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セックスで広がる人生観と「みんな違ってみんないい」精神の弊害

お、お久しぶりです。Akiko.です。
転職して2か月ちょっと経ちました。おかげさまでいろんな仕事を任せてもらえるようになり、やってもやっても終わらない感じになり始めました。
とはいえ前職よりやっていることはずっとマシなので、まだまだ頑張れる、はず、と思いながら仕事をしておりますが、さすがにリフレッシュしないとモチベーション下がる!と思い始め、昨日今日は休養に専念した次第です。
明日日曜日は自宅でサービス休日勤務します(白目)

と、弱音を吐いていますが…。
やりたかったことにも近づき始め、どんどん頑張らねば!と思うことも増えています。
ちゃんと「やりたかったこと」をコンスタントに回してもらえるようになったら、少し書きたいと思っている記事もあるので、特に中身の自己研鑽をしつつ、引き続き頑張ります。

それでは、下記より本題です。

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わたしはTinderをヤリモクという邪な目的で使用している悪い大人ですが、単純に本来なら縁もゆかりもない男との会話を楽しむという目的にも使っています。

さて、他人の生い立ちや人生を訊ねるという行為は、親しい仲だとなかなかできないものです。
しかしながら、Tinderに限らずヤリモクツールで繋いだ縁はあまりに薄いがために、かえって「まぁ明日には他人だし(明日以降があってもセフレなんて他人だし)」という軽い気持ちで、その人の深い部分を聞けたりします。
自分の人生に深く関わらない人間だと思うがゆえに、お互いに無責任に自分の胸の内を晒すことができるのかもしれません。
もちろん、言いたくなきゃ言わなきゃいいと思ってます。無理に深掘りしたりアピールするほどお互いに興味もないのも気楽でいいですね。

そうしていろんな男と出会い、無邪気に人の幼少期から現在に至るまでの過ごし方を聞いてきました。
驚くほど華々しい経歴の男もいれば、波乱万丈な泥臭い生き方をしている男もいます。もちろん、普通の男が大多数ではあります。

誰かの人生に触れるのは刺激になります。
どんな生き方をしていたって、自分の価値観とは異なる部分は絶対にあるから。だから、知恵や見識が深まって、「そういう物事の考え方をすればいいのね」という指標が出来たりするので。
自分の人生の在り方に悩んだり、逆におせっかいながら相手の考え方を歯がゆく思うこともあったけれど、いろんな人間の価値観を知れば知るほど生き方の正解なんてないことが分かってくるので「どう生きたって別にいいんじゃね?(犯罪さえしなければ)」という気持ちになってきたりするのです。

おかげさまで、男の(ちゃんと洗った)アナルも平気で舐めるし指を入れるし、MでありながらSもやるような、マルチプレイヤーとして遊べるほどセックスに対する器量が深まっちゃっているくらいで…
…ということではなく、ある程度その人が持っている価値観等が、自分が思っているような常識から外れていたものだったとしても、「なるほど、そういうのもあるのか」という井之頭五郎のような深い気持ちになれています。
そして、それに対して否定することもなくなってきました。あくまで他人のことだから、自分の価値観とは一線を画したうえで、価値観として受け入れられているみたいです。共鳴まではしないけど。

そういう、「男のアナルに指を入れてもいいじゃないか」という広い気持ち(?)になるとどうなるかというと、まず、人当たりがやや柔らかになります。
「うんうん、いろんな考え方があるよね」というところからブレずに話が聞けるので、多少のことでは驚かなくなります。
他者と会話しているときの感情の起伏が程よく緩くなり、焦らなくなるんですよね。あらゆる思考パターンがあることを想定した会話ができるからだと思われます。
確かに、処女のころの私には足りてなかった部分だと思ってます。わりと小さいことでも過剰反応して罵倒して拒絶していた気がするし。

そしてある程度、自分を取り繕いながら会話ができるようになります。いやらしい話だが、「ここで驚いたり感嘆してみせると喜ぶだろう」というツボが分かり始めてくるんですよね。
そうなると、「いろんな話を幅広くたくさん聞いてくれるムッチリしたカラダの女」という称号を得られます。いいことかどうかは知らんぞ。あんまオススメもできない。だけど、スナックのママ的な寛容な気持ちで男の話を聞けるようになるのは間違いないです。

ただ、あまりに自分がどういう人間を好むか、という絶対的なラインがあいまいになってきているのはよろしくないと思ってます。
いま、私が男を選ぶ基準が人格ではなく顔と体になってきているのは、人格面のセーフゾーンが広がってきてしまっているからなんだろうなぁ。

その心を良いように言い表せば、「みんな違ってみんないい」になるのかもしれません。
しかし、裏を返せば「私と出会う男はどうせ他人なので、よっぽどサイコパスとかヤンデレじゃなけりゃ人格なんてどうでもいい」というところでしょうか。ある意味、無関心の境地に向かっているのかもしれません。

………。
あ、でもセックスを前提にして会うとなると「顔」「体」「ヒゲ」の中の2つが好みでないと会う気しないから別に誰でもいいってわけじゃないのか。ただの「男の好みがワガママな選り好みオバサン」だわこれ。

…べ、別にええやろ。ちゃんと自分磨きもしてんだコッチは。
明日には他人なんだから好みくらい選ばせてくれ!

(終)

※ちなみに、「みんな違ってみんないい」思想を持ち始めると、同性に対してもそんな気持ちになるからおすすめだ。
同性と対峙したときには無敵な思考法だと思っている。なんかこう、新宿二丁目のママの気分で女の話を聞ける。

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