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平成に存在した女子寮の話#4 -8畳4人部屋での生活

20年前に私が住んでいたH寮。何より驚かれるのが、8畳4人部屋。しかも和室。収納は押し入れで、毎日布団を上げ下げして生活していた。部屋の配置としてはこんな感じ。(部屋の比率は適当。配置だけ参考に)

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それぞれ、ひとりずつの勉強机があって、押し入れをふたりでひとつ使うイメージ。ほとんどの寮生が入寮したら大学のすぐ近くの生活雑貨屋さんでプラの衣装ケースをふたつ買って、そのなかに衣類、その上に畳んだ布団をしまっていた。押し入れの下の段はダンボールに入れた生活用品やらレトルトの食材やらを収納。

ご覧の通り、プライバシーもあったものじゃないし、なんなら夜布団を敷いたら、布団が重なりあうような狭さ。同室に歯ぎしりとかいびきをかく人がいたら本当につらい。幸い私は大丈夫だった。たまに、爆笑ものの寝言が披露されたりもする。

また、22時を過ぎると就寝時間ということで静かにしなくてはならない。おしゃべりもヒソヒソ。そして、23時にはなんとバチンバチンとブレイカーが落とされて強制消灯。。ただし、勉学にいそしむ大学生なので、デスクの机と4階の図書室の電気だけは24時間点灯可だったけど、同室の先輩に気を使って、デスクの電気をずっと点けていられなかったなぁ。

ちなみ各部屋にはテレビがない。門限の22時までは4階のお仏間に2台テレビがあって、それを見ることはできた。でも、上回生にチャンネル優先権があったから、あんまり見れなかったな。なので、私が18歳~21歳くらいに流行っていたドラマやテレビ番組はまったくついていけないのだ。世間から隔離された3年間であった。

あと、この寮の変なところはご飯が出ないのに自炊ができないこと。許されるのは、各階にひとつのコンロに給湯器のお湯、電子レンジでの温めくらい。未だになぜこんなルールなのかはよくわからない。学食ですませなさいってことだったんだと思うけど、H寮から一番近い学食まで5分以上歩かないといけないし、6限目まで取っていたら講義が終わるのが19:40で、学食が閉まるのが20:00って、そんな殺生な。。結局どうしていたかというと、朝は食パンとか菓子パンとかのストックを食べ、昼は学食、夜は大学近辺で外食か、カップ麺とかパスタをゆでるか。でも、1回生がコンロを占領してるとチクッと言われるんだな。慣れてくると3合炊きくらいの炊飯器を買って、ご飯は炊けた。それで、レトルトのカレーを温めたり。あんまり、いい食生活ではないな。

冷蔵庫は3~4部屋くらいで1台の使用だったかな。よくある、マジックで部屋番号と名前を書いておかないといけないやつ。それでも、「私のプリンがなくなった!!」みたいなことが、たまに起こるのだ。マンガかよ!と今なら思うけど、夜に外出もできない、コンビニも歩いて20分みたい環境だと死活問題なんだ。(だからこそ窃盗も発生するのかも)。昼間に講義がない時間に交代でシフト組んで、プリンやアイス泥棒をこっそり見張ったりしなあ。当時は大真面目にやってたんだから笑える。

テレビもない環境で、一緒にプリン泥棒捕獲に奮闘したり、節約のために同じお湯でレトルトカレーを温めたり、そんな毎日を送っていた友だちは今でも仲がいいんですか?と聞かれると、「あたりまえ!」答えたい・・・ところだけれど、結局今でも仲のいい人もいれば、同じ部屋だったのに名前何だっけ?みたいな人もいる。人間そんなもんだ。

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