見出し画像

巡禮セレクション 9

2014年08月30日(土)

馬から鹿へ、馬鹿な神は福の神なのか・・・
 

○○○さんとのコメントのやりとりで、
馬肉を食べる多氏の話に記憶がつながりました。

僕も参考にさせてもらっている古代豪族のことを書かれているサイトの多氏考にこんなことを書かれていました。

「ある本で「日本で古くから馬肉を食べる習慣があったのは現在の熊本県と長野県だけであった。」という記事を読んだことがある。この話と本稿の多(おお)氏とが関係あるのではと直感したのであるが、いかがであろうか。」


多氏の元祖は神武天皇の子供である神八井耳命ですが、
ここから、阿蘇国造と科野国造が建磐龍(武五百建)が出ています。

ところで、結婚式に謳われる高砂ですが、ウィキをみると、
「『高砂』(たかさご)は、能の作品の一つ。相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能である。古くは『相生』『相生松』と呼ばれた。

ワキ、ワキヅレがアイとの問答の後、上ゲ歌で謡う
『高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉に着きにけり、はや住吉に着きにけり』
は結婚披露宴の定番の一つである。唄には、夫婦和合の妙(ハウツー)の意味がある。」


これを謡うのは、「ワキ」として登場するのが阿蘇神社の宮司「阿蘇友成」で多氏です。


僕は、この高砂のイメージが宝船に乗った福の神が住吉に着く話に思えてしまいます。
とても意味ありげに思うのです。


多氏の派生氏族として有名なのは、九州の「阿蘇氏」と信州の「金刺氏」ですが、阿蘇氏は阿蘇神社の神官であり、金刺氏は諏訪大社下社の神主です。

これが馬食の文化と繋がっていると前述のHPの著者は感じたようですが、僕も意味があると思います。
一般的に神の使いを食べたりしないものですが、この場合は別の文化的思考が働いて、神の授かり物として大事に食用にも利用し信仰もしたのではないでしょうか。

日本人は鯨を勇魚(イサナ)とよび捕獲した後は、髭の一本まで大切に利用し敬意を持って自然からの賜り物として信仰していました。
鯨漁で有名なのは和歌山ですが、同じ黒潮ルートの民として、この多氏は同じような文化を持っていたのではないでしょうか。


ちょっと脱線しますが、少し前に〇ちゃんから「相馬」のメッセージがきていると連絡を受けていたのですが、その後、解読できませんでした。
もしかすると、相馬の相は二つの意味があり双に当てはまります。
この二つの馬は、阿蘇と諏訪ではないか・・・と思いました。
すなわち多氏を意味します。


話を戻すと、黒潮ルートの民、そして和歌山の伝説。そして今の話題の主は、徐福一派です。
高砂の福の神のイメージにも繋がります。


〇ちゃんとの火のシンクロで、火山に注目しました。
火山といえば、今も活発に噴火している鹿児島の桜島。
そして、今朝阿蘇山中岳第1火口で小規模な噴火があり警戒レベルを引き上げたようです。


鹿児島の徐福伝説を見ますと確かにあります。
「蓬莱の地を求めて大船団で船出した徐福一行はここいちき串木野市の海岸に上陸しました。
霊峰冠岳(かんむりだけ)は薬草が多く自生する山で,不老不死の薬草があるに違いないと思ったからです。
佐賀県の伝説を考慮すれば,佐賀から船出し,九州西海岸沿いに南下した一行がここ串木野にたどり着いたと考えるのが自然かもしれません。
いちき串木野市は「市来」という地名がありますが,徐福の別名は徐市(じょふつ)で,「徐市が来た町」という意味があるようです。」


徐福と多氏はなんらかの関係で繋がっているように思います。


神八耳命の6代目あたりに、建借馬(たけかしま)という人がいます。
『国造本紀』(『先代旧事本紀』第10巻)では、成務天皇の御世に初代仲国造(なかのくにのみやつこ)に任じられたとあるようです。

この人は、どうやら鹿島神宮と関係があるようで、多氏考には、
「鹿島神宮の原点は多氏の氏神であったという説が濃厚である。
現在茨城県潮来町大生にある「大生(おお)神社」が鹿島神宮の元宮だとされている。
現在の祭神は「建御雷之男神(たけみかづちのお:武甕槌神)」である。由緒では大和国の飫富族の常陸移住の際氏神として奉遷し祀ったことに始まるとされている。」

「水戸市にある大井神社には祭神として「建借馬命」が祀られている。建借馬命の墓も近くに比定地があるようだ。」


鹿島神宮の主神として祀られていることから鹿島神とも呼ばれるタケミカヅチは、火神軻遇突智(カグツチ)の首を切り落とした際、十束剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱である。

カグツチは、火山神だと僕は理解しています。
七色堂「カグツチ暴れる」参照)
ここでも火山のシンクロが繋がってきます。


そして、タケミカヅチの別名は、
建布都神(タケフツ)、豊布都神(トヨフツ)といいフツの神なのです。
日本では徐福の名で有名ですが、彼は徐市(ジョフツ)という名です。

徐福がフツの神だと断言はしませんが、徐福の子には、福永・福万・徐仙・福寿がいるというようです。
市(フツ)が福(フク)に変わっているのなら、福の付く子らもフツの神の可能性が出てきます。

鹿島神宮では、鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神が2,500人余りの大行列・100艘以上の大船団と共に巡幸して香取神宮の御祭神である経津主大神と水上で出会う今年12年に一度の御船祭が行われますが、この船団も徐福一派の船に繋がっているのかもしれません。

火山を調べていて解らなかったのが、鹿児島の十島村は、吐噶喇列島(とかられっとう)の行政区域です。
トカラは宝のなまったものだという説もあり、列島の中には、宝島や小宝島という島もあります。
その中で十島村で二番目に大きい島が諏訪之瀬島です。
1956年以降毎年噴火しており、現在も活動中の火山です。

解らなかったのが、なぜ鹿児島の南に諏訪なのか?
ということです。
それにトカラは七福神の宝船と関係ないのだろうか?


「建御名方神の島 」と書かれたブログには、
「南九州には南方神社が各地に存在する。その祭神は、建御名方刀美命・八坂刀売命となっている。だから、南方神社は、本来、『建御名方神社』であることが判る。」
と書かれています。


四国にも諏訪大社の元宮だと伝わる多祁御奈刀弥(たけみなとみ)神社があります。
(「建御名方命と阿波」参照)


仙台巡礼の時、○○○さんがタケミナカタとタケミカヅチは同神ではないか・・・と言っておられました。


諏訪神とは、出雲神ではなく徐福一派の派生なのかもしれない・・・
徐福は出雲族と同化したため少彦名もそのモデルになっていると思います。
同じように諏訪神もその可能性を考えたいと思います。


諏訪の手長足長も徐福一派の山東省人の遺伝子の可能性はないのだろうか?
(「山東省人と手長足長」参照)


徐福一派3000人の中には、手長足長体型の遺伝子を持つ者や、ユダヤ系宗教が融合した信仰を持つ者もいたと考えたいです。


手長足長族が壱岐島へ移動した可能性。
壱岐島の手長に天が付くものその理由からか・・・
津島神社の牛頭信仰が対馬からきているのは、徐福一派が対馬にも関係しているからか・・・
それとも、徐福文化に上乗せしてきた牛天神信仰が対馬に渡ったからかもしれません。


妄想の粋を出ませんが繋がってきました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?