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近況報告濃いめ第36回:D・カーネギー「人を動かす」に書いてあること

 名著と名高いD・カーネギー「人を動かす」を読了。文庫版だが新品を買ったので勘弁してもらいたい。

 まず第1に「人は誰もが自分自身の事が最も大事で、さらに言えば自分自身にしか興味がない」と言う事だ。これを言いたいがために本の半分以上はこれについて書かれいる。


 例えばマンガや小説なら、読者が1番読みたいのは『主人公の活躍』つまりは『お話の中における読者の活躍の場』で、
 作者が1番書きたいものは『設定』つまりは『お話の中における作者の活躍の場』である。

 逆に読者が1番読みたくないのは『設定』つまりは『お話の中における作者の活躍の場』で
 作者が1番書きたくないのは『主人公の活躍』つまりは『お話の中における読者の活躍の場』である。

 読者も作者も『自分自身』にしか興味が無く他人の事は本当にどうでもいいからすれ違いが起きる。だから名作と呼べるものは少ないというわけだ。
 他にも「今この瞬間の虫歯の痛さ」の前ではアフリカや中東の紛争地域で生きるか死ぬかの生活を送っている子供たちの事なんて本当にどうでもよくなる。


 そのため「人は自分自身の事にしか興味がないから自分の事だけをとことんしゃべりたがる。それを黙って聞くだけで優位に立てる」とも言っている。
 そして「相手が興味を持っている事を話に盛り込めば」あるいは現代風に言えば「相手の言ってることに共感すれば」すぐに人を動かせるという。


 個人的にはずいぶんとひねくれた意見だが「それができるのは人類全体の1%もいない天才の超人だけで、99%以上の凡人は親から脅されたりぶん殴られて言う事をムリヤリ聞かせられたから、それ以外の方法なんて知らないし、分からないし、考えたこともないし、そんな真似なんてとてもじゃないが出来ないしやりたくもない」

 と思った。D・カーネギー氏の死体にムチうつ非道な真似をしてしまった……。

 自己弁論と言われても仕方の無い事だが、かなり前にも書いたが人間は「相手を罰する」事が本能になっているからかもしれない。
 何故なら「人を罰する法律」はあるが「人を褒める法律」は無いからだ(聞いた話では市町村の条例レベルならあるらしいが)。

 さらりと書いたが個人的に、この『「人を罰する法律」はあるが「人を褒める法律」は無い』ってのは人の世の真理を突いた考えだと思うのだが……言い過ぎか?


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