小さな努力、大きな差
今日、息子の2学期のテストの結果が出ました。
本人が思っているより、悪かったらしいです。
私は別に驚きませんでした。
そうだろうなと思いました。
母親の私から見て、最近勉強に身が入っていないことはあきらかだったからです。時間は費やしていましたが、気持ちが入っていないことは明白でした。。
ただ、勉強の話をしているとき、夢や目標は大きく話していました。
だからこそ、今回の成績について思春期の息子は私の母に余計に嫌味を言われ、余計に落ち込んでしまったのです。
学生時代は、成績という数字で表した自分のしてきたことの結果が目に見えてわかります。自分の努力不足がちゃんと数字となってわかってしまうのです。
では社会人になってからはどうでしょうか?
基本的には、自分の努力不足を目の当たりにすることはあまりないはずです。
たとえば、今日の午前中にできる仕事を今日の午後したとしても
多分急ぎでなかったら問題にはなりません。
だから本当に怖いのです
毎日少しづつ手を抜いてとして、短期ではわかりませんが
気づいたころには取り戻せないほどの大きな差がついてしまっています。
間違えないでください。
私が言っている差は、他の人との差ではなく、自分自身がなりたい自分との差です。
もしかしたら一生気づかないことがあるのかもしれません。
(気づかないほうが幸せかもしれません)
学生の頃は、いろんな場面で自分の努力がどれくらいだったのか知る機会があります。同じ良いような年齢の人が周りにたくさんいるからというのもあるかもしれません。
でも大人になったら、その差に気づくのは、自分で感じるしかないのです。
自分が思ったような自分になれていないと感じたとき
もしくは小さな目標がずっと達成されていないとき
それは、毎日に小さな努力の差だと思います。
50歳の私は最近、小さな差がとても大きな差なんだと痛感しています
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