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なんで、私が明治に!?慶医特待妻&京大志望→早稲田落ち1浪明治夫が学歴について語る

こんにちは、慶医中退外銀放逐妻くるみ🐿️&1浪明治夫トマト🍅です。

今回は京大志望だったトマト🍅が落ちに落ちて明治大学に進学したお話しです。

トマト🍅の受験歴

県内トップの高校に合格

僕は埼玉県草加市の公立小中を卒業しています。地元にいる間は成績優秀な方で、中学校では生徒会長を務め、部活では県大会に出場など、人生の黄金期を過ごしました。

その後内申点と運が味方した僕は県内偏差値トップ3に入る埼玉県立大宮高等学校にほぼ合格最低点で合格しました。この瞬間が人生のピークと言えるでしょう。

しかし意気揚々と進学したものも、当然ながら僕の学力に見合っておらず「井の中の蛙」感しかありませんでした。

トマト🍅は市レベルに過ぎなかったのです。

実績を伴わない「プライド」


中学校は家の目の前にあったので通学はめっちゃ楽でしたが、高校は電車に乗って1時間以上かかります。
また中学から引き続きソフトテニス部に所属していましたが、これが結構ブラックで毎日疲れていた思い出しかないです。
ほぼ毎日練習がある上、夜7時まで部活があったりしたので、家に帰るともう9時前…

授業は全然ついていけないし、部活の疲れもありウトウト…
当然学力は低迷していました。

それでも厄介なのが、県内トップの高校に所属しているという「プライド」です。
大宮高校に所属している自分はすなわち埼玉のトップであり、ひいては同年代の上位層だと思っていたのです。(実際には全然違います。)
そのため、自分の学力を指し示すものではないのですが、恐ろしいことに最低でも早慶かどっか国立には受かるだろうみたいな考えを持っていました。

僕の高校では毎年100人くらいは早慶に受かっていたっぽかったので、なんか行けるかなと思っていたんです。(実際僕の代は上位6分の1くらいしか受からなかったので普通に無理でした。)
根拠のない自信がありました。高校生の時の僕はマジでアホです。男子高校生なんてそんなもんですかね。

現実は甘くない

そんなこんなで高3の夏まで部活をやり、さあ受験勉強だと本腰をいれるも間に合うはずもなく…
根拠のない自信から「MARCHは余裕だろうし、早稲田も何個か受ければ受かるだろう」と思い、早稲田(文、文化構想、教育)、立教(文)、国立は東京学芸大学に出願し当然全敗しました。

センターは5科目で6割くらい。多分当時の学力は日東駒専、良くて法政とかそんなもんだったでしょうか…今では知るよしもありませんが。

実力はないくせに根拠のない自信はあったので、この時はひどく落ち込みました。

そして翌年駿台お茶の水校に進学(?)します。コースは結構自由に選べるのですが、アホな僕は失敗から学ぶことなく、「1年もあればどんな大学にも受かるだろう」という何の根拠もない自信をここでも発揮し、京大文系スーパーコースを選択します。

結果、当然ながらここでも「井の中の蛙」感を大いに感じることになりました。

京大スーパーコースでの生活


僕がいわゆる「中受組」と相対したのは多分この時だったと思います。埼玉は公立こそ至高みたいなイメージがある県で(そういう県は多いと思います)、中学受験をする人はあまり居ませんでした。

でも大宮校ではなくお茶の水校に、しかも京大文系スーパーコースに入ったことで「超エリート高校出身で京大を受けたがたまたま滑ってしまった人たち」と会うことになったのです。それこそ今思えば鉄緑会出身の人とかもいたんじゃないかな。

桜蔭、麻布、開成、武蔵とかの人たちがいました。

今でこそそのレベル感がわかりますが、当時の僕はアホで無知なので何も知らず一緒のクラスに通って同じような学力であろうと考えながら当然のように過ごして居ました。

この時ちゃんとエリート中受組と喋っていれば色々気づけたと思うのですが、彼らはすっごく真面目で全然仲良くなれませんでした。(そしてほとんど会話のないまま京大に受かっていきました)

ここでも問題が起きます。数学の授業が初回から全然分からないのです。

センター数IIBが40点だった僕に合うレベルでないのは明白なんですけどね。なんで誰も止めてくれなかったんだろう…不思議ですね。

そして英語、国語、社会もクラスのみんなに比べてダメダメな僕は、駿台の名物講師からこう言われて改心しました。

「お前らのような進学校のBチームが一番だめ。基礎もなってないのに国立に向けて勉強して、センター終わってから私立の勉強してどっちも落ちる。毎年そんな奴がごまんと駿台にくる。中学校からやり直せ」

ほんとにそうだなあと思った僕は基礎の基礎からやり直すことにしました。ここにきて初めて勉強の仕方が分かったような気がしました。

迷走する志望校選び

京大のレベルは駿台に入って1週間でよく分かったため、京大は諦めることとして、また志望校選びが始まりました。

おそらく日本にあるほとんどの有名国立大学を1度は志望したと思います。
それでもどこも決め手にかける…
朝起きたらまず志望校を考えるような、絶望浪人生でした。
実際大学なんて、レベルと立地以外にそんな大きな差なんてなく、考えすぎだったなと今になって思います。

実際にキャンパスまで行ったのは北海道大学、東京外国語大学の2つでしたね。
北大は圧倒的に広すぎるキャンパスが魅力的でしたが、某駿台名物日本史講師の影響もあり「日本はオワコンだから世界に出ねば」ということで夏休みが終わったあたりから外大志望に決定しました。

いざ2回目の受験、結果は…

そんなこんなで1年間基礎からやり直し勉強してたら、まあまあ成績も上がってきたのです。

2回目の出願校は国立、東京外国語大学。私立は一般で早稲田(文、文化構想、教育、国際教養)、学習院(文)。センター利用で明治(文、商)、立教(文)、東洋(文)。

2回目の全落ちは避けたかったので多めに出願し盤石の布陣でしょう。

結果!センター試験は5科目8割くらいを得点しセンター利用全勝!

でもそれ以降合格通知が来たのは学習院だけ、と2年目も残念な結果に終わってしまったのであります。

それならまあ、慣れ親しんだお茶の水にまた通いたいと思い、駿台お茶の水講師陣からキャンパスを指さされて「あそこに行くようなことにならないように」と言われていた明治を選択しました。(3年次からお茶の水のキャンパスに変わるのですが、3年次からコロナ禍が始まり、結局通えませんでした。)

少し浪人時代を振り返る

結果はともあれ、浪人時代を振り返るとなんだかんだ充実していたように思うのが不思議です。

楽しそうな明大生を横目に駿台に通った日々、クリスマスに都会の喧騒を抜け自習室に行った日、大晦日普段の賑わいを失ったお茶の水の風景。

振り返ってみると人生で一番エモい。

他の時代と何が違うかというと、「とにかく受験に受かることが絶対的正解で全てな世界」だったということだと思います。他に考えることはない、独特な心地よさ。

高校時代、大学時代はもっと多様な活動に囲まれた中で勉強があるけど、浪人生には勉強しかない。

絶対的にこれが正しいと思い努力を24時間していいという、今振り返ると充実した時間だったように思えるんですよね。

まあ、MARCHしか受からなかったんですが。

大学生活

学歴コンプを抱えた大学生活

ここまで読んでいただいた上でなんなんですが、よくある話ですよね。というか客観的に見ても明治受かってよかったじゃん、くらいの状況ではあります。

しかし最初の半年くらいは明大前に通うのがほんとに嫌でした。だって高校の同期は早慶とか東大やら一橋やらに行っていて2年生なわけで、1浪明治などまあお話にならず、残念だったねと言われる始末です。

明治は結構そういう人たちが多くて、図書館に赤本持ってきている人もちらほら見かけるし、僕も仮面浪人じみたことを最初はしていました。

結局は大学で仲の良い友達と出会ったり、K-POPにどハマりしたりして楽しく過ごせるようになったのですぐ慣れちゃったんですけどね。ま、後から考えるとそれでいいと思います。

それでもやはりいろんな拍子に顔を出してくる学歴コンプには正直参りました。

大学は楽しいのでどうこうしようという気はないのですが、明治はいわゆる「私大ピラミッド」の中にあるわけで、他の地方国立などに行けば話は変わるんですが、やはり上下感を感じざるをえないことが多いです。

くるみ🐿️との出会い

そんな大学3年生の春、新しく始めたバイト先で僕はくるみに出会いました。

くるみとの最初の会話はこんな感じです。

🍅「お疲れ様です。(なんか仕事の話を挟んで)大学生ですか?」

「はい、そうです。」🐿️

🍅「大学どこなんですか?」

「慶應です。」🐿️

🍅「(おお、慶應だ…すげえ…)そうなんですね!学部は?」

「医学部です。」🐿️

🍅「(話かけてすみません…)話かけてすみません。」

本気で、身分が違う人と出会ってしまったと思いました。それでも配属先も一緒だってことからLINE交換して、なんとかご飯に行こうという流れまでこぎつけました。

そこから紆余曲折あって付き合うことになったのですが、話をしているとほんとにびっくりすることだらけでした。

知らなかった世界

そもそも医学部の人ってあんまり会ったことなかったし、その世界の話からびっくり。またSAPIXや鉄緑会の話を聞いてびっくり。

そんな組織があることを埼玉公立主義で育った僕は知るよしもなかったのです。周りにいないし、本当に知らなかったのです。

中学受験のヤバさ、中受組がどういう生活をしてきたかということを。

僕は思いました。「ああ、大学受験って小学校(ないしもっと幼少期)から競争が始まってるんだ。しかも課金制なんだ。それは勝てない。」と。

中学からソフトテニスを始めた僕がジュニア出身の選手と対戦する時の気持ちです。それは勝てない。

よく考えたら当たり前なんですけどね。肌で体感した時にはそういうことを思いました。

その後くるみ🐿️の友達にも会う機会がありました。登場人物は皆東大か医学部、それどころか理Ⅲやハーバードまでいました。

そういった世界を知ってから、僕の学歴コンプは無くなりました。彼らからしたら、文系である僕が明治か早稲田かなど、もはやどんぐりの背比べです。

逆にくるみ🐿️は僕に会うまでMARCHの人に会ったことがなかったと言いました。

都内のそこら中にいるのにです。そうこの人口の0.1%未満であろう高学歴集団はその集団でのみ生息しているため、僕ら一般人からすると存在が疑問視されるほど出会う機会がないのです。

僕はそういう世界をひょんなことから覗き見できたことが幸運でした。

解消された学歴コンプ


学歴コンプのついでに無駄なプライドも無くなりました。

僕は根拠のない自信により自分がそこそこ有能であると思い込んでいましたが、レベルが全く違う人たちに会い、別に普通の人間であると理解できるようになったからです。

そこからは気が軽くなりました。生きるのが楽になりました。「圧倒的なもの」に触れることが解決策だったのです。

むしろ教育的な家庭でないのに明治に入るまで頑張れた自分を褒めたい気持ちになったほどです。

その後、くるみ🐿️は慶医を中退して、紆余曲折あって外銀に入ったりもしますが、その話を聞きながら自分が一生関わることのなかった世界について知れて、人生の参考にもなりました。

くるみ🐿️に出会わなかった僕は今頃どうしているでしょう。まだ自分を卑下しているでしょうか。学歴ロンダリングを目論んだでしょうか。

いずれにせよ、学歴は僕の一部分に過ぎません。僕は「1浪明治卒」。それ以上でもそれ以下でもなく、なんら特別な意味を持つことはないです。

今の僕が学歴とは何かを一言で表すなら、「やっぱり明治がNo.1」ですね。



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