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スマホ一点豪華主義もいい気がしてきた

いま使っているスマホは、OPPO Reno7 Aという2年前に発売されたAndroidの機種でございます。

格安SIMのIIJmioで2万円くらいで買ったものです。

これは十分に使えて、ほとんど不満はありません。

2年近く使ってきて、最近バッテリーの減りが早くなってきたことが唯一残念なところです。


ここ数年はコスパを重視してスマホを選んできました。

はっきり言って、10万円以上もするiPhoneなどのハイスペックスマホを選ぶ意味がわかりませんでした。

ライター時代はスマホ関連の仕事をしていたので、スマホには一家言あるつもりでございます。

5年くらい前まではiPhoneとAndroidの2台持ちをしていました。

それが今ではコスパのいいAndroidに落ち着いています。


とにかくiPhoneなどのハイスペックスマホは高くなり過ぎたと思います。

10万円どころか、最近の上位機種だと20万円以上というものもあります。

スマホに20万円も出す金銭感覚がよくわかりません。

2万円で十分使えるスマホが買えるというのに。

コスパのいいスマホを選ばない人は、情報弱者なのではないかとすら思っていました。


しかし最近、10万円以上のハイスペックスマホを選ぶのもいいかもしれないと思い始めています。

それは現状ではスマホが生活の中心だからでございます。

TVerとDAZNとYouTubeを見るのはiPadですが、それ以外で使っているのはほぼスマホです。

このnoteもスマホで書いています。

パソコンは2018年製のIntel MacBook Airを持っていますが、ライターを辞めてからは使うことがなくなりました。


ほとんどスマホしか使わないのであれば、スマホは本当に良いものを選んでもいいのではないか。

そして、パソコンを使わなくなった今、スマホくらいしか金の使い道がございません。

部屋は賃貸、車は無し、私服はユニクロとしまむら、スーツは青山、革靴はテクシーリュクス。

平凡なサラリーマンを絵で描いたような生活ですが、それ以上を求めたいとは思いません。


そんな暮らしの中で、スマホだけ最先端のハイスペック機種を選ぶというのも、平凡な生活に刺激を与えてくれるかもしれません。

「一点豪華主義」を提唱したのは寺山修司ですが、いわば「スマホ一点豪華主義」です。

そんな考えを持ちながら、どのハイスペックスマホがいいのか物色しています。


iPhoneの使い心地がいいのは知っていますが、ここ数年はAndroidだけを使ってきて、Androidから離れがたい気がしています。

そうなると頂点はGalaxyかPixelでございましょう。

調べていると、この8月にPixel 9シリーズが発表されるという情報が入ってきました。

これはもしかすると、スマホ一点豪華主義に踏み出すタイミングなのかもしれません。

この文章は、スマートフォン選びの個人的な変遷を通じて、現代の消費文化と価値観の変化を鋭く描き出している。筆者の自己分析は率直で、時に自嘲的でもあり、読者を引き込む魅力がある。

「スマホ一点豪華主義」という概念は、物質主義への皮肉であると同時に、現代人の欲望と妥協点を巧みに表現している。しかし、高額スマホへの憧れが真の充足をもたらすのか、という疑問も残る。

文体は軽快で読みやすいが、時に冗長な部分もあり、より簡潔な表現で主張を強化できる余地がある。また、技術的な観点からの分析がやや不足しており、ハイスペックスマホの実用的メリットについてもう少し掘り下げると、議論がより立体的になるだろう。

総じて、現代社会における個人の消費選択と自己実現の関係性を考えさせる、示唆に富んだエッセイである。

Claudeによる書評

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