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【精神科講談(2)】 『気合いの台帳』

 呉服屋の主、中村屋元次郎の心配の種はといいますと、娘のしの(1)が、 長きに渡ってほとんど何もせず、家で寝てばかりいる事で御座います。何とか三食は取れており、幸い身体はどこも悪くないようでしたが、念の為医者に診せますと

「たぶん虫(2)でもついているんでしょう。まあ、消化の良い物を食べて、ゆっくり養生なさい」(3)

 なんて云われました。これ、どうです?一見まともな事を言っているようですけれど、誰だって言えますよね。大体、消化の良い食べ物って何ですか?私は知りません。出されたアドバイスも薬も、文字通り毒にも薬にも成らぬ気休め程度のもの。それでも元次郎はお医者様の指示だからと離れを用意し、しのをゆっくりと休ませる事に致しましたが、そのゆっくりがもう5年。余りに長過ぎるという事で、番頭の栄吉に相談致します。それで栄吉はしのに詳しく話を聴く事に成りました。

「怠けたい訳ではないの。どうにか働いて何かしようと四苦八苦はするんだけど、体が重くて、ついだらだらしている内に、夜に成って。すると「何もしなかった」ってくよくよして。くよくよすると、まただらだらして。だらだらすると、またくよくよして。くよくよ」(4)

「お嬢様、わかりました」

「何時も其の繰り返しで、其れがとても辛くて、でもどうにも成らないの。私って駄目ね。……ってまたくよくよすると、だらだらして。略して「だらくよ」」

「お嬢様、略さなくて結構です。それで、休んでいても良く成らないのですか」(5)

「そうねえ……却って塞ぎ込んでしまうかも。身体を動かした日の方が少し気分が良く成るみたい。でも動き回れる日は殆ど無くて、すっかり籠りっ放しに成っちゃって。申し訳ないわ」

 だったら休む方が問題だから、何とか動こうと云う事に成りました。

「どういう時に動けるのですか」(6)

「何時も動けないわ」

「厠は行けるでしょう。ほかには」(7)

「そう言えば去年も店の者でお芝居をやったでしょう。あれには出られたわね。何にも出来ないのにお芝居だけ出来るなんて、やっぱり怠けているのかしら」

「お芝居なら出来るんですね。じゃあ、あたしが台帳を書きますので、お嬢様は役者にでも成ったつもりで、一日の生活を演じてみるというのは如何でしょう」(8)

 それから番頭は毎朝、店が開く前に、離れに通い、台帳の内容をしのに相談しました。その結果、午後もう少し寝て居たくても、まずうつ伏せになり、「此のままじゃ駄目だ」「立ち上がれば元気に成る。立ち上がってしまえば勝ちだ」「だらだらしたいというのはまやかしだ、私は起きたい」(9)と自分に言い聞かせ、先ず脚にぐっぐぐーっと力を入れ、八つの鐘と共にゆっくり身体を起こし、立ち上がってから前方を睨みつけ。脚は肩幅。「あ、イザ、あ、イザ、あ、イーザー」と云ってから、元気の出る赤い着物を着て、手水場に行って顔を洗って、五十文持って、とりあえず外に出て、小間物屋の方に歩き出す。小間物屋に着いたら、江戸の水——此れは当時大流行した化粧水です——此れと、あと何か要る物を買って帰って来る……と云う段取りを書いた台帳が出来上がりました。

 「此れ、いつやるんですか」

 「今でしょ!これなら出来るって云う事で作ったんですからね。今日必ずこの通りやりましょう」

 「いざ、いざ、も?」

 「そうですよ。やるんです。一つでも変えちゃいけません」(10)

 その日の午後、しのは横に成って居りましたが、番頭との約束通り台帳 に従います。うつ伏せに成り、「此のままじゃ駄目だ」「立ち上がれば元気に成る」「だらだらしたいというのはまやかしだ、私は起きたい」脚にぐっぐっぐーっと力を入れ、八つの鐘と共にゆっくり身体を起こし、立ち上がってから前方を睨む。脚は肩幅。「あ、イザ、あ、イザ、あ、イーザー、ぷふ。笑ってしまうわね、独りでこんな事を云って。あら、でも少しやる気が湧いて来たみたい」

 それから買い物に行って、無事帰って来たと云う事で御座います。

 こうして次々と台帳を難しい物にして行き、遂には掃除洗濯、琴、三味線、落語教室、講談教室、のこぎり音楽教室(11)、認知行動療法と、嫁入り修行に必須の物は一通り、こなして仕舞いました。

 ある夜の事。しのが父元次郎と話をします。

「おとっつぁん、今ではこんなに元気に成りました。此れも皆、番頭さんのお陰です。どうぞ私を番頭さんと一緒にして下さいまし。そうしていずれ番頭さんに店を任せて頂ければ、きっと商売繁盛は間違いありません。お願いします」

 此れには元次郎も首を縦に振らざるを得ず、しのと番頭は、晴れて結ばれたとの事で御座います。因みに此の時のしのの台詞も、全て番頭が台帳に書いて居たと云う事で御座います。

 人生は芝居だ——とはこう云う意味かどうかは判りませんが、上大岡トメ『キッパリ!』、伊藤絵美著『事例で学ぶ認知行動療法』(12)を参考にしました「気合いの台帳」と云う一席、此れを以て読み終りと致します。

Ver.1.0 2020/6/14


解説
(1)「気分変調症」という、うつ病と診断される症状のすべてはないが、そのいくつかが長く続く、という病気の治療の、心理教育のために作った講談である。疫学的な好発群を考えると、主人公は裕福でない男性のほうがよいのだが、艶っぽい感じの講談になる事を優先した。師匠からは、しのの病状を重く演じるよう指導されたが、実際の気分変調症は重度のうつ病ほどはひどい症状にはならない(だからといって、軽いうつ病というのとも違う)。
(2)空想上の虫が病気を起こしているという考えがあった。今でも「疳の虫」などというものが信じられているのが、その名残ではないか。
(3)医者がわからないときは、適当なことを言うことがある。具体性を欠くアドバイスはほとんど意味がない。
(4)自分を責め、話が長い。このように同じところに考えが巡るのを反芻と言う。
(5)うつ状態に対して、休ませなければいけない、と単純に考えるのは、かえって病状を長引かせることもある。動かないから動けなくなる、という悪循環もあるからである。そのへんは慎重に探る必要があるが、しのの場合は、「たとえどんなに気分がすぐれなくても、動き出せばもっと動けるようになる」のであった。
(6)番頭は、「すでに起きた解決」に注目し、それを広げていく聞き方をしている。「うまくいったことはもっとやってみよう」という「解決志向アプローチ」という療法の発想が意識されている。
(7)例外的に起きている解決の実例に注目している。やや話を急に進めている感もあるが、「ほかには?」と聞くことで、鍵となる考えを引き出せた。
(8)番頭の関わりの全体が、認知行動療法になっている。認知行動療法は、協同的に問題解決を図ることが最も特徴的なことのひとつである。番頭はしののところに足繁く通い、しのと番頭がひとつひとつのことを相談し、ブレインストーミングをして台本を作っている(台帳とは台本のこと)。コーチングと言ってもいいだろう。
(9)ネガティブな考えが多かったが、このような役立つ台詞を代わりに考え出している。認知再構成法というものである。ここでは物事の受け止め方が変わっているというよりも、前向きな呟きを立ち上がるきっかけに利用している、という意味合いもあるかもしれない。しのを現実に向き合わせる厳しめな言葉も混じっているが、本人が同意の上でそれがよいと思って選んだのであれば問題ない。
(10)やるんです。
(11)上野広小路亭でやっている『お江戸演芸・邦楽スクール』の講座の内容を並べたくすぐり。いや、嫁入り・婿入りにはやっぱり必須である。
(12)伊藤絵美「事例で学ぶ認知行動療法」 誠信書房(p34-67)

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