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鳳虹庵日記 45

2012年03月20日

旅の果ての岩戸開きとミロク

今回の旅は、僕にとって非常に重要な旅となりました。

それは、今までの巡礼で得てきた鍵が一つに纏まってきて、一つの結論を得たことによります。

今後も僕の巡礼は、まだ少し続きますが、この三河巡礼が一つの集約点だというのは間違いなく、ここに一つの答えを見出し、後の展開に繋がっていくことになると思います。

そのスタートが春分の日だというのは、とても意味があると思っています。

また、春分は、昼と夜の別れ目であり、その日に訪れた旅の終着地が、岐阜にある伊富岐神社というのも興味深いです。

岐阜の岐は、別れ目の意味であり、岐神(フナドノカミ)とは、賽の神とも呼ばれる境界線の神様です。

僕の得た一つの答えというのは、他人が理解されるには時間がかかることかもしれません。

それは、十分な情報が得られていないということにあると思いますが、未来は未知数を秘めており、その結果は、現時点では不明な点も多く、ある情報の開示は、逆に混乱を招くことになります。

僕は、今回の結論だけをここに記するつもりですが、それが万人にとって意味があるものかどうかは解りません。また、僕自身に対しても有効ではあるものの、最良を齎す結果になるかは未明です。

それでも、今回の巡礼で、繰り返された8と18という数字、または多くのシンクロや牛のシンボルなど・・・・それは一緒に旅した方達も一緒に体験してきたものです。

特に18は、ミロクの数字です。

666、6+6+6=18

369、3+6+9=18

567、5+6+7=18

ミロクの数字は全てたすと18になります。

三河からの帰り、旅の最後に一人、伊富岐(イブキ)神社でたどり着いたのは、弥勒堂でした。

旅の果ての岩戸開きとミロク


ミロクとは、今回得たインスピレーションでは、

「身69」でした。

身とは、身体であり、三次元的な姿として表した形です。

それが、69であるということ。

69は、陰陽の太極図で知られるシンボルです。

旅の果ての岩戸開きとミロク2


男性と女性の和合した形、

+と-、

観音様の姿、

金龍と銀龍であり、白龍と紅龍です。

それら、二つの極が統合したものです。

これは、その中道を意味します。

テーゼでもアンチテーゼもない中間です。

陰陽図は、よく白と黒で表されます。

これは、光と影でもあります。

今回の旅で示された、赤・青・黄の三色。

色の三原色と光の三原色。

旅の果ての岩戸開きとミロク3

色の三原色は、重なると黒になります。

光の三原色は、重なると白です。

三原色の色は、それぞれ少し違いますが、同じ色を用います。

白も黒も、同じ三色から出来ているのです。

それが、光に照らされているか、光を吸収しているかだと思います。

光と闇は、反するものではなく、その元は同質であり、同じ三つの要素から出来ております。

その両方を一つにまとめ、本来の姿をしているのが、69に表されるミロクだということです。

このミロクの思想が、救世主となります。

それは、テーゼとアンチテーゼの中間、

中道、和合そんな意味合いです。

話は変わりますが、アマテラスが岩戸に隠れた時、世は暗黒に見舞われます。

再び、光を呼び戻すために、神々は宴会をしました。

私達も闇に覆われたとしても、明るい気持ちを忘れてはなりません。

笑い(ワライ)とは、パワーです。

ワライは、和来でもあります。

笑によって人は和合することができます。

笑には、摩擦がありません。

摩擦も滑り、異質も統べることができるのです。

伊勢の家の門に飾られる「笑門」は、笑う門には福来る。ですが、とても意味深いです。

夜明け前が一番暗いと言います。

アマテラスが岩戸から現れる直前の闇を笑いで乗り越えましょう!

真っ暗で途方に暮れても必ず夜明けはやってきます。

それが自然現象です。

真のアマテラスが現れると、その高エネルギーは、人々の内面をも照らし出し、闇を持つ者は、苦しむことになります。

それが、遍く照らす光のパワーです。

そのエネルギーにより、内面に摩擦が起きると、その摩擦熱は身を焼くことになるかもしれません。

その摩擦とは、心理的な葛藤に見られます。

葛藤とは、異質の何かがぶつかりあっておきます。

それを和合させなければなりません。

それがミロクの力です。

大切なのは、中道を生きること。

その鍵は、「捉われない心」だと思います。

禅の思想にも通じます。

過度な執着に落ちいらないことです。

執着しないこと、こだわらないこと・・・

それは、決して無関心になることや、努力をしないことではありません。

良いことをしても、良いことを話ても、

それに捉われると、いつしか道を誤ることがあります。

いつも両極端から逃れ、中道を生きることが重要だと思います。

自分の考えに執着しないこと、

仕事や、土地、環境、お金・・・それらに過度に執着しないこと。

それでいて、それらを大切にすること。

それが捉われない心だと思います。

執着することと、執着しないことの中間です。

それが葛藤から逃れる道だと思います。

アマテラスの高エネルギーで焼かれない方法であり、その逆、その高エネルギーを獲得する方法だと考えています。

それが救世主ミロクだという結論に至ったのです。

ミロクの世の到来はやがて起こると思います。

それは、宇宙のサイクルであり自然現象です。

だから、古代人は、ピラミッド等を作って天体を観測していました。

その世の到来を知るためです。

でも、救世主を語る人の登場は信じていません。

もし、その人が現れるなら、僕は胡散臭さを感じるでしょう。

ズルイ人達が、過去に創作した上手な伝説の匂いを感じます。

ここに書かれたことは、あくまで僕が導かれた一つの答えです。

どう受け止めるかは、それぞれの自由ですし、役に立つものかどうかも関知しません。

僕自身も正しいのかどうかわかりませんが、辿り付いた答えということでそれ以上でも、それ以下でもありません。

昼と夜の中間の春分の日に訪れたイブキ神社。

そこには、伊吹の名のとうり、力強い風が吹いていました。

イブキは、また息吹、気吹でもあります。

そして、生命の息吹、神の息吹を感じます。

伊吹の風を全身に受けながら、新しい始まりを感じた三河巡礼の終着となりました。

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