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昂元庵日記ランダム 8

2013年04月24日

【妄想譚】第六天魔王を想う

少し前から第六天魔王のことが気になっていました。
織田信長が自らを第六天魔王と名乗ったことにも関係しているのかもしれません。

魔王というからには、恐ろしい悪魔のようなイメージを持ちますが、
調べてみると、そうでもないようです。
こちらのサイトに詳しく書かれています。
安土城復元案 第六天魔参照)

第六天とは、我々人が住む欲界の最上位に位置する世界です。
その欲界の中で、人間界の上に天界があります。
その天界は、六つに分かれ、その最上位は六番目の天として第六天と呼ばれています。
そして、第六天を支配する王を、第六天魔王と呼んでいるようです。
又の名は、他化自在天といいます。
因みに弥勒菩薩のいる兜率天は、第四天にあたりますので、他化自在天の下位の天にいることになります。


なぜ、他化自在天が魔王と呼ばれるかは、仏教の天敵だからです。
なぜ、仏教を邪魔するのか?
ちょっと面白いわけが語られていました。

第六天を含む欲界は、天界人といえども欲を持っています。
そして、第六天の天界人の楽しみは、他人を楽しませることを自分の楽しみにすることのようです。
様々な苦しみを抱える人を楽しませることを、自分の楽しみにしているのです。
しかし、その衆庶の苦しみを根本から解き放つ解脱の道を解く仏教が広まると、
苦しむ人がいなくなり、天界人の楽しみを奪うことになるから、
仏教を邪魔するというのです。

天界人といえどもエゴを持っているのですね。
天界には、欲界の上位に欲が無く形のみ存在する色界と形が無く精神だけの無色界という天界があるそうです。


多分、人間界に干渉というか、直接関われる天界の最上位が第六天なのだと思います。


信長はこの第六天を名乗った理由には、一向宗や延暦寺に弾圧を加えたことや、
武田信玄が天台座主を名乗ったことに対抗して、
自ら仏教の天敵である第六天魔王を名乗ったそうです。

魔という字は、悟りを邪魔するマーラを表記するために作られた文字だそうです。
麻と鬼の組み合わせです。
麻の性質のように麻痺させる能力と、
鬼の性質のように見えない力を有すると考えられたようです。

マーラの起源は、バール神の兄弟神にして敵対者であるウガリット神話のモート神だという説があります。
モートは、炎と死と乾季の神です。
バール神にして、モート神を倒すことはできなかったので、
この二神は、太極の陰と陽の関係にあると思います。

魔王とは、仏教と敵対する王という意味ですね。


中世の日本では、こう考えられていました。
イナナギ・イザナミが四柱の神を生みました。
それは、天照大神、月読命(=高野丹生明神)、素盞鳴尊、蛭子。
そして天照大神が日本国をもらいうけるのですが、
日本は第六天の支配下にありました。
第六天魔王 その2参照)

そこで、第六天の王が、
天照大神が仏教を取り入れないという条件で、
天照大神の日本支配を許可します。

第六天魔王は、日本の支配権を与え、天照大神とその子孫を守護する誓を立て、その契約の印に神璽を与えた事になっています。

神璽(しんじ)とは、

1 天子の印。御璽(ぎょじ)。
2 三種の新器の総称。天(あま)つ璽(しるし)。
3 三種の神器の一つである八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)のこと。

だそうです。

これを見る限りは、天孫族よりも第六天魔王は上位に位置することになります。


時代は、仏教が伝来し、
やがて、神道と仏教は混同され祀られていきます。
その仏教勢力が、政治にも影響を及ぼし、
本来の宗教家のありかたから逸脱していきます。


天孫族は、第六天魔王との契りを破り、
延暦寺は、武家と結託し、信長と敵対します。


ここに第六天魔王と、信長は、
天孫族、天皇家と仏教にとって代わって、
日本を統治する大儀で一致します。


おそらく天皇家と延暦寺は結びついていました。
白河法皇が、延暦寺の僧は思いどうりにできないと残したように、
天皇家に大きな影響を与えていたのが山王だと思います。
山王信仰とは、日吉大社を総社とする賀茂、三輪(出雲)系の神と比叡山天台宗が結びついた信仰です。

誤解してほしくないのですが、
それは、当時、非常に影響力を持っていたという話で、
悪の根源とか、陰の黒幕だとか、そんな陰謀者を言っているのではありません。
僕は、現代で、日吉大社を崇敬していますし、
そこで縁を結んでいます。


ただ、当時は、
政府に影響を及ぼす力を有していたのは事実だと思います。
そして、そこの僧のあり方も乱れていたと言われます。

信長は、比叡山を焼き討ちしましたが、
対象を選んでいたという話もあるようです。
無差別殺戮ではなかっという話もあるようです。


日本の王となり、日本を立て直す、
そのために、天皇家と、その後ろの存在を抑えようと思ったのかもしれません。
どこか、現代でいうと、田中角栄に似ているかもしれません。
といっても、田中氏を僕は英雄視するわけではありませんが・・・


第六天魔王となりて、契約を破った天照大神の子孫と、
堕落した仏教徒に代わりて日本を支配しようとした信長。

彼は、明智光秀に討たれます。
僕は、光秀贔屓です。
彼が、謀反を起こした理由は、信長をして乱世を整えようと考えた結果、
その信長が光秀の思惑を超えて暴走したからだと考えています。

才能があり実直な性格な光秀は、帝が第一でした。
しかし、主君信長が帝を超えようとした時に、
陰の存在は、彼を利用したのだと思います。

信長が光秀の才能を認めながらも辛くあたったのも、
陰の存在と光秀の関係を危惧したからかもしれません。

その光秀も日吉丸こと、羽柴秀吉に討たれます。
信長の後は、実直な光秀よりも、
なりあがりものの秀吉のほうが扱いやすかったのだと思います。
そして、光秀は、比叡山焼き討ちの実行犯でしたから。


秀吉は、信長に焼き討ちされた比叡山の再興に尽力します。
日光東照宮のプロトタイプといわれる日吉東照宮には、
徳川家康と豊富秀吉が並んで祀られています。
東照宮を建てたのは、
天台宗の高僧、天海です。
天海の正体が、明智光秀に近しい人物であるとよく話になっていますが、
それも何か関係ありそうです。


信長の織田家は、福井の剣神社の神官だったそうで、剣神社は、織田家の氏神です。
この剣神社には、忍熊王が瀬田川で死なずに、
剣神社まで、逃げ落ちたという伝説が残っています。

このナガレは、今年の神戸巡礼と、その後の宝塚巡礼とに繋がってきます。


普通に考えて、
当時、皇位継承者は、応神天皇ではなくて、忍熊王かその兄、麛坂王が妥当だと思います。
なんせ、応神天皇は、神功皇后のお腹にいる時に天皇に選ばれたというから、
まだ、生まれていないうちの子を兄達をさておき皇位継承を認めるなんて普通じゃないです。


それは、神功皇后の血がそうさせたのだと思います。


豊玉彦系の子孫と、
豊玉姫系の子孫。
それらは、同じ渡来系の海人族であったが、
天孫族の妃を出し続ける豊玉姫系海人族がいたのだと思います。
これが息長腹や和邇腹だと呼ばれていたのかもしれません。


天孫族と豊玉姫系の夫婦。
そこに、山王が絡む。
その構図を忍熊王伝説の残る剣神社の織田は知っていたのかもしれません。
ゆえに、乱れたその構図に立ち向かったのが、
元の支配者、第六天魔王なのかもしれません。


後に応神天皇は、八幡神となります。
道教事件を見るように、八幡神の総社、宇佐神宮が、
皇位継承にただならぬ影響を持っていたのも意味がありそうです。

宇佐神宮は、辛島氏の比咩神信仰と、
大元山の磐座信仰が結びついたものだと聞いています。
辛島氏は、スサノオを祖とした秦氏と同系列の渡来人だと伝えられています。
また、大元山の神は、アラハバキだと言う人もいます。

縄文元出雲族と天孫と結びついたスサノオの関係。
この事は、
夫神と協力関係を結んだ親娘の関係があるように思います。
対立関係にあった兄妹から、
協力関係になる親娘の間柄。
豊玉彦、豊玉姫の姿に、そんな伝承の遍歴を想像してしまいます。

この親娘の原型は、タケツヌミとタマヨリヒメに見られると感じます。
その娘は、山王大山咋命と結びつきます。
それは、事代主命の娘ヒメタタライスズヒメが神武天皇と結婚することも同様に感じます。


出雲をベースの天孫に協力した親娘と
対立した兄娘。
そんな関係が浮かんできます。
この親娘の関係は、もう少しクリアにしないといけないと思いますが、
今は、わかりません。

余呉巡礼を通し、お市に導かれたような話の帰着ですが、
まだ、余呉巡礼は完結しておりません。
また、記録すべきことがあれば、いつか報告します。
ここに書くことは、沢山の目に触れることを望んでいません。
ただ、僕の関係者に伝えられると良いなとだけ考えています。


とりあえず、僕は織田信長という人を見直すことができました。
そして本能寺の変の謎も僕なりに納得しました。


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