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卵(ラン)タン ライトワーカー編2

仕事を辞めて時間の余裕がある僕は、この頃移動手段としてよく徒歩を使います。いつもなら電車を使うところですが、徒歩2、30分くらいなら歩く事にしています。運動不足を補う目的もありますが、春の陽気の下、地元の町を歩くのは気持ちの良いものです。こうして歩くと地元に居ながら知らなかった事や新しい風景に出くわせます。仕事をしていた時は、労働の疲れと時間的余裕のなさから車や電車を使うことが常でした。身近でありながら知らないというのは、少しもったいないような気がします。そして、そんな日常生活にはいささかの疑問を感じます。

城下町である近所を歩くと道路自体は変わっていないものの道路わきの家々は、随分と変わっています。相変わらず変わらない家は、少しのノスタルジーを感じさせ、新しく建て替えられたモダンな家には、時代の流れを感じさせてくれます。今だけを見るなら時代というものは感じられませんが、時に立ち止まって回りを見渡し過去を思い起こすなら、時代の流れといのは間違いなくそこに存在しており、この流れは誰にも止められません。

最近の僕のお気に入りは、用事があり外出する時は、午前中に済ませてお昼を外で食べる事です。この頃はあまり食べる機会の無かったラーメン屋さんに立ち寄ることが増えました。今日は、有名なラーメン専門店で定食とビールを頂きました。大概は、ラーメンプラス餃子などのセットメニューを頂きます。このラーメン屋さんは美味しいと評判のお店でお昼前からほぼ満席になります。もう一軒、これはラーメン専門店ではなく餃子で有名な中華屋さんですが、ここのラーメンを頂くこともあります。実は、この中華屋さん、以前はラーメンがまずいと言われていました。しかし、企業努力と僕の味覚の変化、或いは嗜好の変化もあってか、今では専門店のラーメンよりも美味しいと僕には感じるようになりました。これも時代の流れでしょうか。

お店のカウンターに座ると大概は、労働者のお昼休みに出くわせます。時には作業服のまま現場から来られるお客さんもおられます。日に焼けたお顔が印象的です。僕も以前は現場作業をしていた時もありました。今はまだ良いですが、夏真っ盛りの現場はきついですね。僕は、導きというか成り行きで30代の時から、光の知識を伝えるために活動するようになりました。その目的は人類の意識の成長に寄与するためです。いわゆるライトワークというたぐいです。アトランティス時代よりエジプトやギリシャ文明を経て伝わる知識を現代風にアレンジして伝えていました。当時は、スピリチュアルという分野も浸透しておらずこういった情報に興味を持たれる方は稀でした。その前は、ニューエイジ思想と呼ばれていましたね。オーラや前世、パワーストーンへの認知が広がり少しづつ意識は変わりましたが、反面、オカルト宗教団体の狂信的な犯罪により敬遠される向きもありました。

僕は、その頃よりライトワークを中心とした生活をしていたので、経済活動に力を入れる余裕がありませんでした。当時派遣業の改革があり、僕にとって収入は減りましたが、派遣社員という責任の薄い仕事は、就業する上で都合の良いものでした。尤も今の日本経済の衰退の原因の一つには、この派遣業界の拡大があります。そんなわけで、僕も工場でエアドライバーを持ちながらライン作業で組み立てをしていた時代もありました。平日は工場で働いて、就業後や土日は、知識を広める作業をしていました。その対象は、一般的な人々であるのですが、前述するとおり、当時の人々は、そういった精神的な興味は希薄でした。

私たちは、希望の職業に就くために多大な努力を学生時代に求められます。多感であらゆるものを吸収できる貴重な少年時代の大半を、ほぼ強制的に学習時間に奪われています。本来、自由な選択肢が用意されてしかるべき時期に、誰かの希望なのか、狭められた選択肢の中で、自分で選ぶという自由を狭めながら、それが当たりまえのように押し付けられ、無条件に、クイズやパズルを解くがごときの学習を迫られます。当然、全ての願いが叶うはずはなく、多くの青年は、より安易で利益の生まれる職業を希望することになります。その希望も叶わない人は、目の前にある職業にしがみつくわけです。

生活を維持するために、したくもない職種につき、ストレスをかかえながら一日の大半を過ごします。それから解放された一時の余暇は、限られた時間の中で自分の欲望を満たそうとします。又は、休息の為にただ眠り続けます。

限られた時間で欲求を満たす術を提供する人々がいます。アルコールを提供する人。快楽を提供する人。娯楽や趣味へのサービスを提供する人。彼らは、その見返りとして代金を徴収します。労働者はその代金を支払うためにまた多大な労働を強いられます。そんな毎日を過ごす人の興味は、食べる事、飲む事。異性と接する事、或いはその機会の無い者はアイドルに理想を重ね夢想にふけります。そしてその欲求が満たされた者は、次に自分の嗜好や趣味に興味を向けます。高価なものはローンを組み、毎月その支払いの義務を長期間にわたり背負う事になります。そうなると安定した収入を手放すこともできず、職に繋がれることになります。嫌なことがあっても、間違ったことを強要されても従うしかなくなり、次第に意識も眠りに陥り、より意識の興味は趣味に没頭することになり、それ以外は盲目となります。

見かけだけで判断をするなら、僕と同じ時間にカウンターで座り食事をされている方々は、そういった人々である可能性が高いと思います。それは間違ったことだとは思いません。家族を養い子を成長させ社会人の一員として納税の義務を背負いながら生きていく姿は全くもって正しい姿です。ただ、彼らには他の世界という視野はないように思います。世界の裏側で何が起こっているのか、見えない社会の仕組みで笑っているずるい人たちの存在があること、目に見える情報が全て正しいと信じ、自分で考えることを放棄し、言われたままに従う人生を唯一の在り方だと思っています。ましてや銀河社会の営みや高次元の世界の事など知る由もなく、はなから意識の外にあります。

といっても、僕自身がそういった世界を経験しているわけではありません。ただ、そういった知識に触れ学ぶ機会があったというだけです。しかしながら、そういった世界があると知るだけで、現在の自分の生き方や考え方、人生が変わってくるのです。これは一つの心理的解放です。だから、僕はそういった知識を広めるお手伝いをしていたわけです。それは宗教のような説法をするわけではありません。ある種の学校で教えるような内容なので、僕は聖人というわけではなく、一般的な人々となんらかわることがありません。地球人の多くは地球由来の魂であり、長い時間をかけて地球で生まれ育ったものだと思いますが、それに反して地球以外の外来の魂も存在しています。時に彼らは、魂の記憶からか潜在意識からか、先に述べた地球の生活様式に馴染めないことがあります。彼らの目的は大概は、この地球の進化に寄与することです。今の肉体を纏った時に、記憶は失われていますが、魂に刻まれた感覚は、地球外の知識や生活様式が刻まれており、この地球環境にそぐわないと感じることがあります。彼らには、この地球の重い振動を放つ食事、娯楽、音楽、あらゆる生活様式は好ましいと思えません。そして、それらの環境に生きる人類とも相いれない場合があります。

幸い僕は地球環境に馴染んでおり、先に述べた一般社会人とも接して生きてこれました。一緒に食べ、一緒に飲み、一緒に歌い、夜の街にも繰り出し、そういった世界で生活する人々とも会ってきました。極端な人や過激な人とは縁が繋がりませんでしたが、いろいろな性癖を持つ人とも接触することもありました。他人は自分と同じではない。違った嗜好を持ち、違った思想を持ち、違った価値観を持っているのが普通です。その中で、共通する領域が社会の方向性として位置づけられます。これが大衆であり、ずるい人は、この大衆心理を悪用します。

時代は、大衆の意識を変えることがあります。天変地異、戦争、大事件、パンデミック・・・インパクトの強さが大衆の意識を揺さぶります。それは身近な経験であるほど有効であり、大衆は、無意識のままにいつのまにか自分の意識が変わっていることに気付きません。ある時点で立ち止まって過去を振り返るなら、時代の流れは確実に存在することに気付くでしょうが、今しか見えていない人には、今を生きる事で精一杯です。そして、現代人には立ち止まる余裕を与えられていません。

見えない世界で、大きな変化が起きており、見えない宇宙で大きな変化が起きていても、私たちには知る術がありません。そして、毎日目にしている地球の見えない地下でも変化が起き、毎日見上げている宇宙のサイクルの中で地球が回転していることを意識できません。だけど、それでも地球は変化をし、私たちは否が応でも、その変化の中に身を置く事になります。地球はそのサイクルの中で、大陸が海に沈み、海は山へと隆起してきました。それを否定できる人はいないでしょう。ただ唯一の言い分は、「そんな変化が自分の生きている時代には起きるはずがないでしょ。」という事です。残念ながら、この言い分には何の根拠もない感情的なものです。火山が噴火し、地震が頻発し、第3次世界大戦の危機とパンデミックの時代が今です。

幸い意識的な人々は、この時代が終末期であり、その後には輝かしい未来が待っており、今は夜明け前の一番暗い時期であると知っています。しかし、知らない人にとってこれから起こることは混乱と不安を招く事になると思います。今やライトワーカーの使命は、知識を広めるだけでなく、この終末期をできるだけ安定化して推移させることにあると思います。

カウンターの隣に座った日焼けした善良なる人々が、安寧に過ごせることを願っています。彼らが時代を認識できなければ、いくらかの苦痛を経験することになると思いますが、今の時代に気付き目覚めるなら素晴らしい変革を起こすことでしょう。聞く耳を持たない人に伝える術は持っていません。だた、そういった人にもエネルギーが届くように、波動が満たされるように、そして光とともにありますように願っています。それが、長い間そういった人々の中で生きてきた僕の願いです。これは決して高い目線で願っているのではなく、同じ目線で見るからこその願いです。


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