見出し画像

昂元庵日記ランダム 10

2013年01月18日

天と海、逆転する神

よくアマテラスは、天照ではなく海照す神だという話を聞きます。
アマは天とも海とも書けますからね。
僕は、この話に同意しますが、
実は、古代の人にとって天も海も同じであったのでは・・・
と考えています。

青い空は、海の色であり、
白い雲は、波の色です。

海上において、
朝、海の彼方から登った太陽は、
天空を回り、
夕に、海に沈みます。
そして、翌日また海から現れます。

すなわち、アマとは太陽の移動する空間であり、
阿間なのかもしれないと考えます。
密教の修法に阿字観という瞑想法がありますが、
目の前に阿字の文字を掲げその前で瞑想をします。
この阿字とは、密教の最高神大日如来を示す梵字です。
大日如来とは、遍照如来(へんじょうにょらい)ともいい遍(あまねく)照らす仏という意味で、アマテラスでもあります。


天の磐舟とは、海の磐舟であって、
磐のような頑丈な船であり、
空飛ぶUFOではなかったと思います。
もしかするとアトランティスのような先代文明の時代には、
空飛ぶ船も存在していたかもしれませんが・・・


話は変わりますが、
豊受とは、太陽を受ける神だと僕は見ています。
豊とは、太陽の力であり、
この太陽の力である光と水によって育まれるのが、
植物や穀物であり稲作なのだと思います。
水田の水にキラキラ煌く太陽の光が豊受大神の姿として捉えたのではないでしょうか。

そうすると豊受大神とは、地上で日を受ける水神です。
日を地上で受けるのは水のような液体でしかできません。
それを、水に映される日をもって天上から地上に降ろされた日として信仰したのだと思います。
ちなみに、京都五山の送り火では、
大文字山などで焚かれた火の灯りを杯の酒か水に映して飲むと御利益があるという風習があります。

豊の対になるのは、櫛です。
豊が日なら、櫛は水になります。
或いは櫛は月に対応します。
これは、+と-、ポジティブとネガティブの自然界の力の関係です。
豊と櫛は、門神として祀られることがあります。

櫛である月神とは、水神でもあります。
それは、海水や人間の体内の水や、植物の水など水を支配しているのが月であるからです。
だから、穀物神である大月姫は月読神に殺されました。
これは水神が月神の支配下にあるということ、しかし、大月姫も月の名を冠することを思うと、
水神と月神は同じなのだと思います。

僕は、豊を受ける豊受大神とは、水神であり月神であると思います。
すなわち豊受けの櫛神であります。

古い太陽神として有名なニギハヤヒは、櫛玉饒速日尊という櫛神の名がついています。
では、太陽神ニギハヤヒは、月神なのでしょうか?
時代によって変遷したでしょうが、僕の考えでは、
天照神とは、日ではなく月神なのです。
これは、かつて巡礼を共にした僕の友人も、天照大御神は信じられないけど、
突き詰めると月神になってしまうと言っていました。

これは、天照神が海照神となった場合、
海人族にとって、昼の神よりも真っ暗な海を照らす月神のほうが、
航海をする上で守護神となるからです。
古代アラビア系では、日月星の三光信仰で最も上位の神は日神ではなく、月神だそうです。
月神か最高神で、太陽神は妻神、金星が子神だそうです。
砂漠を照らす神と海を照らす神は同じなのかもしれません。
この月神は、シュメールではシンと呼ばれ、
これに中国では辰の字が当てられます。
辰は、最高神の三日月のことであり赤を意味したとか・・・

ニギハヤヒと同神だと言われる大物主は、海を照らして彼方からやってきました。
海を照らすのは、日だけでなく月もあります。
むしろ、海を照らすことを強調するなら、夜の月のほうが象徴的で印象的だと思います。
そして大物主は、蛇神とも言われますが、蛇は、巳であり水神です。
ニギハヤヒ(邇藝速日命)とは、ニニギ(邇邇芸命)より早く来ていた日神という意味で
ニニギを天孫とし、天照大御神という太陽神の一族と関係付ける為に、
付けられた俗称のような気がします。

天照神が月神・水神に逆転してしまいました。
では、豊を冠する神は・・・?
思い浮かぶのは、海神豊玉彦やその娘豊玉姫です。
海神、竜宮の神、水神である豊の神。
しかし、天と海が同じなら、
これはとりもなおさず、天の神となります。
天の玉とは、輝く太陽もしくは、星になると思います。
豊玉姫は、太陽神天照大御神の子孫が地上を支配する時に、
新しい日神を受けるために水神と変わったのかもしれませし、
姫であるがために元々水神なのかもしれません。


本当は豊玉彦こそ、古い太陽神だったのかもしれませんが、
天と海が同じなら、
太陽神と海神の区別など無かったのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?