板前パンクロッカーズ 1
ホリエモンが「寿司職人になるために長い修行は必要ない」と言って炎上したり、ひろゆきが「寿司職人はどこに行っても食いっぱぐれない」と言ったり、寿司職人についてはSNSでもいろんな説を聞く。
「寿司職人になればアメリカですぐに永住権が取れる」なんていう、もう30年も前の話をいまだに常識のように話す人も後を絶たない。
日本での実情は詳しく知らないが、はっきり言って、アメリカで日本人が寿司職人として仕事を見つけるのは、とても簡単。働けるビザさえあれば、技術も大して必要ない。カリフォルニアロールが巻ければいい。1本巻くのに20分もかかるようだったらメキシカンのアミーゴに「ゲイ」呼ばわりされ、毎日ケツをパンパンされて笑われることになるけどね。いや、これはマジな話。
Twitterでちょくちょくアメリカでの寿司職人はあーだこーだと呟いているけど、こうしてまとまった文章を書くことはなかったので、経験者じゃなければわからないことをちょっと書いてみる。
僕が寿司職人になろうと思ったのは、単純に食うに困ったから。
2003年かな。学生時代にいいとこまでいってバラバラになっちゃったバンドを立て直そうと、元メンバーに誘われて西部のとある町に引っ越した。貯金なんてなかったから、すぐにバイトを探した。
その街でそこそこ知られた老舗日本食レストランが白人経営のレストランチェーンで、僕はそこでウエイターをすることにした。別にサービス業が好きだからやってたわけじゃない。引っ越した先の街でとりあえず現金が毎日もらえる仕事が必要だったから。
その会社が運営していた寿司屋のロケーションは5つあり、同じ系列なのに店によって仕切っているのが白人系だったり、コリアンだったりで、あまりまとまりのない会社だった。メニューも店ごとに違ったし。
そして、そこの総料理長が日本人ではなく白人で、両腕にタトゥー、両耳たぶには親指が入るくらいのデカい穴が開いていた。
総料理長の名前はJ。当時24、25だったと思う。もともとパンクロッカーで、14歳の時にはすでに真っ赤なモヒカンを立ててライブに通っていたらしい。ハイスクールの時に皿洗いのバイトをしていた日本食レストランで、某有名日本食チェーンで寿司の指導をしていた年配のF先生と出会い、その技術に感動して日本食を愛するようになったそうだ。
僕が会った時はJの背中にタトゥーはなく、日本で和彫を入れてもらうために空けてあると言っていた。日本好きのアメリカ人はたくさんいるが、彼ほど日本に惚れ込んでいるアメリカ人を僕は知らない。「日本が好き」なんてレベルじゃなく、自分が日本人だと思っているくらい。今では全身に和彫りがびっちり入っている。ちなみに最初に予約を取ってあげたのは僕。
Jの師匠、F先生は英語が全く話せなかったので、Jは寿司をすべて日本語で覚えたらしい。しかも教え方は頭を小突いたり、罵声を浴びせたりの、バリバリの日本式。だからJは白人のバイトだろうが、コリアンのシェフだろうが、自分が教えてもらったのと同じように、「バカヤロウ!」と日本語で罵倒していた。しかもJはそれを楽しんでいるからタチが悪いのだ。
実際、Jのハラスメントまがいの言動に耐えきれずに辞めたアメリカ人は数え切れない。Jはどこの店舗に行っても嫌がられていた。厳しい上に言葉遣いがものすごく悪いから。
下ネタもすごい。ここではいちいち書かないけど、ユーモアのセンスが独特で、Jと話すのを楽しみにしている常連も大勢いた。要するに、アンチとファンが大きく分かれるタイプの人間だ。
そんなJだけど、寿司に対してはものすごく真面目。
アメリカには自分の求めるレベルのシェフがなかなかいない上に、アメリカ人の仕事ぶりはテキトーなので、なんとか日本人の寿司職人を集めようとがんばっていた。Jは日本人相手には出来る限り日本語で話し、寿司ネタや隠語、寿司に関わる言葉は全て日本語、ウエイターがマグロを英語で「Tuna」と言おうものなら、「Maguroだ!」と言い直させた。
そんなとき、サンフランシスコのいくつかの有名店で料理長をしていた日本人のTさんが総料理長としてやってきた。創作料理が得意で、芸術のような盛り付けをする腕の良い50代の職人だ。Jの強い要望で、会社がある程度お金を積んで来てもらったらしい。これで全店舗のキッチンはTさんが、スシバーはJが面倒を見ることになった。
組織が新体制になったある日、営業後に片付けをしていると、Jが寿司ネタケースのガラスを拭きながら
J「お前、日本人なのに寿司屋でウエイターやってるなんてバカだな」
と言ってきた。
J「ウエイターなんてなんのスキルもないバカのやる仕事だぞ。しかもお前は客と話すのも好きじゃないだろ?もう、ウエイターですらないな。order takerだ」
全くその通りで、返す言葉もなかった。
J「1番バカだなと思うのはお前が日本人なのに寿司をやってないことだな。日本人が寿司をやるなんてこんなクールなことないぞ。おまえ寿司やれ!」
僕「えーー、興味ないからいい」
J「ファッキュー。ユーアーファッキンゲイ」
こんな感じのやりとりは初めて会った時から何度かあったが、その日以降、Jはことあるごとに僕に「寿司職人になれよ!」と誘ってきた。
僕はJのことが好きだったし、Jが日本人の寿司職人を欲しがっていたのは知っていたので、協力はしてあげたかったが、僕は寿司に興味がなかった。この街に引っ越してきたのはバンドをやるためだったし、包丁で指でも切って、バンド活動に支障が出るのもイヤだった。
当時はJをはじめとして、20代の若いスタッフが多かったので、仕事帰りに近くのバーやクラブに繰り出すのが日課となっていた。
僕も3回誘われたら1回は行くようにしていたが、その日はTさんからのお誘いだった。
Tさんは僕より二回り年上で、趣味はゴルフ、酒は下戸。特に接点はないので、なぜ誘われたのか気になった。
緊張しながら、待ち合わせ場所のバーに入ると、TさんとJがブース席に座っていた。僕はTさんの目の前に座った。
Tさん「お前このままウエイターやってどうすんの?」
僕「バンドやりに来てるのであんまり考えてないですね」
Tさん「でも飯は食わなきゃならねえだろ?今の稼ぎでやっていけんのか?」
僕「まあ、生活ギリギリなんで。。。転職は常に考えてます」
Tさん「こんな街じゃ日本人が就職するの難しいだろ?」
僕「そのうちバンドごとLAに移るつもりです」
Tさん「へー。んで、どうやって飯食うんだ?またウエイターか?」
そう言われて僕は黙ってしまった。
僕には特別なスキルがない。
Tさん「寿司職人ならどこ行っても仕事あるぞ。でもJに聞いたけど、お前は寿司やりたくないんだろ?」
そこですかさずJが口を挟んできた。
J「お前は日本人だからな。7年のキャリアがある白人のオレより簡単に仕事見つかるだろうな」
Tさん「まあそうだな(笑)」
僕「ニューヨークでも?」
Tさん「ああ。どこに行っても食うに困ることはないよ。『手に職』ってやつだ」
僕「指切ってライブ出来ないとかイヤなんすよね」
Tさん「指なんて切らね、いや、切るよ。そりゃ切るけどそんなに切らねえって」
僕「ライブの時とか休みたいんですよね」
J「代わりに誰か入れるから大丈夫だ」
僕「でも給料安いんでしょ?」
J&Tさん「寿司ブームだぜ?仕事覚えたらどんどん上げてやるよ!!!」
Tさん「Jの車、見てみろよ(BMWのZ3)(笑)」
僕「どのくらいやればすぐに仕事が見つかるレベルになりますか?」
Tさん「1年でも2年でもそれはお前次第だよ。いいか?寿司職人は仕事が早ければいくらでも仕事が見つかるんだ。どこでも、だ」
僕はあっさりと説得され、そこで
「それではよろしくおねがいします!」
と2人に頭を下げた。
「Tさん話うまいよな、すけちゃん!」
Jが満面の笑顔でドリンクを追加、僕の肩をガシッと掴み、そして不敵に笑った。
J「ふふふ、You are my bitch now! Hahahahahahahaha!」
僕「……….」
😨
板前パンクロッカーズ2に続く
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