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鳳虹庵日記 2

2011年11月21日

続・馬と鰐

前回、馬神神社のことを書きました。
で、実際の由来を調べてみると・・・

馬神神社
興生相生大明神(こうしょうそうせいだいみょうじん)とも呼ばれ、もとは札の辻の人馬会所敷地内にあったもので、明治43年(1910)に現在地の長等(ながら)神社境内(三井寺町)に移された。寛永年中(1624~1644)に疫病が大流行したとき、多くの牛馬が死んだので、京都吉田社より神を勧請(かんじょう)し、疫病退散の祈祷(きとう)をしたことに始まるといわれる。以来、大津宿の惣鎮守(そうちんじゅ)として馬持ち達の信仰を集めた。

ということで、江戸時代に作られたそうです。
しかし、気になるのは、その名が 興生相生大明神というそうで、
興生の意味はわかりませんが、相生というと、連理と同じように
二つのものが仲良く和合している様子に使います。

因みに赤山禅院の相生社には、鴛鴦(おしどり)神を祀っていますし、
下鴨神社の相生社は、神皇産霊神(かみむすびのかみ)を祀っています。

また、調べてみますと、茨城県にある大杉神社にある相生神社は、男神と女神が一対で祀られており、御祭神は、金精大明神というそうです。
金精大明神とは、男根の形をした御祭神を祀った神だそうで、いわゆる性信仰であり、和合の神様となります。
面白いことに、この相生神社の隣には、勝馬神社があり

 縁起によれば貞観四年(862)信太の馬牧(現在の茨城県稲敷郡美浦村信太付近にあったとされる朝廷の官牧)の中に馬櫪社と呼称された馬体を守護する神社が存在しておりました。その後馬櫪社は稲敷市幸田に遷され、さらに大杉神社の境内に遷されました。昭和初期までは大杉神社の馬場で毎年4月8日に競馬が開催され、100頭の馬たちが出走しておりました。

と、大杉神社のHPには記載されています。
前回書きました馬猿信仰も日神と水神の和合でしたから、ちょっとひっかかるものはあります。

さて、その馬神神社のある長等神社がある場所は、長等山の麓であり、
そこには、三井寺があります。
この長等山に太古、現われたのが三尾明神です。
この三尾明神とは、伊弉諾尊のことで、卯年の卯月卯日卯の刻に現われ、長等山の地主神になったそうです。
今は、三尾神社として祀られております。
三尾神社は、兎の神社として有名ですが、もう一つ兎を使いとする有名な神社は、住吉大社です。
住吉大社も卯年卯月卯日に建てられました。

なぜ、ウサギかというと、
ウサギは、鵜鷺であり、鳥をも意味します。
ウサギ自身も1羽2羽と数えます・・・鳥と同じですね。
鳥は、太陽を表します。
特に青鷺は、古代エジプトでベナウと呼ばれフェニックスの原型です。

僕は、住吉大神も古い太陽神だと思っています。
その姿は、翁の姿です。
もう少し、特徴を狭めると釣りをする翁です。

石山寺を建てた良弁の前に現われたのは、釣りをしてた翁でした。
その名を比良明神といいます。
又の名を白髭大明神であり、猿田彦大神です。
猿田彦大神は、古い太陽神です。


話を戻しますが、
三尾神社と長等神社は、三井寺の敷地の下に平行してあり歩いてもすぐと言ってよいほど近くにあります。
どちらもその隣に現在の三井寺の拝観口があります。

三尾神社には、イザナギという男神を主祭神とし、
長等神社には、スサノオを祀っています。
その隣には、馬神です。

イザナギ - イザナミ
アマテラス - スサノオ

この対の片割れが、対応するように祀られているのは興味深いです。


また、長くなったので、鰐の話は、次にします。

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