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巡禮セレクション 10

2014年08月07日(木)  

建御名方命と阿波

伊賀の神社を調べていて、伊賀街道から津へ向いました。
今回は、上阿波のさるびの温泉を終着にしましたが、その先は、長野という地名になります。
どうも長野氏と関係ありそうですが、ちょっと気になるのは、長野県・・・そう諏訪ですよね。


長野県の「諏訪大社」という呼称は、昭和23年からのことであり、元々は、信濃國諏訪郡 南方刀美(みなかたとみ)神社と呼ばれていたようです。

この南方刀美神社の元宮が阿波にあるのは、ご存知でしょうか?
「空と風」さんのブログに詳しく書かれています。

ちょっと気になる記述を抜粋します。
「式内社「事代主神社」が全国で阿波にだけ(島根にさえ無い)あるように、事代主命は阿波の人物でしょう。
高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。
この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。」

「「長の(naga no)国」とは阿波の国の、しかも郷土史研究家が、葦原中国に比定する地域の旧地名だからです。
あまりに有名で聞きなれているせいで「長野」という地名を見ても、その意味を考えようなどとは思いもしません。」


「上記の「高志」(上板町)の南隣り、直線距離で2~3キロの名西郡石井町浦庄字 諏訪 に、式内社・阿波國名方郡 多祁御奈刀弥(たけみなとみ)神社 があります。

御祭神は、諏訪大社と同じ「建御名方命」です。

神社の由緒には「祭神建御名方命は大己貴命の御子なり。御母は 阿波の高志 の沼河比売なり」とあります。

『阿府志』は、高志国造の阿閇氏が、この地に産まれたという建御名方命を祀ったもの、と記します。」

「「多祁御奈刀弥神社」社伝によると、信濃諏訪郡の南方刀美神社は、この阿波の多祁御奈刀弥神社から、宝亀10年(779年)に移遷されたもの、となっています。

『名西郡史』には、こう記されています。

社伝記ニ光仁帝ノ御宇宝亀10年、信濃國諏訪郡南方刀美神社名神大、阿波国名方郡諏訪大明神ヲ、移遷シ奉ル

(大杉博氏の著書では“宝亀10年”、『記・紀の説話は阿波に実在した』の、同引用では“宝亀12年”となっている)

昔は、この「多祁御奈刀弥神社」が「諏訪大明神」と呼ばれていたことがわかります。」


「御神名の「建御名方命」の「名方(なかた)」は、この神社の鎮座する地名である「阿波國名方(なかた)郡」からの命名と考えられます。」


「大杉博氏の『邪馬台国は間違いなく四国にあった』によれば、「長野県の諏訪は、養老5年(721年)に信濃国を割いて諏方(訪)国を置いたのであり、それ以前に長野県に諏訪国はなかった」のであるから、記紀神話に登場する「諏訪」は、長野のことではない、と書きます。」


以上、抜粋終り

時間がないので、今はここまでの更新にしておきます。
この阿波に隠された問題は、もう少し掘り下げる必要性を感じています。

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