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父の言葉

太平洋戦争末期に松竹で制作された
『桃太郎 海の神兵』の英語字幕制作を
したことがあります。

日本を代表するアニメーション映画の傑作として
評価が高く、若き日の手塚治虫が
アニメーション作家になる切っ掛けになったほど
感動した作品だそうです。

でも、戦時中に海軍からの依頼で制作された
戦争推進の国策を広めるための映画ですから
「八紘一宇」の「鬼畜米英」の思想にまみれた
物語展開で、当時の少年少女の健気さが
悲しくも感じられます。

戦争末期に志願兵になった軍国少年だった父を
思わずにはいられませんでした。

NHKのドラマの「植物男子ベランダー」に
ハマっていた時期がありました。
その中の「俺の伯父さん」のエピソードには
感動して泣いてしまいました。

伯父さんが、いい加減に植物を世話しては
枯らしてしまったりする「俺」に言う台詞が
大学生だった頃に、父が私に言った言葉と
同じだったからです。

夏休みで実家に帰省中だった私は
アメリカに出張中だった後の夫が飼っていた
シェパードの餌やりを1日だけ頼まれていて
その日は予定より早く上京して
国分寺の彼の家まで餌をやりに行く予定でした。

でも遅く起きて、ぐずぐずしているうちに面倒になり
一日くらい 餌をやらなくても良いではないかと
思った訳です。

でもそれを聞いた父は、許しませんでした。
動物にとって飼い主は神も同然、生かすも殺すも
どんな目に合わすのも飼い主次第。
動物の命を神から預かっているのだから
大切にしなければならない。
たとえ一日でも餌をやらないなんて事は
許されない。

という訳で、それから汽車に乗り
上野駅から国分寺に着いたのは暗くなってから。
喜んで尻尾を振る犬を悔し紛れに叩いても
図体のデカい奴は、撫でられたくらいにしか
感じないのが何とも。

獣医だった父は、55歳の若さで心臓の
大動脈瘤破裂で亡くなりました。

父の享年をだいぶ過ぎた私は今も、真面目で
努力家だった父を目標に日々を生きています。


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