見出し画像

ポッドキャスト#014収録しました。

女友達エミリーとはじめたポッドキャスト。

「#014_映画『82年生まれ、キム・ジヨン』、平日休みのススメ」を収録しました。


コン・ユ目当てで飛びついて、泣かされた

「82年生まれ、キム・ジヨン」の本が日本で発売されてから、お噂はかねがね方々から良本だということは聞いていた。“韓国”、“女性”というキーワードにどこか従軍慰安婦問題(その当時、しきりにニュースで取り上げられていた)をイメージさせる重苦しさがあって、読んだのはそのずっと後だった。「82年生まれ〜」の映画化が決まり、夫役がコン・ユだというツイートが流れてきてやっと手に取ることになった。

読み始めて、数ページ読んだだけなのに、胸が苦しくなって堪えきれずに泣いた。どこか嗚咽のこもった様な苦しい涙で、途中あまりにも苦しくて何度も本を閉じた。呼吸を整えてからもう一度本を開いた。今まで目の前にあったのにまるで見えていないかのように見て見ぬふりをしてきた、させられてきた事実がくっきりと浮かび上がってきたような。まさにパンドラの箱を開いた、そんな思いがこみ上げて、溢れ出る悲しみをこぼしながら泣き続けた。どこかこれまで感じていた“わたしは出来損ない”だという思いは、“わたしが女だったから”というとんでもなくお粗末な理由だとわかって、ガッカリを通り越して悲しくて泣くしかなかった。絶望感とはこういうことか。小さな箱に入れられて時折欲しくもない飴をもらって「それで満足しろ」と言われているような見下された感覚はわたしが女だったからなんだって。何それ。


タワマンに住んでても募るモヤモヤ

映画の中のキム・ジヨンが住む家はなかなかの高級マンションだと思う。ソウルのタワマン、ドアを閉めたらオートロックが掛るし、洗濯機が置けるくらいの広いベランダもなかなか羨ましい。決して生活に困っているわけではないのに、ジヨンは疲れた顔をしている。心をどこかに置き忘れてきたような目をして、髪を一つに束ね化粧気のない顔で淡々と目の前の家事や育児をこなす。“これはわたしがやらなければいけない仕事”だと言い聞かせながら。

結婚制度というものはつくづく女を不自由にする仕組みだと思う。労働力を確実にするために男1人に対して、それを支える女を当てがうという生産性と出生率の両方を叶える方法を生み出した。自然発生的に妊娠・出産で動けない女が家を守るという構図が出来上がった結果、「家族インフラの構築・運用」という賃金の発生しないめんどくさい仕事を勝手に任命されてしまった。異議は認められない。

ジヨンは実家に帰ると眠る。全てから解放されたようにこんこんと眠る。それがたとえ一瞬のことだとわかっていても。ジヨンの母は眠るジヨンを起こしたりしない。家族インフラの運用がどんなに大変かよくわかるから。いまだけはそっと寝かせておいてあげよう。


好きなのはクリームパンだよ、お父さん

ジヨンの様子がおかしいと聞いて、末っ子長男の息子のことばかり気にかけていたジヨンの父が「ジヨンはあんぱんが昔から好きだった」と言って息子に持っていかせる。袋にどっさり入ったあんぱんを見てジヨンが「あんぱんは昔から苦手。クリームパンが好き。」だという。お父さんは何にも見ちゃいない。自分の娘に興味がないのか。あんぱんと同じようにジヨンが欲しくもない漢方薬を送りつけて心配してやった気持ちになるんだろう。本当、何にもわかってない。同じ家で生活を共にしていたのに、娘の好物さえまともに知らないなんてほんとガッカリ。

わたしの夫もジヨンの父と同じような無神経さを見せる時がある。自分がおいしいと思った食事のおかずを“良かれと思って”娘の皿にのせることがある。「これ、おいしいぞ」と言いながら。娘が望んでいるかどうかはお構いなしに皿にのせていく。その瞬間、娘はうんざりした顔で「いらない」と言い、不服そうにして夫は自分でそれを食べる。娘の皿にのせる前に「これ食べる?」と聞くことはそんなにも難しいか?娘の苦手そうなものくらいわからないか?と、見ているわたしは夫の強引さが不思議でたまらない。優しさが自分本位なんだよ。それって押し付けだよ、優しさじゃない。


「ねばならない」なんて一つもない

ジヨンは「うまくできる人もいるのに、できない自分が悪いんだと気づいた…」と言い、ジヨンの夫は「俺が君をこんな風にしてしまったんだ…」と言う。「自分が悪い」と思うのは誰かのせいにしているのと同じで、あまり意味がないと思う。問題の原因というのは、あらゆる事象が複雑に絡み合っているものだから、誰かが100%悪いなんていうことはないのです。ジヨンについて言えば、社会的背景もあるし、子育て真っ最中という身動きの取れない時期ということもあるだろう、義父母の対応の問題もあるし、ジヨンが乗り気じゃないのに妊娠したのもあるかもしれない。

ステレオタイプに物事を考える人たちとは距離を置き、「自分はどう生きたいのか?」に耳を傾けよう。(コン・ユと)結婚しても、子供が産まれても、タワマンに住んでも…自分を大切にしないとベランダに出て静かにため息をつく人生になってしまう。

自分のなかにある「ねばならない」から自由になろう、束ねた髪を解くように。


では、また来週で〜す♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?