欅坂46という幻

※2020年10月に書いた文章です。下書きに発掘したので、せっかくだから公開。

『たまたま、何かの偶然でこの21人が集まった状態を“欅坂46”と呼んだだけのことかもしれない』
欅坂46初のグループ写真集の帯に、秋元康さんが寄せたコメントである。
メンバーがそれぞれ生きてきた道のり=線があって、その21本の線が何かの偶然で、1点に交わりあっただけ。その点こそが”欅坂46”
だからその後はまた別の方向に線は伸びていって、メンバーはそれぞれ別の道を歩んでいくのかもしれないと予感させるこのコメントが、私は好きだった。欅坂46は、それくらい不安定なグループだった。

その不安定さに惹かれたわけではないけど、私は欅坂46が好きだ。
歌詞のメッセージ性、アイドルらしからぬ激しいダンス、世界観、その表現される世界とは別にあるメンバーの等身大の可愛さ。

先般公開された「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」を見てきた。
ふつうの少女たちが「アイドル」になっていく様子、センター平手友梨奈のカリスマ性、多感な年ごろの女の子が世界観に染まっていくゆえに現実世界との折り合いをつけることの難しさ、そして崩壊———。
これまで欅坂46を見てきた1人のファンとして、問わず語りをしたい何度目かの夜がやってきたので、徒然なるままに、言葉を紡いでみたいと思う。
(2017年の欅って、書けない?を観ながら)
※映画の内容に触れているところもあるので、ネタバレしてほしくないという人は見ないでください。

・平手友梨奈というカリスマ
 私は平手友梨奈が好きだった。よく笑う、かわいいかわいい女の子。ひとたび曲の世界観に入ると観るものを惹きつけてやまない姿を見せる。
 映画の中で、2ndシングルで平手がひとり踊る姿を見つめるメンバーの描写があった。そして小林由依が言う「ずば抜けた表現力。自分にはそれがない」
 メンバーの誰もが、それを感じたことがあったかもしれない。それに対して、メンバーはどう感じていたのだろう。
 悔しい?自分もああなりたい?それとも自分に同じことをするのは無理だと諦めてしまっただろうか。絶望しただろうか。
 自分の話になって恐縮だが、私はとても負けず嫌いだ。多様性を認め、受け入れながらも、人に負けたくない、という強い気持ちがある。ただたとえ負けず嫌いであっても、「この人には勝てない。勝負するのは得策じゃない。この人と自分は違うから、違うところで頑張ろう」と、自分を納得させざるを得ない瞬間がやってくる。そういう相手に出会うことがある。そんな時、その人に対して最初は嫉妬に近い感情を抱くものの、それはすぐに憧れ、羨望に変わる。若い頃は、そういう人に憧れて、好きになって、仲良くできることがステータスであるかのように感じていたことさえあった。
 欅坂46のメンバーも、平手友梨奈に対してそのような気持ちがあったのではないかと思う。守屋茜が、概要「平手のバックダンサーのようになっていると感じることはあったが、それは平手だから受け入れられたことで、他のメンバーがセンターをやったとて同じようにはいかない」というようなことを言っていたのが印象的だった。
 メンバーがそんな気持ちを抱く中で、平手友梨奈はファンからはもちろん、メンバーからも神格化されていったのではないかと思う。
 欅坂46=平手友梨奈
 そんなイメージがつくのに時間はかからなかった。

・平手一強体制の限界
 欅坂46=平手友梨奈というイメージがついた状態をここでは便宜的に「平手一強体制」と呼ぼう。
 8作連続表題曲のセンター(9作目もセンターとして発表されていた)、出したソロ曲は5曲、秋元康さんがプロデュースする各グループの気鋭のメンバーが集まった坂道AKBにおいてもセンターを務めたほどで、その活躍はめざましかった。
 夏のツアー中、平手友梨奈がいないとなった時にだれもそこを埋められなかったあの日。
 平手友梨奈に依存したグループ。
 みんなが共犯だ。平手一強体制は、プロデューサーとスタッフとメンバーとファンのみんなによって作られたものだ。
 平手友梨奈がずば抜けた表現をすればするほど、平手友梨奈にかかる重圧は増していっただろう。きっと内部からも受けるプレッシャーを感じていただろう。
 そして外部からは容赦ない批判を受けることもある。なぜ彼女は握手会で、発煙筒を投げつけられなければならなかったのか。
 10代の繊細な少女が受けた傷はどれほどだっただろう。
 やがて平手友梨奈は本当に笑わなくなり、声が出なくなったりする中で、心身のバランスを崩していっているように見えた。
 そんな中でもセンターに立ち続ける彼女のコンディションは、その日によってまちまちで、体調が悪そうな中でパフォーマンスをする日も多くあった。ファンだかアンチだかわからないネットの人たちは、そんな状態の彼女を「平手ガチャ」と揶揄するようになった。
 私は想像力にも優しさにも欠けたこの言葉がひどく嫌いだった。

・「黒い羊」の正体
 秋元康さんが、平手友梨奈と頻繁に連絡を取って交換日記のようなことをしていたと話して大きな反響があったことが記憶に新しい。
 「黒い羊」をもらった時に、平手友梨奈がインタビューで「欅坂のなかにこの曲があることで、ちょっと救われたじゃないけど、自分のいる意味をなんとなく感じたかもしれないなあ。あ、この気持ちを出せるんだって。たぶん、これはずーっとモヤモヤ悩んでたところの気持ちなんじゃないかなあ」(『ROCKIN'ON JAPAN』4月号(2月28日発売)より抜粋)と言っていた。
 どこかで、秋元康さんの書く詞に対して、「何でこんなに自分の気持ちがわかるんだろう」というようなことも言っていた気がする。
 秋元さんは、この曲の「黒い羊」に平手友梨奈を見たのだろうか。と当初不思議に思っていた。
 平手友梨奈の脱退が発表された日のラジオで、平手さんがこの曲をフルコーラス出かけたこと、曲終わりの平手さんが泣いていたことから、平手友梨奈自身も、「黒い羊」を自分と重ねているんじゃないかと不安になった。
 だって、そんなのは悲しすぎる。
 誰かが平手友梨奈を、満身創痍になりながら真ん中に、矢面に立ち続けてきた平手友梨奈を、黒い羊=のけ者・厄介者だと思っているのなら、平手さん自身が「僕だけがいなくなればいいんだ」「全部僕のせいだ」と思っているなら、そんなの辛すぎる。
 ところが件の映画の終盤、菅井友香にこんな質問が投げかけられた。
 「平手に対して、もっとちゃんとしてよと思わない?」
 菅井さんは悩みながらも誠実に答えようとしていた。
 「欅坂46をここまで連れてきてくれたのはてちだけど、てちがセンターでいる以上このグループが安定することは望めないから難しい」
 この答えを聞いて私は確信した。少なくともある瞬間、「黒い羊」は平手友梨奈だったのだと。そうでなければいいと思い続けていた。あの曲の中でそれを演じているだけであればいいと。
 映画では「黒い羊」のMV撮影の様子も流れていた。カットがかかった後、立ち上がらない平手友梨奈。平手を囲むメンバー。手を差し伸べるメンバー。あの時にはもう、平手友梨奈は黒い羊だったのだろうか。
 平手友梨奈は誰のためにヒガンバナを掴み続けたのだろう。

誰かが溜め息をついた
そう それが本当の声だろう

黒い羊 そうだ 僕だけがいなくなればいいんだ
そうすれば止まってた針はまた動き出すんだろう?

 黒い羊が平手友梨奈だったなら、平手友梨奈がいなくなって、止まってた針は動き出すはずだ。
 しかし欅坂46は、平手友梨奈一強体制を抜け出せなかった。そのイメージを消し去ることはできなかったためになくなった。欅坂46というグループ自体がなくなってしまった。
 平手友梨奈の脱退が発表された時、私の中でそれは欅坂46としての同一性を保てないと思った。改名は、当事者を含めて多くの人がそう感じた結果なのではないか。
 黒い羊を排除したグループは、色を、形を変えなければならなくなってしまった。
 そして欅坂46は、幻であったかのように突然、幕を閉じた———。

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