ポッドキャスト#004収録しました。
女友達エミリーとはじめたポッドキャスト。「#004_「アメリ」にならって小さな好きなものを言い合おう」を収録しました。
♪あんこぉ〜
あんこって時々無性に食べたくなる。諸外国では「甘く煮た豆」というのがどうも受け入れ難いらしいがこの歳になると巷に溢れた洋菓子はさておき和菓子=あんこを時々必要とする。エミリーが言ったようにあんこは懐が深い。主食の米さえもくるりと包んでしまう包容力ったら半端ない。欧米勢のミルクやバターだってバシッと受け止める。クリームあんみつにはクリームを花に持たせつつ黒蜜とタッグを組んで後味をしっかりカバーするし、あんバタートーストに至っては、2対1と完全に劣勢なのに友好条約を確実に結んでみせる。相手の良さを引き出して見事な調和をみせるあんこ。どこかどん臭い名前もまた愛らしい実力派にわたし達は日本の誇りを感じるわ。
ギャンブルな生き方
TikTokが国内で使用禁止になったところでわたしに影響はないかもしれない。でも問題はTikTokだけではない。いまスマホの中に入っているアプリがいくつあって開発された国がどこかあるいはどんな思想を持った人たちが作ったかなんて考えたこともなかった。技術的なことはわからないけれど、こうしてITデバイスを使って買い物や発信などの「生活」をしている以上、使っているデバイスやアプリを作った会社のフィロソフィーやらコーポレートアイデンティティを知らないでいるのはいよいよ危険になってきたらしい。加えて新型ウィルス騒ぎで生命まで一か八かの選択を迫られている。なんていうか、自分の人生を常に賭けているような気がするよね。
小さな好きの積み重ね
全ての物質は一瞬の点が連続して存在しているのだという。まばたきしている間はその瞬間を見ることができないようにわたしたちは点滅しているのかもしれない。瞬間の連続が「生きる」ということならば心地よい瞬間は多い方がいい。小石を拾い集めるように自分だけの「好き」を探してみる。娘のやわらかな長い髪を束ねるときの感触とか、水筒いっぱいに麦茶を入れるときの音とか、新しいノートを広げたときのワクワクとか…そういう小さな好きを感じ取れる自分でいつもありたいよね。
ひとりで立てるように
「耐え忍ぶ女」像は昭和に置いてきたはずだ。おしんのように女として生まれた自分を出来損ないのように感じながら男に苦労をさせられるのが当たり前の人生なんて嫌だ。理不尽に耐えられたのは小さな飴に満足していたのではなく、女が男にはなし得ない命を誕生させることそのもののの優位性を感じ取っていたからだろう。でももう許したり受け入れたりするのはそろそろやめにしないか。「お母さんはいいから…」と言っていた母はいま父親の教育に苦労している。女も男もそれぞれが寄りかかることなくひとりで立てるようになったら忍耐なんて必要ないと思うんだけど?女性がライジングしていく作品をみて「耐え忍ぶ女」像を塗り替えたいよね。
…更新が遅くなったのは韓国ドラマ沼にハマっていたからでした。
ここでお詫びします。てへっ。
また来週で〜す♪(今週末だよっ!)