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昂元庵日記ランダム 4

2013年01月07日

ワンネスと統合、そして笑い事

2013年、僕の最初の学びがこれです。
僕を含め五人の仲間と生田巡礼を行い、宴会をし、
そこで僕が思索したことを記録しておきます。
あくまで今の僕の認識であり正しいのかどうかはわかりませんが、
もし、読者のどなたかの参考になるのなら幸いと思います。

ワンネスという言葉を耳にします。
どういった意味で使っているのかは知りませんが、
僕が考えるに・・・

ワンネスとは、原理である。
それを支えているのは多様性。
ゆえに、ワンネスは「違い」がその中で支えている世界である。

世界は、多様なものが共存しています。
それぞれ違ったものが、関連づけられ全体の一つを構成しています。
それがワンネスの思想だと思うのです。

だから、これは、みんなが同じ顔をしているというわけではなくて。
あたかも、人体組織のように、
それぞれの細胞や組織が、異なる活動をしながらも、
一つの身体を構成しているのに似ていると思います。

これが、コスモスと呼ばれる宇宙の構造だと思います。
銀河や太陽系や、人体・・・もしかすると原子や分子の世界もそういった構造かもしれません。
しかし、全ては一つの箱の中にあります。

ただ、その箱の中は、いろいろな違ったものが混ざって存在しているのです。
その違ったものを繋げていくことが、統合です。
その統合が一つに纏まるのが、統一です。

しかし、この統べるという意味を考えないといけません。
統べるとは、繋げるという意味で、
決して支配するという意味ではありません。

だから、もし世界統一とかいう言葉の元に一者の支配が行われるのなら、
それはワンネスと違ったものであり、気をつけないといけないと思います。
ワンネスという自然の原理を用いながら、支配をしようとする人も現れるかもしれません。

支配者は、各組織を束ね、指揮する頭脳だと自分を位置づけるかもしれません。
違った者は、がん細胞として排除するか、
手や足のように便利なパーツとして使うかもしれません。

統合への道として、一つの価値観、一つの行動、一つの思考を布教するかもしれません。
しかし、その一つは、ワンネスではありません。
ワンネスを利用したマインドコントロールであると思います。

世界は、それぞれが違っているべきだと思いますし、
それが、この次元、このフィールド、この惑星の理にかなっています。

だけど、我々は、違いを認めない、違いを評価したくない。
そんな心理を持っています。
これは、自分が正しい、自分の感覚が全て・・・
そんな思いからくると思います。
この自分とは、我であり、エゴであると僕は考えます。
でも、自分を否定しろと言っているのではありません。
必要があってそこに自分という我が存在しています。
自分を知ることができるのは、自分だけしかいません。
自分の感情、思考、行動をコントロールできるのは、
世界中で自分だけしかいないと思います。

だから、人は自分にとって責任があるし、
自分の為に生きないといけないと思います。
そして、その自分が、どういった関係であっても、
他に良い影響を及ぼしている状態が好ましいと思います。
この状態こそ、ワンネスが繋がっている状態であり、機能している状態だと思います。
もし、そうじゃない場合は、それこそ、そのエゴはがん細胞となり、ワンネスを破壊するかもしれません。

人と同じでないといけない。
それは、自分を殺すことになるのかもしれません。
金持ちにならないといけない。
貧乏になってはいけない。
賢くないといけない。
馬鹿ではいけない。
これらは、他を否定しがちですが、
それらは、相対的な見方であり、対極を知るための方便だと知ると良いかもしれません。
どちらを知るかは、その時、その時に自分が必要なことを選べば良いと思います。

目に映る世界だけでも、様々な違いが見えます。
人種、文化、習慣、宗教・・・
それらの違いを理解することは難しいと思います。
しかし、それらを認め、尊重することはできると思います。
中には、悪習や悪癖もありますが、
それは、本人でないと治せない問題です。
時がくれば、必要があれば、あるべき姿に戻ることと思います。

ただし、自分が悪いと思ったものに対し、良いと言う必要もなくて、
善悪に対しての自分の価値観は、世界を構成する基準としてあるべきだと思います。
それが、この次元のあり方だからです。
高次元の見方も必要ですが、この世のあり方を持つことは、
ここで生きる意味を尊重することになります。
基準を持ちながらも、囚われない心は必要だと思います。

だから、自分の価値観を持ちながら、反する価値観の存在を認めつつ、
自然に住み分けが成り立ち、それがワンネスを構築できるのが理想だと思います。
決して、一つの価値観による強制された一つの社会ではありません。

人が、それぞれ違った顔をしているように、
違った生き方をするほうが良いと思います。
その人に必要な、その人のオリジナルの人生を送ること、
それが、その魂の経験であり、
その魂は、やがて宇宙、あるいは神、または天の経験となることだと思います。

そして、違ったものを繋げるのが笑いの力だと思います。
笑いは、和来、輪来。
たとえ違っていても、それを面白いと笑い飛ばせることができたら、
そこに和ができます。
それこそがワンネスにつながる道だと思います。

だから、違いに対して怒る人がいれば、
その怒りを滑稽な姿だとみんなで笑って、
怒りを祓い飛ばせると良いですね。

笑いは、平等です。
笑われたものは、自己犠牲の愛です。
一緒に笑い飛ばしましょう。

酒の割く力を咲かせる力に変えるのが、
笑いです。
酒と笑いで、きっと岩戸も開き、
アマテラスの大いなる光が満ちることと思います。

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