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昂元庵日記ランダム 9

2013年04月29日

【妄想譚】カグヤ姫を想う

余呉の天女の子が菅原道真だという話が余呉の菅山寺に残っています。
天女と天神は、その伝説の地に深い繋がりを見せているようです。

ところで、菅(スガ)という字と萱(カヤ)という字がなんとなく似ているな・・・
と思い始めたところ、僕の妄想は広がりました。

菅は、スゲ属カヤツクリグサ科に分類されます。
カヤツクリグサ科で有名なのはパピルスだそうです。

萱は、チガヤ・スゲ・ススキなど、イネ科・カヤツリグサ科の植物の総称。葉が細長い。屋根を葺くのに使う。と記されています。

昔は、今のような分類法がなかったので、菅も萱も同じように呼ばれていたと想像できます。
その生息地も湿ったところに生育するものが多く、湿地や渓流沿いに集中する傾向がある。と似ています。


カヤノヒメとも関係あるのだろうか・・・


湖北には、カヤノヒメを感じさせる野大神の信仰が残っています。
余呉も同じで、余呉巡礼で最初に拝んだ神がそれでした。

余呉の伊香氏の祖神は、天児屋根命です。
実は、ぼくはコヤネという神が不思議でして。
藤原氏の祖神が、どうして児屋根(小屋根)なのだろう・・・
天下を藤原の屋根の下に治めるのなら、大屋根だろう。

前に、KOYANEとKAYANOが似ていると書きましたが、
もしかすると、コヤネではなく、カヤネなのではないか?
天萱根(アマノカヤネ)。


伊香具神社の神奈備山を香具山(カグヤマ)です。
この日のパートナーは、ここで月に連想を抱かせました。
久しぶりにムーンストーンを持参したと言っていました。


天に帰った天女と、月に帰ったカグヤ姫
だんだんとシンクロしていきました。

カグヤマは、イカグヤマだと思います。


カグヤ姫をネットで調べるとある方のサイトにヒットしました。
そこには、こう書かれていました。
『竹取の翁 名前は讃岐造(さぬきのみやつこ)が竹を切りに行って 光ってる竹を見つけるわけですにゃ~(^^;)

それが、もしも6世紀の頃 滅亡する伽耶から倭に逃れてきたか もしくは それ以前に倭と仲良くなるために人質で送り出されたかして、やってきたお姫様だとしたら・・・

光ってる伽耶の姫 光伽耶姫

光伽耶をハングルにすると광가야 これを読むとクァンガヤそれに姫を付けて クァンガヤ姫 ちょこっと言いにくいので かぐや姫(^^;)ばんざ~い』


伽耶から逃れてきたカグヤ姫。
僕は、納得しました。
そしてカヤノヒメも伽耶の姫なのだろうと・・・


昔は、伊香と書いて、イカグと読みました。
元々は、イ伽耶だったのではないでしょうか?
イとは、僕が考えるのはイ氏です。
だからイ氏の伽耶国という意味になります。

伽耶は諸国の集まりを呼んでいました。
そして、記録も少ない謎の国です。

その中でも、有名なのは、大伽耶と金官伽耶のようです。
大伽耶とは、大きな伽耶という意味です。
その始祖は、伊珍阿鼓王といい、伊の字が見えます。
僕は、朝鮮史に詳しくないので、この伊が氏名を指すのか解りませんが、
イの字には意味があるように思えます。

大伽耶最後の王は、月光太子といいますが、
その父であり先代王は、異脳王(いのうおう)と言います。
滋賀県には、伊香とは関係ない、伊香立という地名がありますが、
この名の由来は、異香が立ち込めた場所という意味です。
伊と異が同じと考えられそうです。

また、『伝説によれば42年頃に始祖王(伊珍阿鼓)が出て半路国を建てたのが、大伽耶の前身とされる。初代王は伽倻山の神が生んだ2人の子供のうちの1人であるという。そしてもう1人が金官伽耶の初代王で ある金首露に なったという。その後滅亡までに16代の王を数える。』
伽耶は金姓とも関係深く、
竹取物語の『その後、竹の中に金を見つける日が続き、翁の夫婦は豊かになっていった。』
という話も意味がありそうです。


だから、僕は、伊伽耶が伊香耶となりイカグヤのイが落ちてカグヤになったのではないか?と考えました。

すなわちカグヤ姫とは、伊氏の伽耶国の姫様だということです。

大伽耶は、6世紀に新羅に滅ぼされます。
僕は、この時に記録に残っていない姫が倭に逃げてきたと想像しました。
韓国ドラマ、善徳女王には、月夜(ウォルヤ)という王子が出ています。
月光太子の子でしょうか?
多分、大伽耶の末期と月は関係ありそうです。

かぐや姫は、月(ウォル)姫と呼ばれていたのではないでしょうか。
そして、もしかすると、ウォル姫は、織姫(オリヒメ)と習合したと思います。

かぐや姫伝説は、七夕伝説とも結びついていきます。
余呉の天女伝説は、七夕伝説とも結びついています。


竹から生まれ、月に帰るカグヤ姫。
代表的な竹の種類に孟宗竹がありますが、これが広がったのは江戸時代からです。
マダケというのもありますが、この由来は日本固有種なのかわかりません。
大体の竹は、中国由来のようです。

カグヤ姫の生まれた竹とは、どんな竹だったのでしょうか?

カグヤ姫は、「なよ竹のかぐや姫」と名づけられました。(なよ竹は「しなやかな竹」という意味で、ちらちらと揺れて光ることを「かがよう」という)。
ということです。

なよ竹なので、それほど太い竹だと連想しません。
もっとも根が太くとも、先はしなやかですが、竹とはそういったものです。
だから、あえてしなやかだと言うのなら細い竹だと思います。
まして、孟宗竹はその時代なかったのですから。

そんな細い竹から子は生まれません。

僕が思うに、竹とは葦竹のことだと思います。
葦竹とは、ダンチクとも呼ばれるイネ科の多年草です。
すなわち、カヤの事だと思います。

カグヤ姫は、竹から生まれたのではなく、伽耶で生まれたという意味だと思います。

そして月に関係ある伽耶に戻ったのか?
しかし、伽耶は新羅に吸収されたので、戻るところがあったのか?
それとも願望だったのか?


ドラマ善徳女王には、復耶会という大伽耶の復興を目論む秘密結社が描かれていました。
本当にあったのか知りませんが、
その首領が月夜でした。
そして、そのシンボルが大伽耶の象徴としての六つの卵と亀でした。
亀と六・・・
籠神社を思い出させてくれます。
籠神社の豊受大神は、天女だと言います。
おそらく、6世紀以降に、習合したのではないでしょうか・・・


伊香に隣接する高月町という町があります。
そこは、雨森と言います。
その昔、天川命が天から漏れて、この地に降臨したと言われています。
天漏が、雨森に書き換わったようです。

天川命は、伊香津臣命の祖先です。
天川と天の川は関係しているかもしれません。
織姫、月(ウォル)姫も関係あるのかもしれません。

僕は、天女とは渡来人だと考えているので、
この天とは、朝鮮半島ということになります。

竹から生まれ、月に帰るとは、
伽耶で生まれ、高月の地へ移ってきたという意味にならないでしょうか?


高月町から、さらに湖東を南下すると秦荘町があります。
ここは、秦氏の地です。
もう少し南下すると百済寺があります。
百済からの渡来人だと考えられる秦氏との関係が深い場所です。
余談ですが、この百済寺は、織田信長の焼き討ちにあっています。


秦氏の氏神、京都の松尾大社には、壱岐氏の月読神社があります。
壱岐氏と秦氏は関係あるようですね。
そして、イキ氏とイカ氏が関係ありそうな気がしています。

月神を祀る壱岐氏と、月光王子の伽耶。
壱岐島は伽耶から倭に渡る海上にあるようです。


僕は、秦氏とは、百済の太学舎のイメージがあります。
太学舎とは百済の学校兼研究所のことで、様々な技術を開発している技術史集団です。
最近、韓国歴史ドラマを見ているので、イメージが膨らみます。


秦荘町には、蚊屋野神社や香之神社があります。
香之は、コノと読むようです。


つい先日、奈良の讃岐神社へ行ってきました。
その地は、讃岐の忌部氏が竹細工を献上しに移り住んだ地だそうです。
竹取の翁は、讃岐造と言い、
カグヤ姫の名付け主は、御室戸斎部の秋田と言います。


前に書いたあるサイトには、
『忌部という音をハングルにすると임イム 베べ これを日本語に訳すと임イムは林 베べは麻布を意味しています~(^^;)』
と書いておられました。

忌部氏の忌部神社の社紋は、梶です。
梶は、紙の原料として神聖視されています。
前に書いた、
『菅は、スゲ属カヤツクリグサ科に分類されます。
カヤツクリグサ科で有名なのはパピルスだそうです。』
にリンクしそうです。

そして、忌部氏の大麻比古神社の社紋は、麻です。
忌部氏と麻は強い繋がりがあります。

忌部が韓国語で、麻布の林を言う意味なら、
忌部氏も渡来系の可能性があります。
カグヤ姫を育てた忌部氏が渡来系なら辻褄が合います。


余呉巡礼は、麻とも関係していました。
そして、そのナガレは、出雲の忌部から続いています。
伽耶は鉄王国だったそうです。
そして忌部の出雲も産鉄地です。

奇しくも、奈良の讃岐神社へ訪れた日、
橿原考古学研究所付属博物館で、ガイドさんと長時間の話をしたのですが、
その方は、出雲出身で、宍道湖でよく泳いでいたそうです。

伽耶が滅んだのは6世紀です。
博物館の特別展示のテーマは、5世紀のヤマトでした。


おそらく、5世紀、6世紀の日本には大きな秘密がありそうです。
5世紀の舞台は、大阪河内の百舌鳥辺りだったようです。

白鳥伝説は、ここへ繋がりそうです。


話しを戻して、奈良、讃岐神社は、ウィキによると
『讃岐の故郷の神を勧請し創建したものとみられる。延喜式神名帳では「大和国広瀬郡 讃岐神社」と記載され、小社に列格している。
広瀬川合(現 廣瀬大社)の若宇加乃売命を勧請したことにより、江戸時代までは「広瀬大明神」「南川合明神」と称していた。』

廣瀬大明神といえば、これまたウィキによると
『社伝では伊勢神宮外宮の豊宇気比売大神、伏見稲荷大社の宇加之御魂神と同神とする。
龍田大社の龍田風神とも関係があるとしている。ただし、本来の祭神は長髄彦であるとする説もある。』

伊勢外宮の豊宇気比売大神は、籠神社から勧請されていますから、
天女であり、讃岐神社のカグヤ姫とリンクしそうです。
ただ、廣瀬大社の本来の祭神は、ナガスネヒコだという話もあるので、
トミ氏とも関係ありそうです。

僕は、これはナガスネヒコではなく、廣瀬の水神なので、
トミ氏の信仰した縄文の水神なのだと思います。

元々、トミ氏の信仰したクナト神やアラハバキ神が丹後に祀られていました。
その水神が、6世紀に伽耶の姫が余呉に渡ってき天女伝説を生み、
その伝説が丹後に伝わり、縄文の水姫と、天女が習合したのだと考えています。

           


※ここに記述している日記は、僕の思いつきですから、史実を深く調べていません。
 だから決して鵜呑みにしないでくださいね。
 あくまで、僕の巡礼旅をガイドするお話です。

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