見出し画像

「エクストリームに観る」 : エクストリームデザイン#3

この記事は、「デザイン」より広い文脈から捉え直し、未来につなげる連載「エクストリームデザイン」の第3回です。今回は、デザイン活動の中の始まり「観る」ことの極端な例をいくつか挙げ、未来のデザインについて考えます。本連載の全体像についてはこちらから。

デザインと観ること

前回お話ししたように、さまざまなデザインプロセスが提案されていますが、共通することとしては、第一に、問題領域を定義すること。次に実際の利用者の状況から情報を集めることです。例えば、有名な二つのデザイン体系ではそれぞれ「人間中心デザインプロセスの計画、利用状況の理解と明示」(cf.ISO9241-210)、"Frame a Question,Gather Inspiration"(cf. IDEO社デザイン思考プロセス)と提示されています。

2段階目の情報収集で何を用いるのか?今回は、情報収集の手法の選択自体も、対象とする問題領域や最終的にデザインとして作られるモノやコトに深く関わることについてお話しします。視覚に限った話以外にも触れたいのでこの情報収集の行為を「見極める」といった意味を含む能動的な行為である「観る」と綴ります。

A child with a hearing impairment undergoes a low vision assessment at the school for children with disabilities which he attends. Cambodia. by CBM CC BY-NC 2.0

読み上げブラウザ向けのデザイン

簡単な例として、視覚障碍者向けにウェブサイトをデザインした話をしましょう。

20年ほど前に、ある国立の障碍者向け施設のウェブサイト構築の仕事を請け負ったのですが、彼らが普段用いるブラウザは視覚障碍を持たない人と大きく異なりました(総務省実証実験2002参照)。ブラウザ情報を読み上げる音声ブラウザの場合もあれば、拡大率を非常に上げて一般のWebブラウザを使うなどをしています(現在はスマホの音声リーダやOSのスクリーンリーダが主流のようです)。私が、そういったウェブサイトを開発した際に驚いたのは、彼らがそれらのツールをすごい速さで使っていることでした。

彼らの実際の利用感覚を擬似的に体験するために、私はWebブラウザの設定で、全てのページからスタイルシートを外して表示する生活を行ってみました。(文字情報や見出しタグなどの構造が視覚的に剥き出しに見えるのです。)彼らの使っているツールを使うのはもちろんですが、日常の情報体験がどう違うのかを理解するための工夫でした。

このプロジェクトの納品物としては、HTMLとCSSに加え、文書構造を示すタグ(<H1>や<p>)などの書き方・運用のルール(ex. H1タグはページタイトルを扱うため、全ページで一意であること)でした。


Kodak DCS315 DSLR Camera Teardown by Dave Jones CC-BY 2.0

電子の目

IT機器が広まった現在、100年前と比べて「観る」上で、意識しておかなければならないことが大きく3つあると思います。一つは、私たちが電子機器のセンサーを使って可視光以外の情報も観れるようになったこと。二つ目は電子の目をもった結果として、時間・空間を超えてみられるようになったこと。三つ目はその結果、観られることの持つ意味がより変化してきたことです。

電子の目が観れること

20世紀より前までの観る技術は光学的・化学的な方法が中心でした。具体的には顕微鏡・望遠鏡と銀塩写真です。顕微鏡や望遠鏡が人間に与えた影響の一端は「チ。ー地球の運動についてー」をお読みいただければ感じていただけると思います。
20世紀に入り、電気回路設計技術が発達し、微弱な光や、可視光以外の波長の電磁波を、取り扱えるようになり「観る」ことの範囲が広がりました。エクストリームな例としては今年(2022年)稼働開始したばかりのJames Webb Space Telescopeが、驚異的な解像度でビッグバン直後の銀河形成まで見れるようになり始めました。また、医学で用いられるfMRIで、脳内の活動まである程度観れるようになってきました。

観たことが溜まり、共有されること

このようにして、電子の目をもったこととが、情報技術と組み合わさることで、それが蓄積できるようになりました。銀塩写真も印刷技術と組み合わさり、マスメディアができ、20世紀の社会を大きく変えましたが、電子の目は写真が溜まる量と広がる速度をブーストしました。(インスタグラムなどで明らかですよね。)

ここでは、ちょっと変わった例を紹介します。MITのDeb Royは、自分の息子の言語獲得をつぶさに観たいと考え、自宅にカメラを設置し、9万時間の映像を撮影し、「water」という語が発話されるまでの過程をつぶさに観ました。ぜひ、下記のリンクから見てみてください。電子の目がなければこういった研究は不可能でしたし、観ることの進化が私たちの人間理解を深めた例として分かりやすいものだと思います。


観ることと観られること

もう一つ、電子の目の特徴で触れなければならないことがあります。それは「観られていること」が分かりにくいことです。人の脳には、他人の視線や表情や意図を推測する機能がありますが、(それらに異常があると相貌失認となります。)電子の目は目と分かりにくい形で観ることができるため、観られる側に気づかせずに観察することが容易です。

18世紀にベンサムは、収容者同士が見えない一方、看守が全員を一望にできる構造の刑務所(パノプティコン)を構想しました。現代では、至る所に防犯カメラが設置されて、かつ長時間にわたって記録を残すことが可能です。
例えば、この記事によると中国では交通違反を2億台を超えるカメラが設置され、交通違反の取り締まりにさえ用いられているとしています。いわば、政策や法律をこのような機器を用いて実装しているとも言えるでしょう。

Optogenetics-lightImplantOnMice by the new york times CC-BY-2.5

光を当てる事で操作する光遺伝学

最後に、少し変わった例を挙げましょう。2006年に光遺伝学と名付けられた手法があります。これは、光に反応するタンパク質(チャネルロドプシンなど)を用いて、光を当てることで生きている細胞を制御する技術です。

神経細胞に遺伝工学技術を用いて、このタンパク質を発現させると、光をあてることで、神経細胞を興奮・抑制させることができます。実際に1987年に免疫に関する研究でノーベル賞をもらった利根川進らの研究で、生きているマウスの神経活動を操作して行動を変化させた研究を2015年に発表しました。

近頃、GDPR(EU一般データ保護規則)の影響か、Cookieの利用の許可を取得するダイアローグをみなさんも目にしたことがあるでしょう。Cookieを用いてユーザのブラウザ上での挙動を「観る」ことが、ターゲット広告などの形で自然にユーザの情報環境を自然に変えています。また、先ほどのパノプティコンについて、ミッシェル・フーコーは、著書「監獄の誕生」の中で監視(視線)の設計により、囚人の身体が規律化され従順に形成されると論じています。

光遺伝学の事例は、観ることが持つ意味が観られる側にとっても大きな影響を持つことを象徴する例のように私には思われます。

まとめ(エクストリームに観ることについて)

21世紀の現在では、本記事で述べたように、私たちはさまざまな技術によって宇宙の果てや言語獲得の瞬間まで見通す目を手にしました。そして、その観る技術の結果として様々なみた情報の応用事例をご紹介しました。
今後のデザイン活動では、このような深い情報から得られる洞察と、「観られること」の持つ意味・影響にも目を配ることの両方が、求められているように私は感じています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?