食べ物の好き嫌い と マスク同調圧力

コロナでマスク着用が広がっている。

そんな流れに反対の人が一定数いるようで、いろんな意見が出ている。

そんな中の1つが「同調圧力」である。マスクの着用はあくまでお願いであり、義務ではない。なのに着用していないと白い目で見られる。それは同調圧力そのものだというのだ。

しかし、私はこの主張に違和感がある。マスク同調圧力を擁護するのではない。なぜマスクだけなのか?

世の中の大抵の物事には、それを好きな人と嫌いな人がいる。犬が好きな人がいれば、嫌いな人もいる。当たり前のことだ。「犬が嫌い」という人がいても、「まあそういう人もいるかな」くらいで大きな問題にはなりにくい。しかし、嫌いの対象によっては白い目で見られるのだ。

代表例が食べ物。食べ物の好き嫌いがあると、以下のように思われることがある。

<食べ物の好き嫌い否定派の意見>
・わがまま
・親のしつけが悪い
・自分の好きなものの悪口を言われると嫌な気分になる
・食事場所に気を付けなければいけないので面倒
・好き嫌いないほうが人生楽しい。好き嫌いに気を使わないといけないのに、なぜ直さないのか
・好き嫌いの多い人は、他の物事でも好き嫌いしがち
・世界には食べ物が手に入らず、困っている人もいる
・食事をするのに気を使って楽しめない。

私は食べ物の好き嫌いがある人間である。給食の時間が憂鬱だった。学校の先生は「好き嫌いはダメ」という態度で、嫌いなものを無理やり食べさせたものだ。

「食べ物の好き嫌いは認めない」「好き嫌いする人とは一緒にいたくない」というなら、それも同調圧力である。好き嫌いは犯罪ではない。なのに、好き嫌いがあるだけで白い目で見られるのである。

しかし「なんでも食べろ警察」などという言葉は聞かない。マスクの着用に大騒ぎするのに、嫌いなものでも頑張って食べることはおおむね受け入れられている。

「マスク強制」を批判するなら、「嫌いな食べ物強制」も同じトーンで批判してほしい。マスク嫌いを尊重しろというのなら、食べ物の好き嫌いも、同じトーンで擁護してほしい。無理強いする対象が違うだけで、やっていることは同じなのだから。

ちなみに私はマスク好きな人間である。コロナ前から、外出時はマスク着用であった。しかし、他人に強制しようとは思わない。咳エチケットをしない人、人に感染する病気なのに一切対策せずに外出している人のことは嫌いだが、思うだけで口に出すことはない。健康な人がマスクを着けていなくても、何も思わない。

ただ、今までいろんな同調圧力を受けた人間からすると「なんでマスクだけ?」と思わずにはいられない。結局、「食べ物の好き嫌いはないが、マスクは嫌い」な人が多数派なだけではないのだろうか。だから、食べ物の好き嫌いがある人を批判しつつ、マスクが嫌いな人を守ろうとする。

食べ物の好き嫌いを公言すると、子供なら克服するように周囲から迫られる。大人なら、白い目で見られる。マスクとは大きな差だ。

・「好き嫌いはないほうがいいよ」 マスク着用の好き嫌いはあっていいんですかね?

・「世界には食べ物がなくて困っている人もいるよ」 マスクがなくて困っている人もいるかもしれませんね。

・「あなたが嫌いな食べ物を好きな人もいるんだよ。自分の好きな食べ物を嫌そうに避けて悪口を言ったら気分悪いよ」 マスク好きな人もいるので、マスクに関する不満は一切言わないでくださいね。

・「食べ物の好き嫌いが激しい人はほかの物事でも好き嫌いが激しい」 マスク嫌いな人はどうなんですかね?

こんな風に、食べ物をマスクに置き換えるとずいぶん矛盾して見える。

もちろん行き過ぎたマスク同調圧力はおかしいのだろう。しかし、同調圧力は至る所にある。知らないうちに「加害者」になっているかもしれない。その顕著な例が好き嫌いである。

もちろん「好き嫌いを批判する人」と「マスク同調圧力を批判する人」が同一人物とは限らない。しかし、世間の取り上げられ方(漠然としているが)に大きな差があると思うのは私だけだろうか。

たいていの人は苦手なものの1つや2つはあるだろう。高所恐怖症は克服しなくて良いのか?動物が苦手なのはわがままなのか?数学が苦手な人は人間関係の好き嫌いも激しいのか?実にばかげている。こういう話をしても「食べ物の好き嫌いの話をしているんだ」と取り合ってくれない。どういうわけか、食べ物だけは苦手が許されないのである。その割には食べ物固有の理由を出してこない。例えば「世界には食べ物がなくて困っているので、好き嫌いをしてはいけない」という主張。これには「世界中の人にいきわたっていないものは全て、好き嫌いしてはいけない」というロジックが潜んでいる。凡例が山ほどある以上、主張は破綻している。

好き嫌いにはレベルがあると個人的には思う。「食べられるけど食べたくない」と「食べるとむせてしまう」では同じ好き嫌いでも雲泥の差がある。私は後者である。前者の食べ物もあるが、好き嫌いには入れていないし出されれば食べている。問題は後者である。口に入れるとむせてしまい、吐きそうになる。「口が受け付けない」としか表現のしようがないのだ。だが、そういう病気があるわけでもないので「好き嫌い」と説明するしかない。(ぼろが出そうなので、アレルギーだと偽るのもあきらめた)だが実際は恐怖症に近いものだ。高所恐怖症、閉所恐怖症、先端恐怖症と同じような扱いにして欲しい。


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