られてきたきゅうりやなす、ピーマンが大量にあるので漬物にしたり炒め物にしてジップロックに入れて父のところに持って行こうかな。

「大丈夫」と言うなら適度な距離で見守るしかない。人はいくつになっても気づくことができるし、気づいたときに自らちょっとしたハードルを越えないとならないのだと思う。きっとそのハードルはエベレスト級の途方に暮れるようなものじゃ全然なくて、そのときの自分がすこしジャンプしたら乗り越えられるようなもの。父のハードルは父が越えないと意味がない。

わたしも「父は一人で生きていけない」という思い込みを捨てよう。大丈夫、わたしの周りにいる人たちはそれぞれ自分で生きていける。わたしが嫌々家政婦プレイをしなくても良いのだ。夫も娘も。この時代、なるようになる。だって、わたしも父も恵まれた環境にいるのだから。ないものばかりを見て暮らすのはやめよう。


父、ガンバッ!!




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