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巡禮セレクション 49

2014年01月30日

つるぎとかつらぎ

剣根命は、謎の神とされています。
難しいですが、少しアプローチしてみます。
なにが謎かというと、神武天皇の大和支配後に突然、葛城国造に任命されたのです。


「神武二年二月二日、天皇は論功行将を行われた。
道臣命は宅地を賜り、築坂邑に居らしめられ特に目をかけられた。
また大来目を畝傍山の西、川辺の地に居らしめられた。今来目邑と呼ぶのはこれがそのいわれである。
椎根津彦を倭国造とした。
また弟猾に猛田邑を与えられた。それで猛田の県主という。これは宇陀の主水部の先祖である。
弟磯城-名は黒速を磯城の県主とされた。
また剣根を葛城国造とした。
また八咫烏も賞のうちにはいった。その子孫は葛野主殿県主がこれである」

あるブログ主は、こう感想を述べられています。

「道臣命は、神武天皇に付き従い、数々の武勲をあげ、天皇の橿原宮即位にあたっては、まじない(諷歌・倒語)により、もろもろの災いを退け
た、勲功者ですから、まず論功賞を与えられるに相応しいでしょう。

大来目は、日本書紀には登場しませんが、古事記では、兄猾(宇迦斯)を討ち、神武天皇に後に正妻となる伊須気余理比売を引き合わせた人物
です。

椎根津彦・八咫烏は、前者は九州から、後者は熊野から、案内役として、天皇軍を先導しました。

そして、弟猾は、実兄である兄猾を、弟磯城は同じく実兄である兄磯城を裏切って、神武天皇に恭順した「功労者」です。

ただ、剣根命は・・・どこでどう活躍したのか、さっぱりわからないのです。」


いくつか引用を元に考察してみます。


神社新報社刊「日本神名辞典」によれば、
「剣根命(つるぎねのみこと)高魂命五世の裔孫。事蹟不詳(姓氏録)。」と説明されています。


『古代豪族系図集覧』によれば、剣根命の系譜は以下の通り。

 高魂命-伊久魂命-天押立命-陶津耳命-玉依彦命-剣根命-夜麻都俾命-久多美命(葛城直祖)

陶津耳命は、三島溝杭耳の別名と考えられるので、

・剣根は、三島溝杭耳の孫。
・三島溝杭耳には、玉櫛彦(玉依彦命)と玉櫛媛の二人の子があり、玉櫛彦の子が剣根。
・おばの玉櫛媛は、大物主との間に、三人の子を生んだ。
天日方奇日方命、五十鈴媛命(神武后)、五十鈴依媛(綏靖后)。


神武天皇は、皇后のいとこの剣根を葛城国造に任命したわけですから、
一応、任命の理由はその血筋と言えるかもしれません。
剣根にとって、大物主は叔母の夫となります。おじさんですね。


今の僕の考えでは、この大物主とは、
大物主の役職を引き継いだ事代主であり、その名は、弟磯城黒速です。
となると、事代主黒速から見ると、
玉櫛彦(玉依彦命)は妻の兄で、その子が剣根命となります。
磯城家親戚一同様、しかも近しい間柄となりますね。
この御一同は、先代大物主こと兄磯城を裏切って天孫族に基準した一族です。
僕は、この一族こそが鴨一族だと考えています。
そして、その大元が陶津耳命(三島溝杭耳)なのではないか・・・と考えています。
三島と鴨が同族なのは、そういった意味なのだと思います。
そしてタケツヌミもこの一族に含まれていると思います。




剣根命の後裔として現れる氏族を『新撰姓氏録』からみると。
 大和国神別 葛木忌寸 高御魂命五世孫剣根命之後也
 河内国神別 葛木直  高御魂命五世孫剣根命之後也
 和泉国神別 荒田直  高御魂命五世孫剣根命之後也
 未定雑姓左京右京 大辛 天押立命四世孫劒根命之後也
 (未定雑姓摂津国 葛城直 天神立命之後也) 
葛城と河内と和泉に分布しています。
神武東征以後の支配地のようです。
河内は、ニギハヤヒの地ですが、物部氏とも共同で支配していたのだと思います。
荒田氏の和泉国は、大田田根子の出身地だと言われている地のひとつです。
先代大物主(兄磯城)の子孫の大田田根子を剣根一族は匿っていたのかもしれないし、監視していたのかもしれません。

大物主は、玉依姫との間に、天日方奇日方命、五十鈴媛命、五十鈴依媛を作り、
また、大田田根子を生んでいます。(大田田根子の祖先とも)
これは、大田田根子が兄磯城の血筋で、
天日方奇日方命、五十鈴媛命、五十鈴依媛は、弟磯城の子なのだと思います。
兄磯城が死んだあと、弟磯城が玉依姫を妻にしたのだと思います。
いわゆるユダヤ、パンジャブ、モンゴル族、匈奴、チベット民族などで一般的に行われたレビラト婚ですね。

 

剣根命については、『天孫本紀』に土神葛木剣根命の女賀奈良知姫が火明命の三世孫の天忍人命の子の天忍男命と婚姻していることが記載されているようです。

ここを系譜を引用させてもらいますと。


天村雲命-天忍人命
   |    |-------天忍男命
   |    |         |----世襲足姫
   |--角屋姫(葛木出石姫)  |----澳津世襲命(尾張連祖)
   |--倭宿禰命(天御蔭命)  |
 伊加里姫             |
 土神剣根命----------賀奈良知姫


ニギハヤヒ一族とも親戚関係を持っていました。

物部(穂積、尾張)氏と倭(長尾)氏と磯城一族は親戚として血を混ぜていきます。


「天村雲命と伊加里姫との間に葛木出石姫が誕生しています。
この姫の名は日本海から葛城への流れを現す神と思われます。
葛木出石姫の出石は但馬の出石でしょう。かの出石神社には天日矛命の将来した八前の神宝が祭られています。
神主家は大和から神宝の検収におもむいた長尾市の子孫です。現在も長尾家です。
出石から葛城にやって来た長尾市の子孫が葛城の長尾氏となり、この家の娘が葛木出石姫といえそうです。」

ところで葛城の神というとまず最初に浮かぶのは、
阿遅志貴託日子根神です。
神話では、阿遅志貴託日子根神は大国主神と宗像の田心姫との間に生まれた御子神です。


アジスキタカヒコネは、味耜高彦根命とも表記されます。別名 迦毛大御神(かものおおみかみ)。

アジは、味ですから、ウマシと同じです。
ウマシマジ、ウマシニギタと同じ物部系の名です。
スキは、志貴ですから、磯城でしょうね。
だから、物部と磯城の血を持つタカヒコネです。
根が付くので剣根とも同じ流れだと想像できます。

剣は、蔓木(つるぎ)で蔓木(かずらき)と読めるので、葛木のことです。
葛(かずら)は葛(くず)でもあるので、伊加里姫の吉野にも関係あると思います。
これらは、元々、同じ蜘蛛だったのでしょうね。
でも、蜘蛛は朝廷からの呼称であり、葛木も葛で編んだ網で蜘蛛を捕えたからの命名だから、
彼らには違った自称があったはずです。


アジスキの母は、宗像三女神です。
九州に目を向けると物部の地がありました。


『肥前国風土記』基肄郡の姫社神社の創祀譚です。
 昔、姫社郡を流れる山道川の西に荒ぶる神がいて、路行く人の多くが殺害され、死ぬ者が半分、死を免れる者が半分という具合。
「筑前の宗像の郡の珂是古に祭らせよ。さすれば凶暴な心はおこすまい」との託宣があった。
珂是古は幡を高くあげて風のまにまに放した。その幡は姫社の杜に落ち、夜珂是古の夢に織機類が出てきたので、女神であることを知った。社を建てて神を祭ったところ、災いがおさまった。」と云うお話。

珂是古とは物部阿遅古のことで、宗像神を祭った水沼君の祖のこと。
先の小郡市の媛社神社には棚機神社、磐船神社の扁額がかかっており、媛社神を棚機神と見ていることになります。


ひもろぎ逍遥さんによると
「筑後川流域
三女神を祀る水沼の君の祖に物部の名が見える。
水沼の君の祖は国乳別命だと『日本書紀』か『古事記』に書かれているが、
実際はもっと古くから筑後川流域にいた。
少なくとも景行天皇の時代に猿大海が出て来る。
国乳別命は神功皇后の時代の人物だ。

そして竹内宿禰とともに高良下宮社の祭神となっているのが先程の胆咋。
この胆咋が高良山に関わる物部氏の基盤になったのではないかと秘かに思っている。

また、さらに筑後川を遡ると物部さんが現在もいて、
かつては他の人々が入れない領域を持っていたという。
この物部氏はさらに古いのではないかと考えている。

そうだ、下流域のこうやの宮では七支刀を持っていた。

こうして両川の物部を比べると、三女神信仰をするのは水沼と宗像だけでなく、
物部氏もまた該当していたことに気付かされる。」

「葛生(くず)の氏族を「つづらみびと」と言った。星占の達人の家系であった。
一般に「つづら」とは黄道から南天の星を見定める氏族であり、「かづら」とは黄道から北天の星を見取る氏族であった。
(略)
物部氏は元来は星辰を祭る家系で、その先祖は近東にあった。
いつのころか中臣の氏族と和睦して、背振の北と南を領有していたのである。

恒星に対して遊星、彗星は振れ動き、又、揺れ偏って、その位置が定まることがない。
それを「ふれ」と言い、そのわずかな方向の差別を物部・中臣の両氏は「つづら」と「かづら」にわけて、
その観測記録を撮り続けた。
物部氏は星見(ものみ)の家系であった。

これは磐井の時代の話なので、5~6世紀になるが、物部氏のルーツは近東にあり、
佐賀県の神崎にいたと伝えている。」


宗像信仰と物部氏の関わりがみえます。

『出雲国風土記』楯縫郷の條では「阿遅須枳高日子命の妃の天御梶日女命が、多久の村までおいでになり、
多伎都比古命(たぎつひこのみこと)を産み給ふた。」とあります。


アジスキの子がタギツヒコです。雨の神だそうです。
タギツヒコとくればタギツヒメが兄妹なのでは・・・と想像できます。
タギツヒメも宗像三女神の一柱です。
水の関係する神なので、タギツヒコとタギツヒメが兄妹なのはあり得ると思います。

宗像三女神は、スサノオの娘とされていますが、
アジスキの母と娘の二柱なのかもしれませんね。
大体、剣をかみ砕いて子供などできませんから。
剣は、蔓木、葛木と見たほうが無理ないです。
この婆ちゃん神と孫娘神の関係の二姫は、葛木姫なのかもしれませんね。
そういえば、水沼の三女神社には、二女神社と掲げられた変額があるようです。

彼女らがアジスキの家族でありながらスサノオの娘になったのは何か意味があったのでしょうね。


『出雲国風土記』神門郡高岸郷と仁多郡三處郷に「大神大穴持命の御子、阿遅須伎高日子命、御須髪八握に生ふるまで、晝夜哭き坐して云々」と出てきます。
素盞嗚尊も母恋しと泣いてばかりだったようです。
出雲神話とは、大和地方と島根地方の合作なのかもしれません。


ところで・・・
宗像大社には織物にまつわる伝承があるようです。
応神紀四一年、呉からの織工女を胸形大神の求めで奉献したとあります。

また、アジスキの妃神、天御梶日女命の「梶」は木綿(ゆふ)の原料である楮のことと『古語拾遺』にあると、
平林章仁著『七夕と相撲の古代史』にあるようです。妃神も織物の神と言えます。

物部氏は元来は星辰を祭る家系だと記述されていますが、星神と織物の神は関係が深いです。
葛城には、葛木倭文坐天羽雷命神社が鎮座していますが、倭文氏の神社です。

當麻郷では織物業の遺跡は見つかっていないようですが、地名に染野(昔の高額郷?)、香芝市の畑など、
それらしく思えるものが残っているようです。
 延喜式神名帳での葛城の倭文神は天羽雷命神ですが、
その元社とされる博西神社の祭神は下照比売命、さらにその元社は、當麻町太田の棚機神社だそうです。


「ここ葛城では前に述べた棚機の神と倭文神とは同じ神であり、それはおそらくは高比売(下照比売)のことでしょう。
何故なら、弟棚機の歌を歌った姫だから。 」
と述べている人がいました。
高比売(下照比売)は、アジスキの実の妹ですね。

『日本書紀』の天孫降臨に先立ってのお話に、「経津主神・武甕槌神の二神は邪神や草木・石に至るまで皆平げられた。
従わないのは、星の星の神香香背男だけとなった。そこで建葉槌命を遣わして服させた。」とあり、常陸国には大甕倭文神社が鎮座、
天津甕星神の魂を封じたとする宿魂石の上に倭文神が鎮座しています。

まだ矛盾や勘違い誤解があるかと思いますが、
少しまた、関係が分かってきたような気がします。

ただ、やはり剣根の謎は解けません。
おそらくアジスキと何等かの強い関係性から葛木国造になったと思いますが・・・
もし、矛盾を恐れず大胆にヒラメキ優先の想像をするなら、

剣根はアジスキの子ではないのか・・・
そうするとアジスキは、三島溝杭耳には、玉櫛彦(玉依彦命)ということになります。
こんな感じになります。
カッコ内は想像です。


       (天御梶日女命)
          |
          |――――剣根(タキツ彦)
(磯城大国主)   |   |
三島溝杭耳―――玉依彦   |―(タキツ姫)
  |   |(アジスキ)
  |   |      
(タゴリ姫)|       
(物部氏) |
       ―玉依姫(タカヒメ)
         | 
         |――――天日方奇日方命、
         |    五十鈴媛命(神武后)、
         |    五十鈴依媛(綏靖后)
         |         
        大物主
       (事代主命)


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