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ゴッドマザー 後編

ここは、古都にある一軒のBAR。
武士が歩いていた時代に作られた人工の川にかかる小さな橋を渡り、細い路地に面した目立たない建物の階段を上がったところ、名刺大の表札の横にある頭を下 げないと入れないような小さな扉を開けると、そこにカウンターだけの隠れ家的なBARがひっそりと明かりを灯しているのである。


馴染みのミワという若い女性と初めてこの夜にここへ訪れたタケウチという初老の男がなにやらマニアックな話に華を咲かせている。
マスターに理解できたのは、話題が女神に移ってきたようだということだけだったが、話し手はミワからタケウチに変わっていた。

「私の考えもほぼ同じです。
しかし、日本の神よりギリシャの女神を見たほうがもっとダイレクトに語れると思います。
それは、大地母神と呼ばれるデメテル とペルセポネ の神話です。
女神デメテルの娘ペルセポネはギリシャの主神ゼウスの兄弟で冥界の神であるハーデスにさらわれます。

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デメテルは冥界へ娘を連れ戻しに行きますが、それが叶わず1年のうち2/3だけペルセポネは地上で生活するという条件で戻ってきました。
ペルセポネが地上にいる間だけ豊穣神デメテルは実りを齎し、ペルセポネは冥界の女神でありながら春の女神と呼ばれています。
これは地上に豊穣をもたらす女神は冥界と関係しているという意味だと思います。
これは、季節という死と再生を意味しているのだと思います。

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世界各国で、この大地母神は存在しこの女神は命を司る時に水神であり、月神であったりします。
日本の水神や川神もおそらくその原型はそれらの水神だと思います。
私は、その代表的な瀬織津姫なんかは、イナンナ やアナヒーター ではないかと考えています。」

「なるほど、そのとおりかもしれません。シュメールの豊穣の女神、イナンナは別名イシュタル。アナヒーターは、ペルシャの川の女神で、同じく川の女神であるインドのサラスヴァティーと同起源と考えられていますから、川の女神である瀬織津姫と重なる部分があります。またイナンナやアナヒーターは金星神です。金星はビーナスの一面もありますが、明けの明星といえばルシファーを表す一面もあります。太陽の前に輝く星、これを堕天と呼んで良いのかわかりませんが、つまり正神の前に輝いていた神という意味では、瀬織津姫のイメージにも合うように感じます。だから、瀬織津姫は天照大御神の荒魂と呼ばれているのかも。」
ミワが続けて口を挟んだ。
「そして月もまた、水を支配し生命を支配する神です。
これは、満月の日に生物に与える影響や、海の満ち引きは月が原因だということに起因しているのかもしれません。
そして穀物は月のサイクルに支配されているわけです。
生と死の女神は、大地において大地母神、山神、水神の姿をとり、天において月神になるのかもしれませんわね。
もしかすると、ある民は冥界を地下や山ではなく月に見出したのかもしれません。
月もまた、朔と望の死と生のシンボルをもつ天体です。」

「同感です。
ところで、今、気付いたのですが、先ほどのデメテルの話をしていて、
無理やり娘を連れ去られた神がインドにいたことを思い出しました。」

「阿修羅 ですね?」

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「そうです。
阿修羅は、そのせいでいつまでも娘を救い出すために闘い続けているのだとか・・・
元々、悪神ではなかったはずです。」

「阿修羅といえば、アスラともいいますが、タケウチさんは、日本の神に阿須波神(あすわのかみ)というのがいるのをご存知ですか?」

「坐摩五柱 の一神ですか?」

「はい。坐摩神(いかすりのかみ)は、生井神・福井神・綱長井神・波比砥神・阿須波神の五神です。
大きく分けると生井神・福井神・綱長井神の水神と波比砥神・阿須波神は、ハヒキの境界、アスハの基盤の意でともに屋敷神、庭神をさします。
継体天皇が福井の治水にこの坐摩神を勧請していますが、福井県の福井は福井(さくい)神からきているそうです。
しかし、その神社は足羽(あすわ)神社 といいますから、阿須波神がメインだともとれます。
大地の地盤とそこに流れる水が坐摩神なんです。
もしかするとアスワとハヒキでアラハバキなのかもしれませんわね。

これらの神も元は、山神、水神、冥界の神なのかもしれないと考えています。
山から湧き出る水は川となって里へ流れてきます。
川とは、冥界と里との境界でもあり通路でもあるのです。
水も山で生まれその川にそって海に流れ込み、また雲になり雨を降らせ山の水や湧き出る地下水となって再生します。

これらの神は、その後境界の神として性格付けされたようです。
ある方のサイトを見ていると阿須波神は鬼渡神という名でも信仰されているようで、
オニワタリは、ニワタリ、庭神に転化したようなんですが、
鬼渡神は、どこでも渡れる神だそうです。
その名のとうり鬼の世界からこの世へ渡ってくる神だそうです。
鬼籍に入るといいますが、鬼の世界とは死後の世界、冥界のことだと思います。」

「ワタリの神というと、大山祇神 はワタシの神と呼ばれていますよね。
そして、海神オオワタツミもワタ(海)の名があることから同神だという説もあります。
どちらも天孫族に娘を嫁がせていますからなんらかの関係はあるのでしょうね。」

「あると思います。山が異界なら海もまた異界なのです。
だから、補陀落渡海 の信仰が生まれたのです。それがある熊野はまさに黄泉につながる地です。
だから、大地母神イザナミの墓は熊野にあると言われているのだと思います。」

「うーん・・・興味深いですね。」
タケウチは少し黙りこんだあと口を開いた。
「もしかして、白神と境界の神といえば、道祖神として祀られるサルタヒコを思い出します。
サルタヒコも関係あるのでしょうか?」

それにミワは少し顔をしかめ、難しい顔をしながら、
「それはまだ確信はありませんし、もっと調べないといけませんが、
関係あると考えています。
サルタヒコは白鬚明神 とも呼ばれています。
白鬚は老人を意味しあの世に近い存在です。
他にも老人の姿をしている神も同じだと思います。
白鬚明神は比良明神とも呼ばれ石山寺建立のおり良弁の前に釣人の翁の姿で現れています。
比良は、黄泉比良坂の比良ですし、
良弁は東大寺初代別当ですが、東大寺へお水を送る遠敷明神も釣りをしていていました。
遠敷明神は若狭彦であり、これは海を感じさせますし、
これらのグループは塩土老翁のイメージに合います。
塩土老翁は、行く先を示す神です。
猿田彦神もまた、導きの神です。
これは、冗談ですが、導きの神とは、潮の満ち引きの神でもあるのかと・・・
ただ、これらの海の神は、航海神、星神の性格があるので一筋縄ではいかないと思います。
男神は難しいですわ。」

ミワは少し笑顔になって続けた。
「それと、このグループはエビス様とも通じているのかもしれません。
白神信仰は、白山信仰の少ない関西において恵比寿信仰に変わったのかもしれない。という話を読んだことがあります。
えべっさんで有名な西宮戎には、百太夫 が祀られています。
この百太夫は百神と同神であり、百神とは、傀儡の信仰する神で道祖神だそうです。そして百神は白神でもある可能性があるようです。」

「古い信仰は新しい天孫族への信仰に消されていったのですね。
しかし、名を変え、信仰を変え、それらの神は残されているのかもしれませんね。」

「はい。そして傀儡女や白拍子といった女性芸能の祖はアメノウズメとされています。
ご存知のとうりアメノウズメは天照大御神の死と再生の儀式、天岩戸伝説の重要な女神であり、猿田彦神の妻神です。
私は、もしかするとアメノウズメは、天神ではなく地上の古い女神だったのではないか・・・
そしてサルタヒコとウズメは表裏一体だったのではないか・・・という気がしています。
それは道祖神にもよく見られる男性のシンボルであったり、女性のシンボルであったり・・・

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リンガン・ヨニの信仰なのだと思います。
でも、サルタヒコとウズメは対神であっても、表裏一体の神とするのは多分証明不可能だとも思っています。」

「仏教で大地母神にあたる堅牢地神 というのがいますが、通常は女神なのですが、密教では男神と一対とするようですよ。
それに、これはある人から聞いた話ですが、天鈿女(あめのうずめ)とは、天に散りばめたとか、宇受賣(うずめ)の宇は天や屋根の意味ですから、
天に散りばめた女神という意味になるそうです。
エジプトにそんな女神がいて、ヌト と言います。

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ヌトの体には星々が描かれ、屋根のように体を天空に覆いかぶせている姿をしています。
そして太陽はヌトの体を通り運行すると考えられていたようです。
太陽の死と再生を司る女神がこのヌトなんです。
このヌトの夫神が兄である大地神ゲブです。
エジプトでは、大地の神が男神ですが、それでも生命を司る神は、このヌト女神なのです。
ヌトは人の命だけでなく、太陽の命も支配していた。ゆえにそちらにフォーカスして天空神となったのかもしれません。
それに、夫のゲブと抱き合っている所を無理矢理大気神シューによって引き離され、天と地とが分かれたと伝わっていますから,
天と地の神、ヌトとゲブは元々一体だったわけです。」

「そうなんですか・・・もしかするとサルタヒコとウズメもそんな関係なのかもしれませんね。
元々一体神だった天と地の神は時に男女が逆転して伝えられたのかもしれませんわね。
上にあるものは下にもある。天と地は繋がりあるもの。そんな思想も混ざっているのかしら。」


ここで二人の言葉が途切れた、
今までにない沈黙が空間を支配した。

それを破ったのはタケウチだった。
「一般的に大地母神は母神、女神であり、父神はというと天空神 になります。
この天空神は、宇宙創造に関わった原初的な神なのですが、それ以外は存在するだけで何もしない神なのです。
人間とは関わらず、至高の神でありながら信仰の対象になることが少なかったようです。
なぜなら、いくら天空神に祈ってもなんのご利益もないと考えられていたのだと思います。
それに反し母神は、人間や生物を育む神でした。
生命は彼女に祈ることにより繁栄と利益をもたらされると考えたのだと思います。

縄文時代の土偶が豊満な女性の姿をしているのも、そんな母神を表現しているのかもしれませんね。」

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「確かに、八百万以前の神は、この大地母神の信仰だったのだと思います。
日本ではイザナミに代表される女神たちは、みなそれぞれの地域で母神、女神として信仰されていたのだと思います。
古代では男権社会ではなく女権社会だった。だから天照大御神は、他の国の太陽神とは違って女神であり、
邪馬台国でも王ではなく、女王が支配したのだと思います。
そしてそれらの女神は、山神、水神、川神として細分化または、なんらかの名を冠する姫神となっていったのだと思うのです。
今、この姫神達が神社ブームと相まって注目されているようですが、女神が甦ってきているのかもしれませんわね。」

「イザナミのヨミガエリか・・・」

タケウチの小さな独り言のようなつぶやきにミワは反応した。
「え?なんですか?」


「いえ、なんでもありません。独り言です。
しかし、とっても興味深いお話をありがとうございました。
ほんと、今夜このお店に来れて良かったです。
お酒も切れたことですし、これで私は失礼いたします。
マスター、彼女のお勘定はこっちにつけといて。」

あわてて断るミワにタケウチは、話のお礼だからと代金を無理やりカウンターに置いていった。

「あの・・・ありがとうございます。
私、日野美和子と申します。また機会があれば良いですね。」

彼女のことをミワちゃんと呼ぶマスターでさえ、初めて彼女のフルネームを知った。

タケウチは
「マスター、また古都へ来た夜には、寄らせてもらいます。
なんともエキサイティングな夜をありがとう。
では、ミワさん、おやすみなさい。」
と小さな扉に身を屈めながら去って行った。

最高の笑みでお辞儀をかえしたマスターは、
今夜ここに畑さんがいなくて良かったと思わずにはいられなかった。

    おわり


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