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平成に存在した女子寮の話#5 -私の人生を動かした先輩の話

20年前に私が暮らしていたH寮。1回生の前期は先輩2人、1回生2人の4人部屋。後期は先輩1人に1回生2人の3人部屋だった。この前期で同室だった先輩たちとはまったくの音信不通だけど、今思うと私の人生に大きく関わった人だなあと思う。

入寮して初めての部屋で同室だったT先輩。うちの大学は女子大だったので、ほとんどがメンズのいる近くの大学のサークルに入っていた。T先輩はうちの女子大の一番近くにある大学の、真夏の琵琶湖を舞台に自作の飛行機で大空に飛び立つサークルに入っていて、そのパイロットの彼女だった。そこで、興味があるなら、、と新歓コンパや活動見学に連れて行ってくれたのだ。私はまったくの文系で、飛行機を創ることにも乗りこなすことにも全く興味がなかったものの、「新歓コンパ」とか「他大学(メンズあり)とのサークル活動」とかいう不純な動機から先輩にくっついていっていた。新歓コンパでは、新入生は会費なしでBBQとお酒を飲ませてもらい、部室に見学に行けば、学食でランチをご馳走になった。「ちょっとやってみる?」とおそらく飛行機の部品であろうプラスチックと紙やすりを渡されて、怖々削ってみたりもした。

結局タダ飯をさんざん食べさせてもらっておきながら、私はこのサークルに入らなかった。みんないい人たちだったし入部してもいいかなと思ったけど、純粋に飛行機を飛ばすことに惜しみない情熱を傾ける皆さんに、申し訳ない気持ちが勝ってしまったのだ。T先輩もいいよいいよとニコニコしていた。ただ、入部しなかったのに、このサークルで出会った同期とは馬が合い、今でも飲み友達だ。みんなビックリするくらい頭がいい変人たち。彼らの研究のことはちっとも理解できなかったけど、ベロベロになるまでお酒飲んだり、恋バナしたり、朝までカラオケしたりした。卒業してからも関係は続いていて、彼らの結婚式のお手伝いをしたり、私の主催した飲み会で運命の人と出会い、結婚にまでこぎ付けたヤツもいる。このコロナ禍中でさえ、ZOOM飲み会なるものをやったりした。彼らは20年来の大切な友人たちで、T先輩が誘ってくれなければ出会わなかった人たちだ。T先輩本当にありがとう。

初めての部屋のもうひとりの先輩であるC先輩は音楽教育学専攻の美人さん。前にも書いた通り、寮生の鉄壁の門限は22時。特に1回生は一般教養の講義などもあって空きコマが少なく、定期的にできるバイトが少ない。そんな時に、自分のバイト先を紹介してくれたのがC先輩だった。それはホテルの結婚披露宴のピンスポットのバイトで、基本的には土日の昼間。そんなにたくさんあるわけじゃないけど、バイトしているってことが嬉しかったし、披露宴を見るのも楽しかった。始めて2、3回は新婦の手紙でもらい泣きするのが新人のセオリー。。

最初はボチボチシフトに入っていたものの、3回生くらいで講義の空きコマも増え、バイトにも慣れてきたころに、ピンスポットから音響さんに昇格。そこから、オシャレなゲストハウスの式場に配置換えになり、ウェディングの世界にハマっていった私。結局新卒では就職せずに、フリーでウェディングの音響をやりながら司会者を経て、6年後にこのピンスポットのバイトをしていた音響会社に就職。しかも、C先輩と一緒にピンスポットしていた時に、カッコイイ!キャー!とか言っていた社員さんと今年入籍して、今や彼は私の旦那なのだ。あー先輩にちゃんと報告したい!C先輩、本当に本当にありがとう。

今のようにSNSもなかったし、携帯の番号も変わり、先輩たちが今どうされているかはわからないけれど、元気に幸せでいることを願う。私は先輩たちのおかげで、今とてもHAPPYだ!ありがとう!

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