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昂元庵日記ランダム 14

2012年12月24日

2012年のクリスマスイブに

前回の更新から一ヶ月以上経ちました。
昂元庵を立ち上げたはよいが、僕の意図に現実は反していたようです。
というか、僕の考えが間違っていたのかもしれません。

その間、能登巡礼と岡崎巡礼を予定していたのですが、
両方とも、止むを得ない事情で中止となりました。
能登は、サンダーバードが強風のため鯖江駅で停車したまま、
引き返すしかなかった状態です。
雷鳥と風神によって待ったがかかったのかもしれません。

能登と言うのはやはり重要な地のような気がします。
平時忠が、平家滅亡後もそこでしぶとく生きたことも忘れてはいけないかもしれません。
まだ、巡礼をするには僕は相応しくなかったのかもしれませんね。


さて、世界の滅亡が囁かれていた日も無事越えました。
暗黒の3日間も今日で最後・・・クリスマスイブを迎えています。

元々、マヤ暦では滅亡など語られていたわけではなく、
一つの時代の区切りだということでしかありません。
その日も、古代マヤの知識が失われている現代では、正確に知ることはできないでしょう。
ただ、時代は繰り返すということです。
サイクルの中で我々は生きています。

暦とは、そのサイクルを知る手立てです。
そして、古代人は、そのサイクルを天体を観察して知りました。
繰り返すサイクル、その中には、気候の変動もあります。
寒くなる時、暖かくなる時、
それによって海岸も大きく変化してきました。
地殻の変動も実際起きてきました。
海が山になり、山が海になる。
それらは、誰もが知っていることです。
暦とは、その時期を知る手立てだと思います。

マヤの暦が終わったとしても、まだ地球は存在し続けることと思います。
そこで、人や生物は生き続けることだと思います。
しかし、その環境は大きな変化を迎える可能性があります。
大きな犠牲を払わなければいけないかもしれません。
実際、震災もその一つかもしれません。

その時期を知るための暦であり、
賢い人々は、その準備をすることでしょう。
賢い人は、そんな時期に活断層の上に建てられた原発を動かそうとするでしょうか・・・

今回の選挙で、国民が何を求めているのかが示されました。
示していない人は、未来を諦めました。
どんな少数であれ、よりよき未来を求めるなら、自分の意思を表明しなければいけません。
たとえ、支持する人がいなくとも、支持しない人がいるということを示すべきでした。
政治家も当選を求めるあまり、大切な主義が損なわれたような気がします。

自民党政権から、民主党に移り震災が起こりました。
また、自民に戻り、問題が起きなければ良いと思います。
政治家を含め、我々は、別の変化を行う機会を失ったように思います。
自民党政権は、変化ではなく、戻りです。
だから、あれほど
「取り戻す」と言っていました。
新しい時代、価値観への変化ではありません。
そして、国民の多くは、変化より過去への回帰を選択しました。


ある人々は、アセンションという名の安易な選別を望んでいました。
次元が変わり、世界が変わる・・・
多分、これから世界は変わっていくことでしょう。
しかし、言われていたような変化は、今は起きていません。
本当は、もっと最悪の状態が用意され、ある人々の活動により、今に落ち着いたのかもしれません。
それは、それで良いことです。
これからも、その活動は続けていくべきだと思います。

今回、僕が理解したことは、
やはりこの次元では、より人間的な活動が求められているということです。
その活動の軸となる意識は、少しづつ育っているように思います。
世の中の可笑しなところに、気付いてきた人が増えたと思います。
人の命よりも経済活動が大切。
そんな現状に気付き始めました。

しかし、まだまだ、経済が最優先です。
口では、人命や安全を第一にうたいながら、経済の損失を第一に恐れています。

やはり、世界を変えたいのなら、
そこに住む人々の意識が変わらないと、何も変わらない。
それが、今回の選挙の答えのような気がします。
アセンションは、その意識が自動的に変わるはずでした。

その時期が、まだなのかもしれません。
或いは、アセンションの影響を受けながらも、その影響を最大限に活用できていないのかもしれません。
何にしても、我々が理想の世界を実現したければ、意識の発育に努力し、それを元に人間的な活動をすることが大事だと思います。
小さなことからで良いと思います。
今は、その小さな一票すらムダにしてしまう世の中です。


話は、変わりますが、僕の今、気にしている事項に・・・
僕は、誰もが平和を願い、武器がなくなる世界を求めていると思っていましたが、
事実は、武力による平和しか存在しないと考えています。
有史以来、争いは絶えず、相手に滅ぼされないようにするには、より強力な武力の保持しかないのも現実です。

しかし、それを認めている一方で、武器のない世界、争いのない世界を理想としている現実もあります。
私達の魂は、そんな理想の世界を知っているのかもしれません。
だから、争いの中でも、理想郷とよばれる国を夢見てきたのだと思います。

私達は、今は無理でも、いつかその理想郷をこの地球に出現させる夢を捨ててはいけないと思います。
現実をみながらも、現実に対処しながらも、理想へ一歩でも近づく選択をしていきたいものです。

外国の脅威に対抗すべく、軍拡を選択するのが正しいかどうか?
武器の保持をビジネスの道具に使っていないかどうか?

必要なことはしなければなりません。
しかし、それが不本意な選択であるなら、より純粋に目的を達成するための手段として選んだのかどうかを見極めなければいけないと思います。

戦争の悲惨さを知らない世代が増えてきました。
どんな理由であれ、武器を使用すれば悲しむ人が増えます。
そんな武器を保持することの意味を理解しないといけません。
抑止力に頼るのではなく、
言葉と平和活動と、尊重に基づいた自衛て無いのでしょうか・・・
今は、無理でもいつかそんな政治が行われることを望みます。

今は、小さなマッチのような灯りでも、
いつか、それが大きな光に広がるように、
この聖なる夜に、
人々の心に小さな灯りが灯ることを願っています。

イエスが生まれた馬小屋は、
動物的な世界に、真の人の子が誕生したという意味です。
我々も、また、本能的、動物的な心の中に、真の人の子の魂を宿らせないといけないと思います。

いつもこの日には、
「たとえ神の子イエスが産まれようとも、私たちの心に神の子が生まれないなら何の意味もない。」
そんな言葉を思い出します。

2012年のクリスマスイブ、
世界中の皆の心に、愛と意識の灯りが生まれることを願っています。

メリークリスマス!  みなさん!
ハッピーバースデイ  みなさんの魂に宿る神の子!

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