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巡禮セレクション 21

2014年07月14日(月)

鳥と蛇、または火と水のヒミツの錬金術

鳥と蛇1


「今回の巡礼も錬金術だね。」
と、この二日間、旅の共とガイドをしてくださったメンバーの〇ちゃんが、二日目の速須佐之男神社で語りました。
そのシンボルは、一日目の素戔嗚神社の、なぜか片方だけが錆で赤く染まった、赤白色もしくは金銀色の狛犬により示されていました。

鳥と蛇2


思えば、最初に錬金術をテーマに意識したのは、2011年のことでした。11は、二本の柱で錬金術のシンボルでもあります。
あの年に、巡礼が集中したのも意味があるのかもしれません。

2011年のGWの巡礼の最初
「今回の旅のテーマは、「雷神降誕!」
そう思っていたら、朝に〇ちゃんから、
「雷は、錬金術だね!」とメールが来ました。」

「雷は、+と-で起こる錬金術」
そのGWの巡礼は、雄と雌、男と女、陽と陰、+と-に示される旅でした。

思えば、最初に〇ちゃんと出会った巡礼は、岡崎市の真福寺でした。
ここには、三升の米を食べ、三升の金を吐きだす犬にまつわる蛇の伝説が残っています。
これは、正しく錬金術のシンボルです。

少し、きわどい話題になって恐縮ですが、風俗的、民俗学的、人類学的、秘教的なまじめな知識として、米は精液のシンボルであり、それを金に変えるのが錬金術の奥義なのです。
大黒さんが米俵に乗っているのも意味があり、○○○さんが、たぬきとサルタヒコの繋がりを想起されたのも同じ意味があります。

鳥と蛇3


実は、たんたんたぬきの○玉と、きつねの稲荷寿司は同じモノを意味しているのではないか・・・と今回、感じてしまいました。
なんせ、豊川稲荷の奥の院には、ダキニの横に大黒様を祀っているのですから・・・


〇ちゃんと会うのは、1年以上ぶりになります。
前回は、余呉の天女や天神を巡る旅でした。
そういえば、日本に影響はないようですが、たぬき台風の次は雷神台風が発生しています。
余呉もまた、僕の感覚では錬金術の村でした。

そんなことで、自然と今回の旅も錬金術に、そして、それに関わり、火と水の祭祀、もしかすると鳥族と蛇族の関係。
それを想像させてくれる旅でした。

二日目の最初には、石巻山にある石巻神社から巡礼が始まりました。
この石巻山は霊山であり神奈備山です。
ここには、
直径60センチ、奥行13メートルほどの蛇穴と呼ばれる穴があり白い大蛇の悲恋伝説がのこっています。
また、ダイダラボッチが本宮山と石巻山をまたいで小便をし、それが豊川になったという伝説があり石巻山はダイダラボッチの足跡と呼ばれる石があります。
そして、大天狗、少天狗の岩があります。天狗同士が石を投げ合って勝負した名残だと言われています。
とても縄文由来を感じさせてくれる土地柄です。
おそらく蛇信仰の民がいたのだと思います。
石巻山という名自体が、蛇のとぐろを連想します。
石巻神社里宮には、鬼祭というのがあります。
「粽(ちまき)祭り」「どぶろく祭り」ともいいますが、源頼朝の病気回復祈願のお礼参りに鬼面が奉納された事からはじまったといいます。
参拝者にはちまきとどぶろくが振舞われる。この祭りの鬼は黒鬼と赤鬼であり、神の化身とされている。この黒鬼と赤鬼が境内を大暴れし、参詣者にタンキリ飴の入った白い粉をまき散らす。この粉を浴びると風邪をひかないという。
この粽やどぶろくも前述した錬金術を想起します。


錬金術は火と水の作業ですが、豊川はその名のとおり川の町です。そしてここの巡礼でいつも目にするのは、秋葉社です。
秋葉神社というと火の神さまですが、秋葉大権現とは、カルラでありガルーダです。
また、唯一水神を操り火を伏せることができる天狗だとされます。
天狗は、風神でもあります。

今回の旅の一日目は晴れと風の日で、翌日は小雨の日でした。
赤ん坊を連れての旅で、天気が心配でしたが、幸い熱射の心配も傘の必要もありませんでした。

ガルーダは、ナーガ(蛇)を喰らう神です。
後に、ガルーダとナーガは和解するようですが、これはシンボル的には、錬金術の完成を意味します。

アステカ人に文明を授けた神ケツァルコアトルは、「羽毛ある蛇」(ケツァルが鳥の名前、コアトルが蛇の意)と呼ばれています。

これらは、鳥(太陽)と蛇(龍のエネルギー)の結合を意味しています。
この龍のエネルギーはエジプトのファラオのマスクの頭の蛇のシンボルも同じことを意味します。


豊川では、蛇を鳥が支配したのか、和合したのかわかりませんが、この火と水の信仰を深く感じさせてくれます。

水は、水素と酸素の結合ですが、水を作るのは、水素と酸素を混ぜただけではできません。ここに火がないと水は生まれないのですね。


それと豊川で一番目立つのは、スサノオ信仰です。
これは、何かをスサノオ信仰で上書きしている可能性が高いですが、豊川から諏訪につながる何かのナガレの中で意味深いと思います。
豊川のすぐ近くに諏訪町があります。
ここに諏訪神社がありますが、諏訪神の妻は、八坂刀売神です。
八坂刀売神の父は天八坂彦命であり妹に八坂入姫命がいるとされていますが、八坂の名を冠していることを思うと、スサノオとの関係を考えたくなります。

豊川市の隣、新城市にある石座神社には、天王社と須波南宮社が少し小高いところに並んで祀っています。


蛇穴と聞いて、最初に頭に浮かんだのは、甲賀三郎の伝説でした。
この話は、「諏訪縁起事」にこう書かれています。
「安寧天皇の子孫に繋がる三人兄弟の男子が東三十三国を治めていた。三男の三郎が上洛の帰り、春日権守の孫娘、春日姫と契りを結び、甲賀へ伴った。
ある日春日姫は伊吹山で天にさらわれ、行方不明になる。三郎は兄たちに頼んで国中を探し、信濃国蓼科の人穴の底に姫を見つけ、助け出すが、姫が忘れた鏡を取りに三郎が穴に戻ると、兄たちが綱を切ったため、穴に取り残される。三郎は仕方なく人穴を彷徨い、数十という地底の国を訪ね歩く。
最後の国の主の計らいで、鹿の生肝で作った餅を一日一枚ずつ千枚を食べ終えると、信濃国浅間に無事帰ることができた。
三郎は甲賀に戻ったが、体が蛇になっていた。僧たちの協力で、三郎は春日姫と再会し、登場人物のそれぞれがさまざまな神になって物語は終了する。」

いろいろと鍵がありそうですが、今は繋がっていません。


2011年で豊川巡礼は一つの区切りを感じていましたが、新しい旅が始まりそうです。
二日目に合流したお友達から、「古代の謎 抹殺された史実-物部・葛城・尾張氏と東海のかかわり-」という本を授かりました。
次に訪れるときは、少し歴史的なことを調べて訪れたいと思います。


ここで共有する情報と、いろいろとの繋がりの中で、豊川の地の関わりを感じていきたいと思います。


そうそう、今回、カエルのメッセージがきていたようです。
カエルはカワズの別名がありますが、カワズとは河衆であり、河童の意味することもあります。
渥美半島の伊良湖では、東大寺の瓦を焼いていた遺跡があるそうです。

伊良湖岬といえば、すぐ目の前は鳥羽です。
今もこの間にフェリーが走っています。

河童は、河原で瓦を焼いていた話は以前しました。
渥美半島の根元、豊橋には、河童の伝説が多いと聞きます。
河童と製鉄の話、豊川には、金屋町があります。
ここには神明社が祀られていますが、それ以前の祭祀と思えそうな古い祠がたくさんありました。

そして、ここを通る姫街道。
名前の由来は、姫神とは関係ないようですが、実は、豊川稲荷は姫神だと思えるのです。

旅の報告は、アメブロで詳しく記録しますね。
少し時間がかかります。


今回の巡礼最後の地、宮道天神社でお参りを済ませた直後にとっても大きな黒アゲハが飛んできました。
羽に黒い紋がついています。
あまり見かけないアゲハでした。
調べるとモンキアゲハというようです。

鳥と蛇4


モンキーアゲハなら面白いですね。

今回は、アゲハ蝶に迎えられ、行く所々で蝶に出会い、最後は黒アゲハの、「お疲れさん!」で終わった気がします。

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