GIGA×AI探究セミナー in 中富良野
8/3(土)に中富良野で行われた「GIGA×AI探究セミナー」に行ってきました。
かねてから興味のあった「デジタルシティズンシップ教育」について、初めて対面で学んできました。
(ついでに、初めての北海道上陸だったのでその点でもよい体験ができました)
主に小学校の先生方の実践報告だったので、これをどう高校に落とし込むか、というところが課題だと思いましたが、自分がこれまで誤解していたことも含めて、とても良い学びを得ることができたと思います。
以下、印象に残った部分のダイジェスト…
【冒頭の講演】豊福晋平先生
今回来た目的ともいえる豊福先生のお話。
自分的に一番学びになったと思うのは、かつての教育と今の教育の「情報の与えられ方」の違いという部分と、「責任のリング」の重要性、という内容でした。
「情報の与えられ方」かつては、数ある情報を「教師が精選して伝える」という形だったのが、今はその情報に生徒が直にアクセスできるようになっているのだから、教師が選んだって意味がない。そこで、教師は、「正しい選び方」を伝えるのが新たな役割なのだ、という考え方ですね。
また、「責任のリング」については、「公・共・私」と広がるリングのうち、インターネットは最も外側の「公」に当たるのだから、「公」について理解していないと間違いを起こしてしまうよね、というお話でした。この辺はまさに、「公」民科の、「公」共という科目で扱うべき内容だな、と感じました。
大変興味深い内容であるとともに、自分のこれからの授業づくりの大きなヒントになりました。
【最後の座談会】石川晋先生のお話
教育困難校での実践事例をうかがって衝撃を受けました。本当に、衝撃。
これも小学校の実践なのですが、その学校は「とても困難な学校」だったそうです。
教科書を開け、といっても決して開かない子どもたち。そこで石川先生は、「海の命」をテーマとした授業で、「自由にせよ」と指示をしたそうです。
するとどうでしょうか。粘土でクエを作り始める児童もいれば、動画で物語をドラマ化する児童や、ゲームを作り始める児童、さらには、会場の大人もみんな本物と見まがうほど業者のテストにそっくりなテストを作り始める児童も出てきた…
すると、じゃあドラマを、テストを作成するために、子どもたちは自然と教科書を読み始めたそうです。
本当に衝撃でした。果たして高校の授業がそれでよいのか、という問題はあるにせよ、それくらいの「余裕」というのか「遊び」というのか、そういうものが、今の教育現場にはあっても良いのではないか、と思いました。
今回、自分は「デジタルシティズンシップ教育」を学びに行ったつもりでいましたが、気が付けば、学んでいたのはもっと大きな「教育とは何か」というものだったように感じます。
決して上っ面だけではない、本物の教育を求めて、これからも頑張っていきたいと強く思った瞬間でした。
デジタルシティズンシップ教育については、実はまだちゃんとした実践などできていないのですが、「シティズンシップ教育」と名づいている以上は、公民科の担当として興味を持たないわけにはいかないので、今後なんとか、実践にこぎつけられるように頑張りたいと思います。
単なる感想と備忘録のようになっておりますが、今回もお読みいただきありがとうございました。
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